50 魔石と魔剣 2
その間、祭殿を縦断したライガは放置されていたヴィズルを拾いあげた。重さを試すように片手で軽く一振りしてから、ふたつの魔石に掌が当たるように両手でぎゅっと柄を握りしめる。
全身を走る戦慄。
薄く笑いながら深い息を吐いたライガの傍で、その一挙手一投足を食い入るように見つめていたフェヴェーラがへなへなと床に座り込んだ。
「私は、間に合わなかったのですか、ライガ様……?」
誰にも聞こえぬほど小さな呟き。
「部屋へ戻れと言ったはずだぞ、フェヴェーラ」
「私を見てください、ライガ様! 手をとってフェルと呼んでください。そうなさってくださればご命令に従います」
フッとライガの表情がゆるむ。
右手にヴィズルを持ったまま、左手でフェヴェーラの手をとった。さっとその甲にくちづけると、ライガの手はフェヴェーラの腕をたどり、軽く肩を抱く。耳元で囁かれた声はさっきまでと打って変わり、とてもやさしい。
「どうしたんだい、フェル? 子供のような事を言ってないで、僕の頼みをきいてくれ」
しかし、ライガの瞳にやさしさはなかった。
フェヴェーラの頬に静かな涙が伝う。
「ち、がう。……違う。どこに……私の知っているライガ様はどこにいらっしゃるんです?」
「僕はライガだよ、フェル。
ただ今までは黒魔術を使う時にしか表面に現れなかっただけでね。君が一番よく知っているライガは眠っているんだ」
舞台の下で交わされた会話にウェイデルは、アシェラトの手当を始めたシェヴィンから自らの半身へと向き直った。
「ライガ、おまえは逃げ出したのか? 自分自身から……」
ライガはウェイデルと視線を合わせ、なだめるように笑ってみせる。
「奴を責めるなよ。アイツは助けようとしたのさ。おまえとフェヴェーラを。
だがその為にはザインを殺るしかないと結論した時、自分にはできない事を思い知った。だからさ」
「俺を……助ける為だと?」
ウェイデルの目が険しく細められた。
「アシェラトの件はどうなんだ?」
「知るものか、と言いたいところだが、もう一人の私の意を汲んで謝罪しておこう。
妖魔共は頭が悪くてな。一刻も早くザインを仕留めろという命令を忠実に実行したに過ぎない」
「ふざけるなっ! 俺は……俺はアシェラトを助けに来たんだ。それをおまえは……」
「許せないか? だったらどうする? おまえを守ろうとして長い間苦しみ続けてきた半身を殺すか?
もっとも、魔剣が私の手にある今、おまえにそんな事ができる訳はないが」
ライガは切っ先をウェイデルに向けてヴィズルを構えた。
「おまえは扱い切れていないようだが、私ならこいつを使って死なない程度におまえを傷つける事もできる。そうして欲しいのか?」
その時、シェヴィンの叫びが響き渡った。
腰の小物入れから取り出した軟膏を二列に並んだ噛み傷に塗り込んだシェヴィンはその行為のむなしさを痛感していた。あふれ続ける血を止めなければアシェラトは助からない。彼に妹のような治療能力がないのが悔しかった。
だが、だからといって何もせずあきらめてしまうのは彼の主義に反する。
煮立った湯も酒も、火さえなかったが、繕い物用に携帯している針と糸で傷口を縫い合わせようと決心した。
兄の説明に黙って頷いたアシェラトは目を閉じて微かに唇を震わせ、声のない祈りを捧げ始める。正式の祈りを知らないシェヴィンは心の中で女神の名を繰り返した。
針先を妹の皮膚に触れようとした瞬間、アシェラトの体がひくつき、次いで激しい痙攣が走る。運悪く催眠剤の効力が切れてきたのだ。
「くそっ! アシェが……アシェラトが死んじまう。誰か助けてくれ。ウェイ! フェヴェーラ!」
その叫びを聞くや否や、短剣を抜いたウェイデルはライガの顔を狙ってそれを投げ、彼自身も跳んだ。
ヴィズルを使って短剣を払いのけたライガは、着地と同時に体を前に投げ出して足下に滑り込んできたウェイデルに両足を抱えられ、そのまま後ろへ倒される。衝撃から立ち直る暇のないうちにウェイデルの体がのしかかってきた。
強く握られた手首に、骨が折れるかと思える程の痛みが走り、ヴィズルを取り落とす。
「祭司長様だかなんだか知らないが、実戦で鍛えた傭兵を舐めるな。魔法だけが力のすべてじゃないんだ」
目の前に迫るウェイデルの顔。怒りと悲しみと後悔と決意が入り混じり、たとえ難い迫力があった。
「アシェラトを助けろ! ヴェインにも治療師はいるだろう。祭司やおまえの魔力を合わせれば……」
「それがおまえの望みならそうしてやるさ。大事な半身の頼みだ。だが、命を贖えるのは命だけだ。どんな強力な魔力もそれだけでは役に立たない。
あの女を助ける為には贄がいる。他の人間の命が。おまえにそれが耐えられるか?
いや、そうやって生きのびる事をあの女が望むと思うのか?」
ウェイデルはその問いに答える言葉を見つけられなかった。
黒魔術に真の救済などあり得ない事は最初からわかっていたはずなのだ。
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