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41 大儀と野望 3

 レイリアは洗濯物の入った大きなカゴを床に置き、さっき開けたばかりの独房の鍵と灰色のマントをアシェラトに手渡しながらこう言った。

「心配していたとおり、あなたを案内している暇はないと思うの。一人で大丈夫かしら?」

「巫女の修練のなかには祝詞(のりと)や伝承を正確に記憶する事もはいっているんですよ」

 親しげに微笑みかけたアシェラトは、道を記憶するくらいなんでもないという風に(うなづ)いてみせる。遠回りでも人通りが少ないという何十もの廊下と階段を思ってわきあがった不安など微塵(みじん)も表に出さない。

「そうね、そうだったわね」

 蒼白な顔をしたレイリアが神経質に口元をひくつかせながら相槌(あいづち)をうつのを見て、アシェラトは彼女の肩に腕をまわして(ささや)いた。

「私にできるのは女神(セグラーナ)が私達の為にお心をくだいてくださるよう祈る事だけです。

 でも、あなたは御自分で思っていらっしゃるよりずっと強い方。

 きっと何もかもうまくいきます。ほんの少しの勇気さえ失わなければ」

(そして、私も自分で思っているより強ければいいのだけれど)

 レイリアが立ち去るとすぐアシェラトは人が寝ているような形に寝台を整え、マントのフードを目深にかぶると洗濯カゴを引きずって廊下へ出た。

 扉の(のぞ)き穴から中の様子を確かめて、自分を納得させてから鍵をかける。気休めでしかないとわかっていても、何もしないよりマシかもしれないのだから。

 闇雲に走り出したい衝動を抑え、角毎(かどごと)岩壁に刻まれた(しるし)を慎重にたどっていった。

 三本の木を右に……ウサギを左に……つきあたりの階段をあがって、右……

(いくら人通りの少ない道筋を選んだといっても、人の気配がまるでない。こんなにたくさんの扉が並んでいるのに?)

 実際に人影を目にすれば、見とがめられて独房へ逆戻りする羽目になるのではと(おび)えて生きた心地もしなくなるのだろうが、当座の目的地が近づいてくるとそんな事を考えている自分が可笑(おか)しかった。

 レイリアは、誰かに会っても顔と特徴的な銀の髪を見られなければ大丈夫だと言っていた。いくつかある一般の立ち入りが禁じられた場所でさえなければ、ヴェインの中で誰がどこへ行こうと人々は気にしないからと。

 洗濯物を山積みにしたカゴを両手で抱えていれば顔など見えないのだから、平然と歩いていけばいい。




「誰じゃ?」

 (とこ)に着こうとしたがどうにも眠れず、痛む足をひきずりながら寝台の前を行きつ戻りつしていたシャイアは人の気配を感じて振り向いた。彼女が呼ばぬ限り、誰かが入ってくるなどあってはならないというのに。

「さすがは総領様、お年は召されていても鋭い事だ」

 続き間との境の垂れ布が動き、長身の男が姿を現す。

「ライガか? 一体どういう……」

 彼の非礼をとがめようとしたシャイアは、身内に戦慄(せんりつ)が走るのを感じて言葉を途切らせた。先刻の科白といい、その表情、彼女を見る眼差し……。

 目の前にいるのは彼女が知るライガではない。恐怖が彼女をとらえ、思考と行動を束縛する。

「何に(おび)えておいでです? 長年あなたの(しもべ)だった者が怖いとでも?」

 男は薄笑いを浮かべながら短剣を抜くと、これ見よがしに天井から降る朝陽(あさひ)(やいば)を閃かせた。

「……狂いおったか」

 我知らず後じさったシャイアは脇卓に行き当たる。

「狂った? ある意味ではとっくに狂っていましたよ。そう仕向けたのはあなた方でしょう」

 ライガが踏み出すと、更にさがろうとしたシャイアが卓をひっくり返した。

 数本の薬瓶、白鑞(しろめ)の杯と水差し、銀の燭台(しょくだい)が石の床に転がり落ちる。



 眼を覚ましたレヴァインはレイリアの姿がなく、混沌の書が消えているのに気づいて(いきどお)った。

 が、拘束(こうそく)もされず、枕と毛布まであてがわれていた事で、すぐにレイリアが彼を思えばこその行動だと得心する。

 彼女は一人で結界装置を壊す気なのだろう。

 たとえ途中で見咎(みとが)められなかったとしても、レイリアやレヴァイン程度の技量では危険な試みだというのがその理由に思える。

(後を追うか?)

 採光筒から射す光からして、夜明けから大分たってしまっているようだ。今から急いでも間に合うかどうかわからない。

 レヴァインはレイリアの幸運を祈って、別行動をとると決めた。

(まずは婆さんからだ)

 気持ちを落ち着かせる為に腰に吊している剣と短剣を点検し、周囲に気を配りながらシャイアの部屋へ向かう。そう遠くないのがありがたかった。

 シャイアの部屋へたどり着き、細く開けた扉から様子を(うかが)う。

 人影がないのを確かめて、静かに室内に滑り込むと奥から話し声がした。

(寝室に客だと……?)

 不審(ふしん)に思いながらも第三者がいた事に心の中で舌打ちする。

 と、硝子か陶器、木や金属が打ち合わされるけたたましい音が響き渡った。

 考えるより先に体が反応し、寝室へ飛び込む。

 最初に眼に入ったのは、抜き身の短剣を手に振り向いたライガ。次の瞬間、銀色の刃がレヴァインに向かって飛んでいた。

 反射的に避けはしたものの、レヴァインの左肩から血が噴き出す。

「レヴァイン……?」

 信じられないといった面持(おもも)ちでライガが呟いた。

「レヴァインじゃと?」

 仰向けに床に倒れていたシャイアが起きあがりながら叫ぶ。

 横倒しになった脇卓や床中に散らばった小物などからして、さっきの大音響は後ろ向きに進んだシャイアが卓にあたってそのままひっくり返ったせいらしい。

「よくも、おめおめと……/どういうつもりだ?/どうなってるんだ?」

 三者同時に発された言葉が宙でぶつかり、しばしの静寂をもたらした。

「こいつはどういう事だ?」

 ライガに目を()えながらレヴァインは室内の有様を(あご)で示す。

 肩をすくめたライガは何か滑稽(こっけい)な事でもあったようにクスリと笑った。

「総領様の命をいただきにあがったら、ひどく(おび)えられてね」

 レヴァインが顔をしかめたのはその態度と言葉に動揺したからか、痛みを増し始めた傷のせいなのか。

「本気か……?」

「冗談で総領の寝室に押し入る馬鹿はいないだろうな。

 そっちはどうなんだ? わざわざ殺されに戻った訳ではないだろう?」

「俺は……」

 その時、衝撃が走った。


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