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09  儀式 2

蒼風(そうふう の)九年 冴気月(さえきづき の) 一夜


 笛の()。高く、澄んだ。

 彼の心の中で冷たい緑の瞳が光を放ち、すべてを()てつかせる。

 耳に届いているのは大勢の唱える低い呪文の声。儀式の進行を(つかさど)祭司長(バラド)のよく通る太い声。

 眼に映るのは混沌の祭殿の一隅を占める無表情な人々。男も女も年寄りも子供も、皆、灰色のマントのフードをおろし、印を結んでいる。

 人々より高い位置に立ち、白い寛衣をまとったバラドが、あやしい光を放ち始めた祭壇のかたわらで儀式用の短剣を(かか)げ、鞘から引き抜く。

 そして、祭壇に捧げられた贄。

 けれど、心に届くのは魔法の旋律を奏でる美しい笛の音だけ。

 叫び続ける自身の心の声ですらかき消され、伝説に名高いグジンドラの人形のように笛の音に操られ、進む。

 村を飛び出して半年、西域をさすらううち伸びすぎた髪が揺れ、祭司の着る白い寛衣の裾をひいて。

 石の階段(きざはし)をのぼり、凍りついた表情で定められた言葉と共に黒檀(こくたん)の柄と黒曜石の刃を持つまっすぐな細身の短剣を受け取る。

 何かが、短剣から流れ込み、魂が震える。それは、形のない何か。それは、原初の何か。

 それは、力。

 バラドにうながされて祭壇の後ろにまわり、皆に短剣を示す。

 刃の下にはようやくふくらみを帯び始めたばかりの小さな胸。細い首筋をたどると赤い炎のようにひろがる波打つ髪に囲まれた青白い顔。

 指を拡げた彼の左手がその閉じたまぶたの上に影を落とすと彼の口が決められた言葉を形作り、身体の自由は返さぬまま、奪われていた少女の意識を戻す。

 数度のまばたきの後、明るい青色の瞳が開かれ、徐々に現れる少女の恐怖が彼の意識に刻まれる。

 恐怖 ――

 人の心の深奥から湧き出すもの。根元的な何か。

 悲鳴すらも封じられた生け贄の魂の叫びが響き渡る。

 祭殿に(つど)った民人の唱呪の声が高まり、和音をなし、(あらが)(がた)い力となって彼を縛る。

 そしてもちろん、あの笛。常に意識の奥底に囁きかける冷たい旋律が彼を操る。

 少女のひきつった表情(かお) 。助けを求め、むなしく音をしぼりだそうとしている唇。こぼれ落ちる涙。息をあえがせ、激しく上下する胸。

 恐怖 ――

 その見開かれた青い瞳から彼の暗色の瞳へと稲妻のように(ひらめ)くもの。

 そこにはその他のものもあった。懇願(こんがん)、憎悪、怒り、怨み、悲しみ、あきらめ……。

 祭殿に共鳴する負の感情が最高潮に高まり、彼は自分の声を聞いた。

「混沌へ」

 ふっつりと途絶える呪文。

 静かな笛の音だけが空間を支配する中、まるで自らのものではないように彼の右手が振り下ろされ、白い胸に黒い(やいば)が突き刺さる。

 (こだま)する、解き放たれた悲鳴。

 ほとばしる鮮血。

 苦悩する彼の心には無関心に、右手は血に染まった白い胸を十字に切り開く。苦痛が、恐怖が、ありとある少女の苦しみが彼の脳髄を打つ。

 生け贄には気絶する事すら許されていない。彼の感じている強烈な吐き気とは無縁に左手が開かれた胸に差し入れられ、その手が鼓動する心臓をつかむ。

 見開かれた、青い瞳。

 ついに心臓がつかみ出され、右手の短剣が血管を断ち切った後さえも、少女の瞳は彼の眼を射抜き続けた。

 笛の音に導かれるまま、彼はバラドが捧げ持つ聖杯に心臓の血を絞り出し、短剣と心臓を所定の位置に置いた。

 バラドはうやうやしい手つきで彼の血まみれの手に聖杯を渡し、彼は(むくろ)の横たわるそれではなく、最上段の、その上面をいまだ生けるものに触れられた事のない祭壇へと慎重に聖杯を捧げる。

 舞台の隅から礼装したシャイアが進み出、最も尊い祭壇に祈りを捧げた。

 青白い光が聖杯を包み、バラドが聖杯をおろす。

 彼は再び聖杯を手渡され、笛の音は彼の唇から言葉を紡がせる。

「我ら、混沌への回帰を望む者、光と闇、天と地とのすべて、原初の力を我が手に!」

 彼の(うち)のどこかで誰かが悲鳴をあげ続け、泣き叫び、怒り狂い、苦悶(くもん)にのたうちまわった。

 人々が彼の言葉をくり返し、唱和する中、冷たく冴えた笛の音が儀式を完了させよと命じる。

今宵(こよい)我らはひとつとなり、力を分かち合う。

 祝福された飲み物を分かち合え! 思いを分かち合え!

 そして我らの望みは(かな)えられん!」

「我らはひとつとなり、力を分かち合う。そして我らの望みは(かな)えられん!」

「ひとつに」

 乾杯の仕草。

 視界のすべてをおおうように彼を圧倒する赤い 《 生命の水 》 。その(おもて)に揺らめく太古の力が笛の音と共に彼をうながし、ついに彼は聖別された飲み物に口をつける。

 戦慄(せんりつ)

 契約は()された。

 その禁断の飲料は彼の意識を書き換え、混沌の信奉者とする。

 そうでなければ自分の()してしまった事に耐えられず、彼の心は粉々に砕け散ってしまうだろうから。

 そして、赤く染まった口元にうっすらと笑みさえ浮かべたライガは皆に回すよう聖杯をシャイアへと手渡した。力と思いを分かち合う為に。


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