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53 炎の柱 2

 炎の柱は現れた時同様、突然消え去った。

 地下の一部と地上二階層くらいまでの外周部だけを残して岩山(ヴェイン)も消え去っていた。

 巨大な窪地(くぼち)に激しい雨が降り注ぎ、しばしの間、白い蒸気を立ち昇らせる。

 窪地が冷めて雨脚が弱まった頃、浅い水溜まりとなったその底で、彼は意識を取り戻した。

 うつぶせに倒れていながら顔が水につかっていないのは彼の頭が、横たわっているもう一人の腰の上に乗っていたからだ。何度か(またた)いて目を開け、僅かに顔をあげる。

 暗い。だが、明かりのない地下室や夜の暗さではない。すべての色彩がくすんではいるが、物の形は見分けられる。眼に流れ込んだ水のせいで、ようやく肌を叩く雨を認識した。

 視界、思考、記憶、何もかもがぼうっとしている。何も考えられぬまま、ゆっくりと上体を起こし周囲を見回した。

 仰向けに倒れた女の体。見慣れた服、見慣れた体の線、顔の上に別の頭が被さっている。(はら)を長剣で貫かれた男、最前まで彼が顔を乗せていた男の頭が。

 記憶がにじみ出してくる。思考する力が戻ってくる。

「馬鹿な……!」

 彼は自分の体を見おろす。旅行く傭兵の衣服を、手綱や剣を扱い慣れた荒れた両手を、指にきらめく赤い石を。首の後ろに手をやり、肩につかぬよう切られている髪を確かめる。

「そんな事が……」

 恐慌に囚われながら眼前の男の死体をひっくり返した。

 額に細い銀環、肩胛骨までのびた髪、指に青い石の指輪。

 その時、今まで身動きしなかった女がピクリと動く。即座に、彼は自分の置かれた状況を忘れた。

「フェル!」

 喜びの涙が(あふ)れる。

「フェル……フェル!」

 まだ目覚めぬフェヴェーラの手を両手で包み、彼女に(かぶ)さるように身を折って、誰はばかる事なく泣いた。

 彼女の手はあたたかい。服の裂け目から(のぞ)く肌は傷ひとつなく、鼓動は力強く一定で、おだやかに呼吸している。

(フェルは生きている!)

 その単純な事実にうれしさのあまり気が遠くなりかけた。

「フェヴェーラ……」

 その声を発したのが自分ではないと気づいて、ぎょっとした。

 眠っていた別の意識がふくれあがり、彼を背景に押しやる。

「なんだ? 一体どうなって……。俺は……」

 ウェイデルは知らぬ間にフェヴェーラの手を握っていた事の不可解さに困惑し、顔をあげた。

「雨?」

 己が全身ずぶ濡れである事にすら気づいていなかったウェイデルは、空を仰ぎ見て愕然(がくぜん)とする。

 空が見える!

 祭殿の天井があるべき場所に。

 ライガをよみがえらせる力を求めてふたつの魔石を共鳴させ、長い間封印するよう努めてきた力を解き放ってしまったのを思い出した。

 目にする事になる物を恐れ、その目に何かが映る、いや、映らない事を確かめる(たび)(おのの)きながら周囲を見回してゆく。

 数多(あまた)あった祭殿の柱、妖魔の死体、傷つき倒れていたヴェインの民、すべてが消え失せ、ヴェイン全体が巨大な穴と化している。

 彼とフェヴェーラと ―― 見ただけで命の灯が消えている事が明らかな ―― ライガの他に人影はない。シェヴィンの姿も、アシェラトの姿も。

 恐怖が雪崩(なだれ)となってウェイデルを襲った。自分がしでかしてしまった事の恐ろしさに感情が麻痺し、頭脳が思考する事を拒否して真っ白になる……

「ウェイ」

 どこからか声が聞こえた。彼と眠っているフェヴェーラの他には生者のいない奈落で。

「僕だ、ウェイ、ライガだ」

 その科白は彼自身の口から発されていた!

 衝撃がウェイデルの意識をなんとか口がきける水準まで引き戻す。

「ライガ……? さっきしゃべったのは、俺か? それとも……」

「ちょっと体から力を抜いていてくれないか。そうしたら説明してやるよ」

「ライガ! 何がどうなってるんだ? 俺にはさっぱり……くっ」

 電撃がウェイデルの魂を(しび)れさせた。

「力を抜いてくれと言っただろう? 体を使わなければ話ができない訳ではないが、とりあえずこの方法をとった方がおまえが納得しやすいだろう」

(なんだ? さっきの痛みは?)

「この体の主導権を得る為にちょっとした攻撃をしかけた。まったく同じという訳ではないが、今の状態に一日(いちじつ)(ちょう)があるんでな。

 まあ待て。ちゃんと説明してやるから。

 だが、その前に……」

 ライガはなんとも妙な気分になりながら自分(ライガ)の死体から引き抜いた(ヴィズル)を ―― 今使っている体の ―― 腰の鞘に収め、青い石の指輪を左中指にはめた。

 増えてきた水に耳までつかりながら眠り続けているフェヴェーラを抱きあげる。

 幸いにも形を残していた階段を使って地上第一層へ出、内側の壁はなくなっているが、まだ天井の大半が残っている部屋の床にフェヴェーラを横たえた。

 家財のすべては上昇気流に吸い出されてしまったらしい。

 失われた物、(うしな)われた人々を想ったライガの胸で、悲嘆と怒りと喪失感と後悔……そして多分、開放感と安堵と暗い歓喜の泡が生まれて弾け、混じり合って無色の結晶になった。終生心を刺し続ける小さな(とげ)に。

 ウェイデルの精神の大半は、まだ雪崩の下に埋もれたままだ。そうして冷たい雪に感覚を奪われていなければ、罪の意識に圧し(つぶ)されていただろう。

「待たせたな」

 ライガはフェヴェーラの横に腰をおろし、溜め息をつきながら壁にもたれた。

「だが、説明の必要はなくなったか? 私がこの体を使っているのを感じて、おまえにも状況が飲み込めてきただろう?」

 ウェイデルが(うなづ)いたように感じて、ライガは目を閉じた。

『心話の要領で話せばいい。外ではなく(うち)に投げかける事になるが』

『つまり、俺は……俺達は……』

『一つの体を共有している。それも私がそうだったように人格が分裂したのではなく二人の別個の人間として』

『そうだった?』

『一度死んで別の肉体(うつわ)に宿ったせいかどうか、どうやら私の人格は統合したらしい。

 それともすべての人格が単一の狂気に(おか)されたのか』

『狂気?』

『おまえはどう思う? おまえにはどう感じられる、今の私が?』

『わからない……。おまえは俺が知っていたライガじゃない。

 それは当然だ、俺だっておまえの知っていたウェイデルじゃない。人はいつまでも子供のままじゃいられないんだから。

 ……月香樹の村やデイロスの(ほとり)で会った時とも感じが違う。あの時はあまりにも混沌としていて……』

『それで今は?』

『今は……いくらか混乱はしているようだが、妙に落ち着いている。

 俺と反対だな』

 自嘲(じちょう)とも皮肉ともつかない笑みが、二人が共有している唇をゆがめた。

『私はおまえより先に覚醒したからな。さっきも言ったように似たような状態を経験済みでもある。

 それともそう思いこんでいるだけで、実は分裂したおまえの人格なのかもしれないが』

『なんだって?』

『私は、ライガを失う事に耐えられなかったウェイデルが無意識に作り出した疑似人格かもしれないと言っているのさ』

『馬鹿な……』

『あり得る話だ。この仮説の難点は私が、ウェイデルが知りようのないライガの記憶を持っている、という点だが』

 ウェイデルの精神(こころ)波長(ひびき)が、ほっとした事を示している。

 ライガはその波長をすぐ隣に感じられる ―― それとも内包している? 内包されている? ―― 事がとても心地良いのに気づいた。自らの肉体を抜け出した魂はこの波長に惹かれて、自分の物ではない体に入り込んでしまったのだろうか?

 それなら自分はいつでもこの肉体(ウェイデル)から出ていけるのだろうか?

 違う!

 体を共有する羽目になったのは断じて自分の意志ではなかったという確信がわいてくる。そして呼び声を、狂おしく彼を求めるウェイデルの叫びを思い出した。

『おまえだ……!』

 刺すようなライガの思惟(しい)にウェイデルの魂がギクリと震えた。

『おまえが僕をつかまえたんだ。指輪の力で、ヴィズルの魔力で。おまえが僕をこの器に縛りつけた!』

『俺が……? 俺はただ……』

『おまえはただ願ったんだ、<俺の魂の半分を、返してくれ!>と』

 ライガの怒りと悲しみの波がウェイデルを襲う。

『おまえにわかるか? 僕がどれ程の誘惑にさらされているか』

『誘惑だって?』

『私がこの体を動かしていた時、どんな気がした? 肉体を失った幽霊でいるのはどんな気分だった?』

『それは……』

「このままずっと私がこの体を使いたいと言ったら?」

「ライガ! ううっ……!」

 肉声を使ったライガに触発されて体を動かしたウェイデルは痺れるような痛みに魂をすくませた。

「魔術や心の領域では私に分がある。こうやって一生おまえを心の檻に閉じこめておく事もできるはずだ。そうすれば……」

 ライガはフェヴェーラの寝顔に手をのばし、そっと頬に触れた。痛い程の愛といっしょに涙があふれ、苦悩に顔がゆがむ。

「フェル、君はウェイデルの姿をした僕を見て、どう思うだろう? あるいは幽霊となってウェイデルの中に存在する僕を?」

『ライガ……』

「だめだ! この体じゃあ。この姿でフェルに会うなんて……」

 言うなり立ちあがったライガは足早に部屋を、ヴェインの残骸(ざんがい)を後にした。フェヴェーラを残して。


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