49 魔石と魔剣 1
祭殿に集った民、およそ九百人。
期せずしてこれだけ揃っていたのは好都合だが、集会を呼びかけ始めてから入ってきた人数が少な過ぎる。文字通り布団をかぶって厄災が通り過ぎるのを待っている者達もいるようだが、外へ流れていった連中がかなりいるらしい。
(ほとんどは地震におびえて闇雲に<|いつ頭の上に崩れてくるかわからぬ岩窟>から逃げ出しただけだろうが……)
グライドが呼びかけの心話を送り、キニケンとザルツが作法に従って意識のないアシェラトを横たえている祭壇を背に、数段高い場所から民を見渡すザインは珍しく苦い表情を浮かべていた。
これから行おうとしている儀式には全住民の呪力を集めても充分ではないと痛い程わかっているからだ。
「本当に今宵この娘をお使いになるので?」
年相応に白い髪を頂いたザルツが腰をかがめ、すり足でザインの横手へ進み出る。
アシェラトは九年に一度の大祭の為、常ならぬ方法で調達した特別な贄。
ザインへの恐れをあらわにしながらも、後で責任を問われる事がないように<本当にこれはシャイア様のご命令なのですよね?>と念を押そうとしているのが明らかだ。が、ザインの蔑むような横目づかいに、弾かれたように後退さった。
「ああ、いえ……。つまらぬ事を伺いました」
(祭司の立場にありながら、ヴェインの将来への展望など一片も持たぬ。総領も継嗣も死んだと知ったらどうする?
それでも何もせず、ただ祈るのか?)
多分祭殿にいる者達の大半がそうなのだろう。
それでも命令されれば動くだけ平の民の方が使えるともいえる。
祭司やその見習い達だと命令者の資格に疑問を抱いて無意味な議論に夜を費やし、すべてが手遅れになるまで問題が先送りされるだろうからだ。それゆえザインは彼の考えがシャイアの命令であるかのように振る舞っている。
<おまえにはヴェインをまとめてゆくだけの人望はない>ライガの言葉が今更ながら胸を刺す。レヴァイン一行を追わせたアギアンと連絡がつかないのにも苛立たせられた。
(返り討ちにあったか?)
レヴァインとレイリアを見くびっていたか。
彼らを取り逃がした事より儀式に参加する術者を失った方が痛い。
ザインの物思いは突如響いた不気味な咆哮によって破られた。それらは重なり合う反響を伴って八方の階段を駆けおりてくる。
「妖魔……?」
祭殿に姿を現したのは見慣れた異界の魔獣。しかし、ザインは一瞬で危険を見抜いた。
「結界を! 我々の周囲だけでいい。急げ!」
祭壇の脇に駆け寄ったザインはできる限り簡略化した印を結びながら三人の祭司に命じる。
床にかぶさる半球の四半分にあたる見えない網が次々と紡ぎ出されていき、アシェラトを含んだ五人を覆う結界が閉じた瞬間、ザイン目指して飛んできた飛龍が結界に鉤爪をぶつけて火花を散らした。
「これは……これはどういう事です? ザイン殿」
なおも襲いかかろうと結界を引っかきながら飛び回る飛龍を、恐怖に飛び出さんばかりの目で追いながらキニケンが問う。
(ライガの枷が外れたのか?)
原因に心当たりはあってもどう答えるべきか迷った。
だが、人面鳥と一角鬼、鷲獅子までもがドスンドスンと結界にぶつかって攻撃に加わり、それどころではなくなった。
「結界を強化しろ! こんな略式のままではもたない!」
祭壇から遠い方の四つの入り口に姿を見せた翼を持たぬ妖魔共が涎を垂らして吼え哮り、何事が起きたのかまったく理解できずにいる民を震えあがらせた。
妖魔というのは祭司の命令に従うものでヴェインの民を襲うなどあり得ない、そんな思い込みを誰よりも早く捨て去った少女が高く長い悲鳴をあげる。
それを合図にしたように四頭の魔獣が祭壇に向かって突進を開始した。
ようやく身の危険に気づいた民人が祭壇寄りの出口を目指し始める。
逃げ遅れた者達が獣に弾き飛ばされ、幾人かがふっとばされた被害者の下敷きになった。同胞に突き飛ばされた者が床に転がり、無数の足に踏みつけられる。
はぐれた子供を呼ぶ声、肘や膝が他者の体にぶつかる音、苦痛のうめき、誰かにすがりつかれた衣服が裂ける音。
かん高く、あるいは弱々しく助けを求める声。泣き声、怒声、落ち着けとわめくうわずった声……
壁にへばりついていたシェヴィンとフェヴェーラの鼻先を、左右に迫る岩のせいで翼を拡げきれない一角鬼が時折階段に足をつきながら恐ろしい勢いで跳ね飛んでいった。
気味の悪い雄叫びが先行していなければ角で突き殺されなくても、まだ十数段は残っている階段を転げ落ちていただろう。
だが胸をなでおろす間もなく、下方からわき起こった叫喚が耳朶を打った。祭殿の高い丸天井で跳ね、石床に返され、数十の巨大な石柱に弄ばれて岩壁を巡り、細い通路を駆けあがってきた恐怖と痛みと絶望の叫びが。
ただならぬものを感じとったシェヴィンは手にしていた矢を素早く矢筒に戻すと、一声かける暇さえ惜しんでフェヴェーラを横抱きに抱えあげた。
「きゃっ!」
驚いたフェヴェーラが小さく悲鳴をあげる。シェヴィンの一足ごとに数段が後方に飛び去り、あっという間に出入り口から数歩横の床におろされた。
息を整えようとするフェヴェーラの目に映ったのは奇声をあげ、彼女目がけて殺到する群衆。
足がすくみ、何もかもおしまいかと観念しかけたフェヴェーラだったが、人々は彼女達を無視して出口に雪崩れ込んだ。狭過ぎる出口に入りきらず壁に圧しつけられた者、流れから弾き出されて床に投げ出された者の苦痛のうめきが重なる。
シェヴィンの判断が遅れていれば、押し寄せる人波に飲まれて祭殿から連れ去られるか、踏み倒されるかしていただろう。
「アシェ……!」
フェヴェーラと違って、いつでも戦えるよう体制を整えて周囲を見回していたシェヴィンのかすれた声が聞こえた。
ザインは祭壇にいると予測して広い祭殿をつっきる必要がないよう入り口を選んでいたから、すぐ傍に祭壇を安置した舞台がある。
フェヴェーラはザインと三人の祭司が結界を張り、魔獣の攻撃を防いでいるのを見た。
そして祭壇に横たえられた贄を。彼女の位置から顔を確かめる事はできなかったが、長い銀髪が流れ落ちている。
「ちくしょうっ!」
フェヴェーラが止める暇もなくシェヴィンはザインに向けて鋼の矢を放った。
青い火花を散らして宙に静止する矢。
それまで魔獣と結界の強化に注意を振り向けていた壇上の四人の視線が矢とシェヴィン、そしてフェヴェーラへと注がれる。ストンと落下した矢がザインの足下に転がった。
「フェヴェーラ!」
だがその名を呼んだのは壇上の誰でもない。頭と背に角をはやした六本足の獣を従えて舞台の正面、最も遠い入り口から大股に、けれどゆったりとした様で歩み寄ってくる長身の男だった。
「ライガ様……!」
「フェヴェーラ、シェヴィンを連れて自分の部屋に行け」
冷たい、有無をいわせぬ口調。歩調をゆるめる事も速める事も、彼女と目を合わせる事すらせず下された命令に、恐怖と一体になった不安がフェヴェーラを襲う。
何か言いたそうにはしているものの、シェヴィンも口を出せないで立ち尽くしていた。
追い立てられていた群衆は、傷つき見捨てられた者を残して姿を消し、いつの間にか妖魔の動きも止まっている。
「結界を解け」
三人の祭司達は反射的にその命令に従った。
近づいてくるライガの眼がひたとザインを見据えているのに気づくと、じりじりとザインから遠ざかってゆく。
素早くシェヴィンの禁呪の首環を見てとったザインの目蓋があきらめを示すように閉じられ、口角がひきつった。
その刹那!
懐の短剣を抜いて身をひるがえしたザインはアシェラトの上体を引き起こしてシェヴィンの射線から自分を守る盾にすると、巫女の喉首に刃をあてがう。
「妖魔を殺せ、シェヴィン! おまえの妹を助けたければ!」
「ザイン! てめェ……!」
「早くしろ! でないと……」
短剣の切っ先から赤い滴が数個こぼれ落ちた。
「くっ……」
うめいたシェヴィンは手にしていた破魔矢を弓につがえると今しもザイン ―― とアシェラト ―― に飛びかかろうとしていた人面鳥を射抜く。
その断末魔の咆哮と妖魔を包み込む青い炎が消えぬ間に次の二本の矢を抜き取り、一角鬼を、鷲獅子を射た。
「危ないっ!」
背後から声が響く。投げられた剣が宙を裂き、シェヴィンに襲いかかろうとしていた鎌状の腕を持つ人型妖魔の胴体を貫いた。おぞましい絶叫。不可思議な力を持つ剣が紅蓮の炎で獣を焼き尽くす。
石床に落ちた剣がたてる乾いた音。
渾身の力を込めて重い剣を投げつけたウェイデルが、駆けおりてきたばかりの階段の前で息を弾ませながら身をのばした。
「ウェイっ!」
「ウェイデル!」
シェヴィンとフェヴェーラの表情が輝く。が、二人の声にザインの悲鳴が重なった。
ズラリと牙の並んだ飛龍の細長い口がアシェラトごとザインを挟み込んでいる。飛龍の背に破魔矢が突き立ち、熱のない炎となって消えた。
「アシェっ!」
即座に駆け寄ったシェヴィンが裸の胸に無惨な噛み痕を刻まれて祭壇に横たわった妹を抱き起こす。
獣のような唸りをあげながら舞台に駆けあがったウェイデルは祭壇の横で苦痛にのたうっているザインを兄妹から蹴り離した。
(アシェラトが……そんな……ライガ様……)
フェヴェーラは悠然と歩を進め続けるライガを呆然と見つめていた。
ザルツ、キニケン、グライドは祭司長と総領の腹心の対立という構図をどう判断して良いかわからず、どちらの敵となる事も恐れて無言の頷きを交わし合い、こそこそと逃げ出していく。
「アシェ! アシェラト……」
シェヴィンの呼びかけに応えてアシェラトの目が開く。
幸いにしてというべきか、嗅がされていた薬のせいで激しい苦痛は感じていないようだ。唇が声のないままに兄の名を形作り、弱々しい笑みさえ浮かべてみせる。
しかし、白い肌に紅い網目を描きながら流れ落ちる血はまたたく間にシェヴィンの着衣を染めていった。
そして絶望という名の色がシェヴィンとウェイデルの瞳を染めていく。
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