07 混沌の民 2
「そうか、そういう事であったか……」
シャイアは呟き、シミと血管の浮き出た右手を水晶球の上で行き来させる。
「ライガの半身。いまひとりのライガ……か。
ウェイデル、と言ったな」
「はい、ライガ様はそのようにお呼びになりました」
「心と力を分け合った半身、と」
「はい、確かにそのように」
「ふ……よくもまあ、そのような者の存在を今まで隠しおおせたもの。ライガ、やはりきゃつめ、我らの力に屈しきってはおらなんだか。
じゃが、それもこれまで。我らにはライガの力のすべてが入り用じゃ。真の力のすべてが」
「真の……力?」
「ライガを捕らえた折り、何かがすり抜けていった、と感じたのを覚えておる。
ヴェインの祭司達が妖力を出し切り、民人すべての祈りの力をも合わせてようよう屈伏させたにもかかわらず、きゃつが己が力のすべてを出し切って抗ったわけではないと感じたのじゃ。きゃつにはまだ隠された力があると。
それゆえ儂は機会あるごとにその力がなんであるのかを知ろうとしてきた。
それが九年に一度の大祭を控えたこの時期に明らかになるとは。これもミトラ様のお導きじゃ。
ウェイデル。何としても祭りの夜までにそやつの力を手に入れねばならぬ」
「ではシャイア様はウェイデルを協力させる事ができればヴェインの悲願が果たされるとお考えなのですか?
私には……僭越ながら、たとえライガ様がお二人いらしたところで現在の我らにその力があるとは思えないのですが」
「そう、今のままのライガが二人おったところでかなわぬじゃろう。じゃが……」
シャイアの眼がギュッと閉じられ、ついでカッと見開かれた。
「じゃが、もしも儂の考えが間違っておらねば……」
「シャイア、様?」
「時折、本来はひとつであるべきところの魔力をふたつの魂に分かたれて生まれ出づる者達がいると聞く。そのあまりにも強大な力のゆえに天がそのような力をひとつの身に負わせる事を危うんでそうするのだとも言われるが……。
じゃが、分けられた魂が再びひとつとなる時、真の力、一人ひとりが揮える魔力の数倍、数十倍の力が得られる、と言う」
「数十倍……そんな……」
フェヴェーラの声が震え、言葉につまる。
ライガの力の数十倍と言えば、地を裂き、海を沸き立たせる事さえ可能なのではないだろうか。
「ですが、ふたつの魂がひとつになる、とは?」
「儂にもよくはわからぬ。双子の片方が死ねば残った方の魔力が倍になる事があるのは知られているが……。
ふたつの魂が並んだ相似の鐘のごとく響き合う時、と」
「それは……。そのような事が可能なものでしょうか?
たとえ元はひとつであったとしても今は別々の人間。ましてや我らが撓めてしまったライガ様と魂の繋がりさえ断って八年にもなれば……。
それにどうやって、どのようにして探し出すのです? この広いウェリアの地で」
「ライガじゃ」
「え?」
「なにゆえ、これまではその存在について意識の表層にのぼらせる事さえせなんだ双子の片割れの事をアレが口にしたと思う?」
「…………」
「おるのじゃ」
知らずシャイアの声に力がこもり、その青い瞳に光が宿る。
「おるのじゃ、この近くに。そしてそのウェイデルめがライガに魂の接触を求めておる。そうとしか考えられぬ」
「では……?」
「その存在がわかったからにはライガが己にかけた封印を解き、魂の接触を取り戻させる」
「あの方がそのような事を承知なさいますでしょうか?」
「それを承知させるのがおまえの務め。
我らはライガの心を恐怖で縛り、苦痛で抑え、憎悪によって封じた。そして愛、すなわちフェヴェーラ、おまえを使って支配する事に成功したのじゃ。
それこそがおまえの存在理由」
「はい。ですがシャイア様、たとえ首尾よくウェイデルを捕らえる事ができたとして、その男が今のライガ様と同じ力を持っているとすれば到底屈伏させる事など……。
我らがライガ様を取り込めたのはあの方がまだ幼く、また、ある出来事によって受けた心の傷が癒えておらぬ故であったと……」
「そやつがライガと同じ力を持っておるとは思えぬな」
「ですが……」
「同じ力……確かにそうじゃろう。
しかし、このヴェインの地でライガが受けた教育は特別なものじゃ。ウェリア広しと言えど、これだけの知識と訓練を与えられる所など、そうありはせぬ。
魔力は使いこなせてこそ価値を持つもの。普通であればそのウェイデルとやらも己の魔力で自身を破滅させぬだけで手一杯のはずじゃ。ここへ来た頃のライガのようにな。
あれを……」
シャイアはつと手をあげ、岩壁に刻まれた飾り棚を指す。
「あそこにある小箱をとっておくれ」
黒い革の小箱。フェヴェーラには複雑な封印の呪文がかけられているのがわかる。
シャイアはそれをフェヴェーラに持たせたまま開封の呪文を唱え、印を結んだ。
コトリと音がし、蓋がひとりでに開く。フェヴェーラは眼をみはり、息をのんだ。
「これは……!」
中には赤くきらめく宝石を嵌め込まれた金の指輪がひとつ。封印されている間はわからなかったが、何か強い力を発している。そう、とても強い。
「それは炎石。ここへ来た折り、ライガが身につけておったもの」
「ライガ様が? ではなぜライガ様がお持ちでないのです? これ程の力を持つ石を身につけられればあの方の魔力は……」
「ライガにはそれを使いこなす事はできぬ」
「え?」
「少なくとも今のライガには。それはライガがまだ己の力の使い方を学ぶ前にアレの力を抑える為に持っておったものじゃ」
「力を……抑える……」
「アレの育ての親である治療師が若き夜にある予言者から託されていたという話じゃったが……。
ライガの魔力はその石と対をなすもの。
それゆえ、おそらくは双子の片割れ、ウェイデルがライガと対になる力を持っておると考えられる。炎石と対をなす石と共に」
「この炎石と対をなす石……」
「そうじゃ。その魔石を手に入れ、ライガに与えるのじゃ。
さすれば、たとえウェイデルとやらがライガと同等の力を持っていたとて恐るる事はない。儀式によってウェイデルの魂を取り込み、祭りに参加させるのじゃ」
「ライガ様にそれをおやらせになる、と」
「何を恐れる? 何を恐れねばならぬ?
あやつはヴェインの祭司長ぞ。あやつが束ねずして誰が我らの力を束ねるというのじゃ」
「ですが……」
「フン。おまえの言いたい事なぞわかっておるわ。もしもライガの魂がウェイデルと共鳴し、その力をもって我らの呪縛を断ち切ったならばと言いたいのじゃろう」
「は……い……」
「できはせぬ。できはせぬよ。フェヴェーラ、おまえがおる限りはな」
「シャイア様……」
「それに……万が一の時には……」
シャイアはいく度か舌で唇を湿し、それ以上言葉を紡ぐのをあきらめたようにひどくかすかな溜め息をついた。
「いや。これは言葉にしてしまえばその事自体が定められた事として運命の車を回り出させるかもしれぬ。そのような事もないとは言えぬ」
呟くシャイアの言葉はフェヴェーラの耳には届かない。
「シャイア様?」
「まあよい。フェヴェーラ、目覚め次第、ライガを祭殿へ。
おまえももう退がってよい」
「シャイア様?」
「退がれと言っておるのじゃ、フェヴェーラ」
「……おおせのままに」
フェヴェーラは目を伏せ、服従を示す礼をした。
フェヴェーラの退出を見届けたシャイアは背後の闇に向かって声をかける。
「ザイン」
「はい」
黒い垂れ幕を音もなく分け、滑るように姿を見せたのは修道僧のような灰色の衣服をまとった、眼光鋭い痩せた男だった。
まっすぐな灰色の髪が肩先で揺れ、額と腰に灰緑の布を巻いている。中性的ともいえる妖しげな美しさを持つその顔は、髪の色が想像させる年齢とは違い、せいぜい二十代後半のものである。
ザインはシャイアの左脇にひざまづき、その横顔に視線を向けた。
「どう思う?」
いつもながらシャイアの問いは簡潔だ。
「少々おあせりになられているのでは?」
ザインの声音に感情は含まれていない。その冷たく凍った緑の瞳にも。
「あせっておる、じゃと……?」
「不躾な申しあげ方をさせていただくならば、ご自身の代でかの偉業を成し遂げたいとの思いがお強すぎるのではと……」
「まこと、不作法な奴じゃ。じゃが、その直截さこそ儂がおまえを手元に置いておる理由。
急ぎすぎる、と言うか? まだ時期は至らぬ、と?」
「我が舅、バラド殿ならばそう申しあげるでしょう」
「バラドじゃと……。ハッ、あのたわけめが。あやつは混沌の力を己が欲望を満たす為に使おうとする背教の輩じゃ」
「しかし、バラド殿を支持する者が少なからず存在するのも事実。我らの結束そのものが揺らいでいる今、かの偉業を成し遂げる事など……」
「わかっておる。わかっておるわ、そのような事。だからじゃ、だからこそやらねばならぬ。
幾千年の昔より我らはディスファーンの造りし障壁を破り、すべての源である混沌への回帰を果たす為に生きてきた。
しかし、歳月を重ねるにつれ、代を重ねるにつれ、我らの記憶は薄れ、混沌の宮廷の王子でありながらディスファーンとの戦いに敗れ、本来の力を失ってこの地に封じられたミトラ様が無念のうちに書き遺された 《 混沌の書 》 の真偽ですらも疑う者のでる始末。
ヴェインのすべての民がこのような穢れた思想に囚われぬうちに……やらねばならぬ」
シャイアの口調は静かなままだったが、強い意志が感じられた。ザインは一瞬、かすかに唇の右側に笑みを浮かべる。
「では、こたびの祭には特別な贄が必要かと……」
「その件は任せる。ライガに手伝わせてもよい。……いずれにしろザイン、そなたの魔力、存分に発揮してもらわねばなるまい」
「はい」
「祭司共を集めよ。儀式を執り行う」
「承知いたしました」
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