56 そして…
紅葉月 一夜
「君にこんな重荷を負わせる僕の我儘を許してくれとは言わない……」
フェヴェーラの記憶に、あるかなきかの意識のもとで聞いたライガの言葉が焼きついている。
池になってしまったヴェインから引きあげられたライガの骸に取り縋って泣きながら、何度もその我儘を責めた。
「どうしても……君に生きていて欲しい」そう言って、勝手に自分の命を彼女の中に流し込んだ事を。彼女を後悔と悲しみの淵に突き落としておいて、跡を追う事すらできないようにするなんて。
それなのにまだ、時折心話でライガを呼んでしまう自分がいる。もう何百回、応えがないものかと心を澄まし、同じ悲嘆に沈んだだろう。
「フェヴェーラ」
心配そうなレイリアに顔を覗き込まれて無理に笑顔を浮かべ、お湯に食べられる野草とキノコの切れ端が浮かんだだけの貧しい食事に注意を向ける。器が足りず、順番を待っている人達もいるのだ。早く食べてしまわないと。
炎の柱が天を焦がしたあの夜、樹海に散っていたヴェインの人々は降りしきる雨の中でおずおずと呼び合い集い、生きていく為の方策をたて始めた。
まず、生き残った者の人数と、それぞれに何ができるか ―― ちょっとした魔法が使えるのか、狩ができるのかといった事 ―― と、幼かったり、歳をとっていたり、持病があるなどして無理のできない者を確認した。
放し飼いにしていて無事だった山羊や鶏を集め、僅かばかり持ち出せた荷物の一覧表を作った。
指導者達を失った彼らを引っ張ったのは、なんとレヴァインだ。レイリアもよく手伝っていた。
皆は様々な事を検討し、話し合い、さして時を無駄にする事なく結論に達した。
先祖代々蹂躙してきた人々が周りに暮らすこの地を捨て、東へ、西域では考えられないほど多くの人間と雑多な文化が氾濫する土地へ向かうと。新しい土地で、それぞれの生き方を探そうと。
デイロスが行く手を阻んでいる事は承知だったが、生き残りの中に見習い祭司が一人混じっており、皆で補佐すれば翼獣の一頭くらい使役できそうだとわかった。一人か二人ずつその背に乗って渡河する事は可能だろう。
シェヴィンに託された少女達と手紙を月香樹の村に送り届ける事も。
歌声が聞こえてきた。フェヴェーラの知らない歌。
細く、高い少女の声が故郷を懐かしむ旅人の歌を歌う。
繰り返し部分で大らかな別のふたつの声が重なり、それに力を得たように最初の声も大きくなる。
誘拐された少女達が、気づいたら暗く狭い部屋に押し込められていただけで衝撃的な仕打ちを受けていなかったのは幸いだった。
彼女達の受けた心の傷は決して小さくはなかったけれど、一生立ち直れない程ではない。今も見知らぬ者達と辛い旅をしながら三人で励まし合い、懸命に頑張っている。
(私も、レイリアに世話を焼かれているだけじゃ、いけないわね)
立ちあがったフェヴェーラは匙と空になった器の縁をやわらかな葉でぬぐって、焚き火の傍へ足を運んだ。鍋底に僅かに残っていたスープを浚って、最後まで空腹をこらえていたレヴァインに差し出す。
「これからは私にも仕事を言いつけてちょうだい」
そう切り出しながら。
シェヴィンが狩りに行っている間、ウェイデルが体を譲ってくれる事がある。
ライガの召還術を使えば旅はずっと楽になるのだが、約束を守ってシェヴィンのいる所ではライガは大人しく引っ込んでいるのだった。
ライガとしてはウェイデルが最大の危機を乗り切るまでの間、誰かに傍についていてもらいたくてシェヴィンにあんな提案をしたのだが、まさかウェリアの果てまで彼らと行動を共にしようと決意するとは考えもしなかった。
これからずっと、と思えば思う程、自由に体を使う事ができない欲求不満というか、やりきれない思いが大きくなってくる。
それに、日毎に体を支配するウェイデルの力が強くなってきているようで、彼が望みさえすればいつでもウェイデルを押し込めて自分がこの体を使えるのだという余裕がなくなってきたのも原因のひとつだろう。
ウェイデルとも必ずしも上手くやっているとは言い切れなかった。
夜、横になっている時など、考えたくない事柄ばかり胸に去来して、互いに相手が犯した過ちが許せなくなり、肉声のない罵り合いになる事すらある。
ドングリを見つけて拾いあげた。味はともかくこれも貴重な食料だ。
この辺りにもっと落ちているはずだと、朽ち葉をかき分けながら、子供の頃、投擲紐の弾にしたり、笛を作ったり、独楽にして遊んだりしたのを思い出す。
よくウェイデルと拾った数を競ったものだ。勝負のつかない駆けっこや腕相撲に興じたように。
『どうしてわざわざ二つの体に生まれたんだろう?』
同じ事を思い出していたらしいウェイデルが、何度も繰り返した問いをまた投げかけた。
こうしてひとつの体を使う事になるのなら、どうして魂を分け、二人分の体が用意されたのか?
同じ体を使うようになった今も、二人分の魔力を一度に使う事ができないのはなぜか? 問い始めれば切りがない。
今はただ、どこかに彼らの望みを果たす方法を知っている誰かがいる事を、あるいはどこかでその方法を記した書物が見つかる事を祈るだけだ。
フェヴェーラから返して貰った短剣でウサギを捌く途中で、シェヴィンの手が止まっていた。
またアシェラトの事を考えているのだろうか。それとも、ライガの事を。
ウェイデルは直截その疑問を口にせず、シェヴィンの注意を現実に引き戻そうと話しかける。
「本当に一旦村へ戻らなくてよかったのか?」
「バーカ。オレはそんな事を考えてたんじゃねェよ。どうすりゃ少しでも新しい弓の使い心地をよくできるかって思ってたんだ」
シェヴィンを祭殿から樹海へ転送した時、女神は弓や剣まで一緒に送る事を思いついてくれなかったらしい。背中の矢筒に入っていた矢は無事だったものの、愛用の弓を失くしたシェヴィンはひどく気落ちしていた。
レヴァインがヴェインの民の持ち出していた数張りの弓のひとつを進呈してくれたのだが、どうにも使い勝手が良くないのだ。
「それにオレの口から親父とお袋……ジェエル、サミア、エデュラの家族に事情を説明するなんて……」
それが自分の義務とも思うのだが、せめて彼自身が冷静に彼女達の事を考えられるようになるまで勘弁して欲しいと思う。
だから読み書きが得意でないのに、ウェイデルに手伝って貰って何通も手紙を書いたのだ。
王国では遺体を先祖代々の墓に祀らないと死者に平穏が訪れない、などと信じている土地もあると聞いていたシェヴィンは、死者はなるべく早く煙にして女神のおわす天に送るという自分達の風習をありがたいと思った。
それに、ミリア達はレイリアとレヴァインを自分達をさらった怖い人達と同一視していなかったので、手紙のみならず少女達をも、東へ向かうという彼らに託してしまった。
失意の底にいたフェヴェーラと一緒にいるとウェイデル……というか、本当はライガなのだろうが、から硬く口止めされていた真実、本当の意味でライガが死んだ訳ではないという事を漏らしてしまいそうだったのもある。
ライガの為に何かをしてやるという事に抵抗は感じたが、フェヴェーラにとってその方がいいと思うのはシェヴィンも同じだ。
「それよか、もっと火を大きくしろよ。そんなちっさい焚き火じゃちゃんと肉が焙れないだろ?」
落ち込んだ気持ちをひきたてるようにちょっと高飛車な物言いをする。
ウェイデルが黙って薪をくべるのを見やって、ウサギの始末を再開した。
最後までおつき合いくださった方、ありがとうございました。
<え? これで終わり?>と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
ウェイデルとライガの状態にも、シェヴィンとの関係にも決着はついていないし、フェヴェーラだって……、と。
けれどこの話はタイトル通り<はじまり>の物語ですから。
混沌への回帰という悲願を捨てたヴェインの民の、様々な呪縛から解き放たれたレヴァインとレイリアの、みずからの命と引き替えにしてまで守ろうとした相手との別れを経験したフェヴェーラの……
そして、色々な意味での変化を受け入れざるを得なかったウェイデル・ライガ・シェヴィンの新たな旅立ちに立ち会っていただいて、完結となります。
いつの日か、彼らのその後を語る事ができれば、とは思っていますが。
明日からウェリアを舞台にした別主人公の物語を公開していきます。そちらにもお付き合いいただければ幸いです。
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