05 邂逅(かいこう) 3
「ハァー……」
大げさな溜め息をついてシェヴィンが馬車から飛び降りた。
「助かった。矢が失くなっちまったとこだったんだ」
「フン! おまえの腰の剣はお飾りだからな」
「違いない。弓の半分も剣が使えりゃあ、俺達のお荷物にならずにすむってのに」
バドとデイルが仲間内では一番劣るシェヴィンの剣の腕をからかった。
お荷物どころか、倒した盗賊の人数が一番多いのがシェヴィンなのだが。
今回の戦いに限らず皆何度も目の前の敵をシェヴィンにかっさらわれ……いや、窮地を救われていつもおいしい所を持っていく同僚に深い感謝の念を抱いているがこその軽口と言える。
「言ってくれる! なんなら今からひと勝負といこうか?」
シェヴィンの方も心得たもので、ムキになって反論するフリはするものの決して本気ではなかった。
「みんな無事か?」
「ライツがやられた」
頬から流れる血をぬぐいながら発されたサバラスの問いに、自らも右腕を負傷したコリンが答える。
ひざまづいたコリンのかたわらに御者のライツががうつぶせに横たわっていた。大地に左頬を押しつけ、色の薄い髪が汗ばんだ額に張りついている。
「う、うう……」
血の気の引いた唇から苦しげな声がもれ、その背中は一面血に染まっていた。
「私が……」
馬を降りた巫女が駆け寄り、ライツの衣服を裂いて傷口をあらわにする。
骨には達していないようだが、右肩から腰近くまで大きな刀傷が走り、どくどくと血が流れ出していた。
「これは……」
キュッと唇をかんだ巫女は厳しい表情で逡巡し、弾かれたように顔をあげて振り向く。
「あなた……」
巫女の視線はヴィズルを鞘に納め、馬から降り立っていたウェイデルに向けられた。
「魔法が使えるんでしょう? 手伝って」
「な……」
驚いたのはサバラス達だった。彼らは単に若いが腕の立つ男としてウェイデルを知っていたのだ。魔法使いだなどという話は初耳だった。
それは西域においては巫女や神官でもないのに魔法を使う手合いが、邪な胡散臭い存在とされているせいだ。
「俺は治療魔法はあまり……」
得意じゃない、と言おうとしてシェヴィンに背中をどやしつけられた。
「アシェに任せてりゃいい。アンタは言われた通りやりな」
「右手を肩に」
「え……」
「私の肩に右手をかけて。あなたの魔力を右の掌に集中して」
「わかった」
ウェイデルは巫女のかたわらに片膝をつき、指示通りその肩に手をかけると目を閉じた。声に出さずに心を落ち着かせる呪文を唱え、意識を集中する。
ウェイデルの掌から魔力が流れ出し、それを受けた巫女のほっそりとした身体がビクンッ! と跳ねるように震えた。
はっとしたウェイデルが慌てて力の流れを断ち切るとあえぐような声がうながす。
「大丈夫……続けて」
「しかし……」
「人一人の命がかかっているのよ!」
巫女の叱責に再びウェイデルの魔力が ―― さっきよりいくぶん控え目に ―― 流れ出した。
指を拡げた両手を傷口にかざした巫女の唇から魔詩が紡ぎだされてゆく。
「生命の水よ 赤き髪 赤き衣の乙女らよ
静まれ 止まれ 留まりおれ あたたかき器の内に
汝らの周りに高き堤は築かれたり……」
「血が……止まった」
皆のどよめきをよそに巫女は新たな節へと移っていった。
「見ろ、傷口が……傷がふさがっていくぞ」
両手を下ろした巫女が大きく息をついた時、ライツの傷は太いみみず腫れのようにしか見えず、息づかいも穏やかになっていた。
巫女の呼びかけに応じてコリンも恐る恐る負傷した右腕を差し出し、こちらはさしたる時間もかからずに傷をふさぎ終える。
手の甲にちょっとした切り傷を負っていたデイルの後、頬の手当を受けたサバラスはてきぱきと指示を与え、二人の御者がライツを箱馬車の中へと運び込み、他の者は盗賊共の死体を片づけ始めた。
「大丈夫か?」
ウェイデルは小さく息をあえがせている巫女が立ちあがるのに手を貸した。
「ありがとうございます、えっと……」
「ウェイデルだ」
「私はアシェラトと申します、ウェイデル様」
「よしてくれ、俺は様付けで呼ばれるような人間じゃない」
「いいえ、あんなに強い魔力に触れたのは初めてですわ。それなのに私ったら、いきなりぞんざいな口をきいてしまって……」
「何の話をしてるんだ?」
皆がアシェラトの治療術に気を取られている間に矢を回収していたシェヴィンが戻ってきて口をはさむ。
「シェヴィン! 私この方に……」
「とにかく、ここじゃなんだ。ちょっとあっちへ行こうぜ」
シェヴィンは胸に飛び込んできたアシェラトの肩に手を回し、木立の方へ顎をしゃくった。各自の作業をこなしながらも、皆の注意は痛い程の視線となって彼らに向けられている。
「そうね」
「ウェイ、おまえも」
「ああ」
ほんの少し道を外れただけで、深くつもった朽ち葉に足が沈み、光が薄れる。葉ずれの音さえ増すようだ。
三人はひときわ大きな木の下にできた僅かばかりの空き地に立った。
「で、何をそんなに興奮してるんだ、アシェ?」
「何をって……シェヴィン、わからないの? ……いえ、無理ね。あなたにその能力はないんだった。
でも、これでわかったわ、セグラーナがお告げをくだされた理由……」
「お告げ?」
「そうよ。<運命に出逢う為、東から大きな力がやってくる>って。だから私、それが何なのか確かめたくって……」
「それで……」
シェヴィンは一瞬ポカンと口を開けてから先を続けた。
「のこのこ独りで村を出てきたってのか? 何を考えてんだ? おまえは!
……ったく、セグラーナの巫女に選ばれたからって、いい気になって。一体自分にどれだけの力があると思ってるんだ? 大の男だって、村の外に出るときは武装して徒党を組むんだぞ。
第一、おまえがいなくなったら村の結界は……」
「ごめんなさい……」
アシェラトはさらに説教を続けようとするシェヴィンを制して深々と頭をさげた。
「でも、結界はちゃんと神官長に頼んできたわ。少し、瞑想したいからって……。
それにシェヴが帰ってきそうな予感もしてたの。だから私、少しでも早く逢いたくて……」
「もういい!」
吐き捨てるように言って、シェヴィンはくしゃくしゃと頭をかいた。
「今更言ってもしょうがない。だけど、もう二度とこんな真似はしないでくれ。いいな」
「わかったわ。ありがとう、シェヴィン」
アシェラトはシェヴィンの両手をとって、にっこりと微笑んだ。
「どーせ、おまえには勝てないさ。
で、一般人のオレにもわかるように説明してくれないか? <大きな力>って、なんなんだ?」
「彼、とてつもなく強い魔力を持っているのよ」
ウェイデルはまっすぐに彼を見つめ、言い切るアシェラトの言葉にたじろいだ。
その無言の狼狽ぶりがなんとなく可笑しくて、シェヴィンは声をたてて笑ってしまう。
「笑い事じゃないのよ!」
きつい眼で睨みつけるアシェラトの勢いに今度はシェヴィンがたじたじとなってしまった。
「いや、悪い。別におまえの言う事を信じてないわけじゃ……。ただ、ウェイの奴があんまり……」
だんだん声が小さくなって、消えてしまう。
その様子が母親に言い訳をしている子供のようで、ウェイデルは懸命に笑いをこらえなければならなかった。
アシェラトはシェヴィンより半スパン以上背が低いのだが、腰に手をあて、まるで見あげているのではなく、見おろしてでもいるかのような態度で話を続けた。
「さっき彼の力を受け入れた時、身体がバラバラに弾けてしまうかと思った。その前にも強い波動を感じたけど、剣の魔力だと思っていたから……。
でも、そうじゃなかった。あの剣を共鳴させられるほど彼の力が強いって事だったのよ。
わかっていれば、もう少しお手柔らかにって頼んだんだけど」
最後の科白はウェイデルに向けられていた。ウェイデルは言葉を探すようにまばたきし、親しげに微笑みかける瞳がシェヴィンと同じ、月光を映したような翡翠色であるのに気づく。
「魔力を抑制するのは苦手なんだ。だから余程の事がない限り使わないようにしてるんだが。結局かなり負担をかけてしまったみたいで……すまなかった」
「使えと言ったのは私ですもの。私一人の力じゃ、あの人を助けられなかった。それに女神のお恵みでなんともなかったんだし」
「いや、軽率だった。なんだか色々な事が一度に起こって混乱していたんだ」
「色々な事?」
アシェラトの抑揚には盗賊に襲われたり、いきなり怪我の治療を手伝えと言われた以外に何かあったのか? という響きが含まれていた。
その、相手の微妙な感情を読みとって最低限の単語で会話を繋いでいくやり方と、片眉をあげる表情やちょっと首を傾げる様子があまりにもシェヴィンに似ていて、ウェイデルは二人を見比べながら思いついた事をそのまま口にしていた。
「きょうだいなのか?」
「アレ、言ってなかったっけ?」
シェヴィンはアシェラトの肩に手をかけ、悪戯っぽく片目をつむってみせた。
「オレの自慢の妹だ。月香樹の村の守護女神セグラーナの巫女でもある」
※半スパン(約9センチ)
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