40 大儀と野望 2
ザインが身じろぐと寝台を共有している死体の首がカクリと横を向いた。しなびた老人のような顔が、うつろな瞳で彼を見返している。
儀式を司っていた祭司のアギアンと、助手を務めていた治療師のラギが、少し前まで少女だったその死体を無造作に麻袋に押し込んだ。精気を搾り取った残り滓とはいえ、妖魔共に与えてやれば腹のたしにはなるだろう。
二人が袋を担いで出て行った後も、ザインは横たわったまま淡い光を放つ天井を見つめていた。
ザインは定期的に提供者の精気を使って全身の血を浄化しなければ、血液が腐って死に至るという治療不可能な病を持って生まれた。これまで生きてこられたのは赤子の時から特別な魔力を持っていると認められたおかげだ。
いくらヴェインの民が強力な魔術を操るとはいえ、人口が稀薄なこの西域で無制限に生贄をさらってこられる訳ではない。精気にあふれた若くて健康な客人はヴェイン運営上の重要な儀式に必要不可欠であり、寿命を延ばす為に誰彼構わず使わせるなど無理な相談だからだ。
ザイン一人の為にさえ提供者を確保しきれずに奇形に生まれた赤子、禁を犯して死罪を宣告された者、更に……効力が低く次の儀式までの間が短くなるのを承知で……長くないと判断された病人や怪我人といった同胞をも犠牲にしてきた。
そのせいで近しい者を提供させられた人々はザインを化け物を見る目つきで見る。その中には五体満足に生まれなかった娘を捧げさせられた彼の母親も含まれていた。
「おまえを生んでしまった事が私の最大の過ちだったのよ!」
そう言い放って彼を殺そうとした母親は、取り押さえられそうになった時、刃の上に身を投げた。
「私は、おまえに喰われたりしない!」
そう叫んで。
その言葉に、彼は己が人の血肉を喰らって生きているのだと思い知った。
まだ十にもならぬ少年は自ら命を絶つ事すら考えたが、既に彼の為に犠牲になっていた多数の命がそれを思いとどまらせた。あの者達はヴェインの為に命を捧げたのだ。それを無駄にする権利は彼にはない、と。しかし……。
彼がヴェインの為にと一心に魔術を磨き、私情を捨ててシャイアの命に従っても、民人達は変わらず彼を忌み嫌った。いや、むしろその磨きあげられた特殊能力とシャイアの懐刀という立場ゆえにますます彼から遠ざかったと言える。
人生の皮肉は彼に、感情に囚われて物事の本質を見ようとしない愚かな人々のみならず、自身をも冷笑する冷たい眼差しを与えた。
それでもシャイアの命令でとはいえ配偶者を得た時には期待といえそうな感情を抱いたのは確かだ。
だがその期待と同時に抱いた不安を裏づけるように、レイリアはただ従順なばかりで心を開こうとはしない。子供もできず、彼の孤独はいや増すばかりだった。
そしてヴェインの教義をくつがえすバラドの告発。
混沌の扉開通時に起こりうる事態に対するバラドの論理に非の打ち所はなかったが、シャイアは頭からそれを否定した。混沌の書の記述を疑う事は彼女の全人生を否定するに等しいからだ。
ザイン自身は混沌の侵入がウェリアを崩壊へ導く可能性を五分と見た。つまりウェリアに混沌を呼び込む事はあまりにも危険な賭けだと考えている。
にも関わらず、彼はシャイアを翻心させようとは、あるいはシャイアの説得をあきらめて独自の方法でヴェインを繁栄させようとしているバラドに協力しようとはしなかった。
(ウェリアのすべてが最初から何もなかったように消えてしまうのなら……)
それはそれで良いのではないか?
何もかも、彼の存在すらなかった事になるのなら。
それに、いくら完璧でも理論は理論。混沌の書に記されている通り、ヴェインの民がすべてを得、彼すらも幸福になれるかもしれない。
(幸福か……。それを決めるのは人の心だという。それでも、いや、だからこそ、か……)
起きあがったザインは衣服を整え、かたわらに置いてあった笛を帯に差すと、前髪をかきあげながら顔をあげた。
レイリアはたったひとつレヴァインが携えて帰ってきた小さな背嚢から四角い包みを取り出した。
十字に掛けてあった紐を解き、油紙を開くと黒い革表紙の書物。書名はなく、著者の名も記されていない。頁をめくる事ができないのは、封印の魔法がかけられているせいだ。
(やっぱりあなたが持っていたのね。ディードがどうしたのかは聞かなかったけれど、きっと彼には渡さなかったと思ったのよ。
これがあれば、私にも……)
『レイリア……? 部屋に戻っているように言ったはずだ。どこにいる?』
予期せぬザインからの心話に動揺して本を取り落とした。心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れている。
(落ち着いて。ザインに私の姿が見える訳じゃないのよ)
どうするべきか考えるのに、いや、そうではない、怯える心を奮い立たせ、行動を起こす決心をつけるのに時間を使いすぎた事を悔やみながら、できるだけ平静な思考を送り出す。
『フェヴェーラの……以前フェヴェーラの物だった部屋です。ライガ様の侍女である今はここが私の部屋ですから』
うまく言い抜けられただろうか?
『思ったより落ち着いているな。ではライガ様のお世話を続ける気があるんだな?』
そうだった。今の彼女はライガに父を殺されて取り乱しているはずなのだ。
だが、そのおかげで思念の乱れは見過ごされるだろう。
レイリアはあれほど衝撃を受けた父の死を冷静に受け止めている自分に気づいて驚いた。
『お父様が……父が自分で蒔いた種です。ライガ様を責めるつもりはありません』
唇の片端をほんの少しあげ、かすかに鼻を鳴らして冷笑するザインの姿が目に見えるようだった。<この女、そこまでライガにいかれていたか>と。
彼女にはその嘲りが、実際にレイリアがライガと床を共にした訳ではないと知ってはいても、薄々感じていた寝取られ男の気分を決定的にされたザイン自身にも向けられている事までは窺えなかったが。
『それならいい』
『一度そちらへ……』
『いや、ライガ様についていて差しあげろ。何か変わったご様子があればすぐに知らせるんだ』
(変わったご様子……?)
ザインの言葉に不安を感じたレイリアが問い返す暇もなく心話が打ち切られた。
そういえば、ライガは大丈夫なのだろうか?
あの時ライガは虚ろな眼で石像のように立ち尽くしていた。レイリアの呼びかけにも、まったく反応せずに。
(あれは……ライガ様にとっても耐え難い出来事だったんだわ)
様子を見に行くべきだろうか? この部屋とライガの部屋は続き間になっている。レイリアはライガの書斎へ通じる厚い木の扉を見やった。
今ライガに会うのは少し、怖いような気がする。
ライガが父を殺したから?
ライガが取り乱しているかもしれないから?
ただでさえ不安定な人格を抱えたライガが変わってしまったかもしれないから?
彼女が禁を犯そうとしているのを見透かされるかもしれないから?
それでもレイリアは扉を開けてライガの部屋へ踏み入った。
だが、そこにライガはいなかった。寝室にも、食堂にも、湯殿にも。ただ血まみれの衣類が脱ぎ散らかされているだけだ。
(一体どこへ行ってしまわれたのかしら?)
ザインの物言いからして、自室にいるべきなのだろうに。
曙光が鏡筒の長い道のりを通って射し込んだ。
(夜が明けたのね。母なる大地は産みの苦しみに血を流し、新しい太陽が生まれた)
ヴェインも生まれ変わるべきだとバラドは言っていた。彼はその為に大地のように血を流したのだろうか。
(でも、ヴェインを茜色に染めるのはもう充分。手遅れにならないうちに……)
ライガの事も気がかりだったが、レイリアは足早にフェヴェーラの部屋へ戻るとレヴァインの寝顔を横目に、混沌の書を拾いあげた。
※背嚢(背中に負う方形のかばん)
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