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54 炎の柱 3

『ライガ……』

 応えはなかった。ライガは雨に打たれながらどんどん樹海へ入って行く。

 ウェイデルは精神を集中させて足を止めようとしたが、ライガに軽くいなされた。

『ライガっ!』

「うるさい! 叩きのめして、もっと深い場所に沈めてやろうか?」

『そんなつもりはないくせに……』

「どうしてそんな事がわかる?」

『わかるさ。いつでもそうできたのに、おまえはまだそうしていない。

 それはおまえがこの体を俺の物だと認めているからだ』

「だからといって……」

 立ち止まって声を(あら)らげたライガは両拳を握りしめてしばらく大きく肩を上下させていたが、少し落ち着いた声音で切り出した。

「だからといって私が肉体のない幽霊でいる事に満足していられると思うのか?

 死者としての平安も、生者としての楽しみもない。おまえの人生の傍観者として、獄屋の窓から外界を(のぞ)き見る囚人のように存在し続けろというのか?」

 自己を律する事もできずに宝石(いし)の魔力に取り込まれ、自分をこんな立場に置いたウェイデルが憎らしい。

 だが、ウェイデルがそうしたのは、そうせずにいられなかったからだ。そこまで彼を求めた半身がたまらなく愛おしくもある。

『俺には……耐えられないな。そんな存在の仕方』

「僕は死んだはずだった。死んでいなければいけないんだ。

 ……でもどうすればこの体から出て行けるのか、わからない」

『ひとつに……本当にひとつになれたのならよかったのに。生まれる前のように。ウェイデルでもライガでもなく、ひとつの魂として生きていけるなら』

「そうだな」

 一瞬、二人の魂が響き合い、ひとつの波長のように重なった。

『方法があるはずだ。分裂していたおまえの人格が統合したように俺達も……』

「元々ひとつの魂だったはずだから……か?

 だが、それはどうかな。二人の人間として持っている別々の記憶、ひとつの事象に対するそれぞれの感情。ひとつの体を使っていた精神が分裂したのとは訳が違う。

 それに……私でもおまえでもない誰かになるのは……」

『怖いな』

 長い間どちらも黙ったままだった。

『だけど俺は幽霊として生きるのも、おまえを失うのも嫌だ。俺がおまえの中に溶けてしまうなら、その方がいい』

「あるいは私がおまえの中に溶けてしまうか。いずれにしろ、かなわぬ望みである事に変わりはない」

『どうしてそう決めつける? 賢者の塔へ行こう。きっと賢者様達が知恵を貸してくださる』

「賢者の塔か。……東の果てだな」

『俺はあそこから来たんだ。あそこで色々な事を学んだ……それとも学び(そこ)なったのかな。

 まあ、それはいい。とにかく、賢者の塔があるのは世界(ウェリア)の果てじゃない。王国の最東端というだけだ。

 もしも賢者の塔で方法が見つからなければ、 《 灰色の巨人達 》 を越えて 《 輝く野 》 へだって探しに行けばいい。

 その前にもっと西に進んで 《 炎の衝立(ついたて) 》 の地下に住むという鍛冶の小人族の知恵を借りてみてもいい。彼らは物知りで親切だと聞いている。

 そこでダメなら、更に西……炎の国へ行って千年生きるものもあるという竜達に尋ねる事だってできる』

 ウェイデルが提案したのは、世界(ウェリア)の東端から西端への、何年、何十年かかるかわからない、生きて帰れる見込みの少ない危険な旅だった。向う見ずな少年だけが語る夢のような。

 ライガはウェイデルに彼が考えてもみなかった強さがあるのを知った。

 だが最初の驚きが冷めると、自分の中で冒険への憧れがうずくのを感じる。無意識に、フェヴェーラから離れていたいという意図が働いたせいもあるかもしれないが。

「我々にできる選択は、私がおまえを抑えつけてこの体を自分の物にするか、その逆か、肉体を滅ぼして二人で死を選ぶか、妥協を繰り返しながら二人でひとつの器を使うか、だからな。

 最後のやつを試しながら、出口を探してみるのも一興か。

 我々の力を合わせれば、ウェリアの隅々まで経巡(へめぐ)る事も可能かもしれない。いつまでその不自然な状態に耐えられるか、わからないが」

「それじゃあ……」

「まずは炎の衝立、そして炎の国を目指してみるか? ひょっとすると竜騎士になれるかもしれないぞ?」

 どこか茶目っ気のあるライガの口調にウェイデルは声をたてて笑った。

「ライガ……?」

「今頃気づいたのか? ちょっと束縛をゆるめたのさ。おまえもそろそろ冷たい雨や、空腹の感触が恋しいだろう?」

 ライガに抑えられていた時はまったく感じなかったのだが、言われてみれば体は冷えきり、空きっ腹がしくしくし始めている。

「意地が悪いな。それとも、こうやってまた自分の声が聞ける事を感謝しなくちゃいけないのか?」

「意地が悪い、か。私は黒魔術師としての人格とも統合してしまったからな。切り捨てるのでなく。

 心のどこかで、常に誰かの苦しみを糧として力を得ようとしているのかもしれない」

「そんな……。だったら……だったらどうして俺を自由にする? 俺なんかずっと閉じこめておけばいいじゃないか」

「地下室の囚人には時折、外の光と自由に吹きゆく風を与えてやるのがいい。

 そいつを取りあげられた時のみじめな有様、二度と手にする事ができないかもしれないという絶望、それでも、また情けをかけてもらえるかもしれないという(はかな)い望みに(みずか)ら命を絶つ事すらできない宙ぶらりんな希望と不安を鑑賞するのは格別だからな」

「ライガ……」

 近くに ―― 体を共有しているのだからこれ以上の近さは考えられない ―― いるのに、ライガが遠い存在のように思えた。

 ウェイデルが保護者とはぐれた子供のように狼狽(うろた)えるのを感じて、ライガはクツクツと笑いだす。

「それに思っていたより、おまえの意志を封じておくのは大変らしい。おまえの方がこの体に馴染みがいい、という事なんだろう」

 さっきの暗く重い口調を反転したような軽く明るい話しぶり。それなのに、ウェイデルはライガの心が(きし)むのを感じた。

「下手な冗談だ。

 シェヴィンに聞かれたら頭を(はた)かれるぞ、つまんねーこと言ってんじゃねェよ、って……」

 シェヴィンの名を口にした事で無意識の防御が崩れる。目に熱いものが込みあげてくるのを感じたウェイデルの言葉が途切れた瞬間、ガサリと茂みが鳴る音がした。

「誰だっ?」

 とっさにライガは背景に退き、傭兵の習慣で鯉口(こいぐち)を切った剣の柄に手をかけたウェイデルが警戒しながら(やぶ)をかき分ける。

「オレだよ」

 地面に伏せていたシェヴィンが苦り切った表情で立ちあがった。

「シェヴィン?」

 驚きに動きを止め……喜びに顔を輝かせ……安堵(あんど)に力が抜けていく。近くの幹に片手をついて体を支えたウェイデルは、涙を隠すように何度も前髪をかきあげた。

「よかった……。てっきり俺が……ヴェインといっしょに……」

 シェヴィンはそんなウェイデルを胡散臭(うさんくさ)い物を見るように上から下まで()め回す。

「シェヴ……?」

「ウェイデル……だよな。どう見ても」

「シェヴィン?」

「聞いてたんだ。アンタがいつもとまるで違う話し方で、見えない相手としゃべり始めた時から」

 シェヴィンの泣き()らした目と言葉を切って恥ずかしそうに顔をそむけた様子から、地面にうつぶせになっていた理由が推測できた。

 泣き疲れて眠っていたら、二人の声で目が覚めた。奇妙で訳のわからない事態に出るに出られず聞き耳をたてていると、自分の名を呼ばれてつい体が動いてしまった、といったところか。

「たまたまオレが……」

 突然言葉を切ったシェヴィンの右手がゆっくりとあがっていき、銀の髪をかきまわす。

「たまたま……?」

 自身の言葉を繰り返して怪訝(けげん)な表情で動きを止め、数瞬後、天啓(てんけい)を得たかのように身を震わせた。

「違う、そうじゃない!」

 銀色がかったような翡翠(ひすい)の瞳がウェイデルを……否、彼の両眼を貫き通り越して、世界の彼方を見据える。

「偶然にしては出来すぎてる。アシェがオレを送り届けてくれた場所にアンタが現れるなんて」

 くしゃりと歪む、顔。今にも泣きだしそうで、それでいて……。

 ウェイデルはその、どうにも形容し難いシェヴィンの表情を見ているだけで息がつまりそうになった。

女神(セグラーナ)がこれを仕組んだんだ。そうとしか……。

 ちくしょう! セグラーナはオレに何をさせたいんだ? 何の為に……?」

 その質問に答える(すべ)はウェイデルにはない。解答を期待されてもいなかっただろうが。

「シェヴィン……アシェラトは……?」

 かすれた声でしぼり出された問いに、(いら)え渋るように伏せられる顔。

 長い……沈黙。

「死んだ……」

 ようやっと()らされた言葉がウェイデルの心を(えぐ)り、鋭い痛みを与えた。覚悟はしていたはずなのに。

 そして、思い出したように浴びせられる激昂(げっこう)した友の声。

「死んじまった! ライガが殺したんだ! ライガが、アンタの兄弟が……。

 それとも、オレの前にいるのは……」

 シェヴィンはウェイデルを凝視したまま一歩さがり、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「アシェの……仇なのか?」

 雷撃がウェイデルの心を撃つ!

(アシェの……仇……)

 自らの胸の(うち)で繰り返した言葉に再度打ちのめされ、それでもウェイデルはシェヴィンに歩み寄ろうと足を踏み出した。

「シェヴィン 、聞いてくれ……」

「答えろ! おまえは誰だ?」

 だが、その手が放つ矢のようにピシリと突き立った問いが、ウェイデルの足をその場に縫いつける。

「ライガだ、と言えば、目の前にいる男を殺すのか?」

 シェヴィンの眼前にいる男の声の高さが、抑揚が、眼差しが、物腰が、(かも)される雰囲気が、変わった。

『ライガっ! 一体何をする気……。

 シェヴィン、聞いてくれ……!』

 視覚と聴覚からの入力を残して、体と意識との接続を断たれたウェイデルの声はシェヴィンには届かない。

「これは、おまえの友の身体(からだ)だろう?」

「ラ・イ・ガ……」

 シェヴィンの唇が苦々しげにその名を絞り出した。

「本当に……本当に、ウェイの中にいるのか?」

 戸惑いを浮かべつつも、きつく(にら)みつける視線にたじろぐ事なく、黒煙のような瞳をした男がシェヴィンを見返している。超然と。

「どうやらそうらしい。だから……私の犯した罪が(あがな)えるものだとは思っていないが、とにかく謝罪させてくれ」

 淡々とした物言いはヴェインの祭司長として長く暮らしたゆえの習慣……感情的な負荷に対する自己防衛……でしかなかったのだろう。

 けれど、非情とも見えるその言動はシェヴィンの神経を逆撫でした。

 (おそ)れと(おび)えもあったのかもしれない。ほんの一瞬で一人の男の人格(なかみ)が入れ替わってしまった、怪奇現象と呼びたくなるような出来事への。

「ふざ……けるなっ!」

 反射的に拳を繰り出したシェヴィンだったが、怒りに我を忘れて遮二無二(しゃにむに)振るわれたそれは容易(たやす)(かわ)される。

「謝罪だって? そんな言葉で……」

「すまなかった」

 すっと膝を折ったライガは両手をついて額を地にすりつけた。

 虚を突かれ、言葉をなくしたシェヴィンが呆然と立ちすくむ。

「僕が自分の体を持っていたら、殴るなり蹴るなり……殺すなり好きにしてくれと言っていただろう。

 だが、これはウェイデルの体だ。僕の自由にする訳にはいかない」

 ()いつくばったまま言葉を(つら)ねるライガのまとう雰囲気はさっきまでと違っていた。

 落ち着いた、低く(ささや)くような話し方は同じだが、単に一人称が変わっただけではない、と思わせる何かを感じた。はっきりと嫌いなのは前の方だが、どちらがより苦手かと問われれば答えに(きゅう)する。

「ウェイを……くそっ、なんて言えばいいんだ?

 さっきオレとしゃべってたのはウェイだろ? ウェイを出せよ! オレは……」

 シェヴィンは自分の気持ちを言葉に出来ないもどかしさに意味もなく手を振り回した。

「アンタと話してると、ぶっ殺したくなってくる」

 物騒な科白を投げつけても、ライガはただシェヴィンの視線を(とら)えようと顔をあげるだけ。

「僕はすぐに引っ込むよ。でも、ひとつだけ言わせてくれ。

 僕が中にいるからといって、ウェイの本質が変わった訳ではない事をわかって欲しい。ウェイはウェイなんだ。今まで通り、ウェイと接してやってくれないか?」

 シェヴィンはそむけた顔を苦しそうにゆがめ、拳を握りしめた。

「オレだって……そうしたいさ。けど……」


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