38 暗示(わな) 4
心を射抜くようなザインの視線も今はそれほど気にならなかった。
ライガは冷たい石の床に座り込んでいたせいで強張ってしまった足をわずかにふらつかせて立ちあがる。ザインも慌てて立ちあがった。
「御気分はいかがです?」
また見下ろされる事をザインが残念がっているように見えて、意地の悪い快感を覚えたライガは薄く微笑んだ。
「悪くない」
ライガがザインに上から覗き込まれるのを嫌っていたように、ザインも彼に見下ろされる事を嫌がっていたとは。
足下に転がっていた短剣を無造作に拾いあげたライガは、死者の衣で刃をぬぐって懐の鞘に収めた。
「だが疲れた。今夜の召還はここまでにしよう」
落ち着いた声音で呪文を唱え、魔法陣を閉じる。忘れ去られたように壁際に控えていた人面鳥を目で示して「後は頼む」と言い置くと、レイリアに取りすがられて乱れたままの寛衣の裾をひるがえして大股に部屋を出て行った。
事は彼の思惑通り運んだというのに、残されたザインの胸に一抹の不安がよぎる。さっきのライガの態度は混沌の祭司長としてふさわしいものだ。
だが、あれではあまりにも……。
(私も相当疲れているようだ)
ザインはその不安を疲れのせいにして首を振り、嘆息した。
弱っていたとはいえ、桁外れな力を秘めたライガの心に入り込み、それを捩じ曲げたのだ。疲労を感じて当然といえる。
それに、そろそろ儀式が、彼の為の特別な儀式が必要な時期だった。
(だが、まずはシャイア様の方を片づけねばな)
シャイアが彼の言葉を額面通りに受け取るとは考えられなかったが、表面的には受け入れざるを得ないだろう。
(あなたは他のすべてを踏みにじって混沌への扉に向かって邁進してきた。その為に払う犠牲がどれほど大きくなろうとも今更止まる事はできない。そうですよね、シャイア様)
ザインをさがらせたシャイアは扉が閉まると同時に脇の小卓に置いてあった薬瓶の栓を引き開けた。
左の胸から腕にかけての痛みが手元を不確かにし、喉を下ったと同じ程の液体を衣服にこぼしてしまう。そんな自分の有様が腹立たしくも情けない。
(まるで幼子のようじゃ。役に立たぬ老いぼれのようじゃ。
……笑うておるのか、バラド?)
痛みが治まってきた事に吐息をもらしながら、長い間対立してきた孫の影に語りかける。
バラドは姉のシャアラがフェヴェーラのお産で死んで以来、純血の子をなす事をかたくなに拒んできた。
もちろん混血の子などシャイアが認めない。レヴァインをヴェインで育てる事だけはバラドに押し切られてしまったが。
(まだ間に合う、いつかまたおまえに子をなさせる事もできると、儂は本気で思うておったのだろうか?)
そのせいで、危険な思想を抱いていると知っていた孫を粛清しなかったのか。
キャナリーをお産の難しい今の歳になるまで他の男に娶せるような手を打とうとしなかったのもそのせいか。
(そのバラドが……死んだ……)
フェヴェーラが行方不明の今、これでシャイアの直系の子孫はキャナリーとその娘のレイリアだけになってしまった。
ザインと沿わせて五年、レイリアは二度流産し、フェヴェーラにはよそ者の子を作るのを禁じて薬を飲ませてきた。
フェヴェーラはまだ若い。悲願を果たした後ライガから引き離して子をもうけさせる事もできよう、などと考えていた自分が哀れだった。
『あなたは自分の子孫が絶えてしまうかもしれない事だけが苦痛なのですか?
私はともかくあれ程かわいがっていたフェヴェーラの為に悲しんでやる事すらされないのですか?』
「死人が口を出す事ではないわ!」
心に響いてきた声に一喝する。
馬鹿者共が、皆なすべきをなしもせず彼女を残して死んでゆく。
それだけではない、何ひとつできはせぬ死人となってからも、今のバラドのように時折恨めしそうに彼女の心に立ち現れさえするのだ。
なぜ理解しようとせぬのか? 彼女が我欲を捨て、総領としての義務を果たす事にのみ心を砕いてきた事を、一族の繁栄の為にすべてを捧げて生きてきた事を。
『それで、一族は繁栄しましたかな?』
皮肉を込めたバラドの問いに彼女は答えられない。
一族の者は皆死んでいった。彼女の血を直接に受けた者達だけではない。ヴェインに生を受けた者達が、王子ミトラから混沌の血を受けた者達が、次の世代を生み出すことなく死んでゆく。
「だからじゃ、だから急がねばならんのじゃ。儂がこの手で……。儂が混沌への扉を開いてみせる。
そしてすべてを……すべてを我らの手に……」
またしても痛みを覚えてゼイゼイと息をあえがせたシャイアの心に『あなたは御自分が手に入れようとなさっているものが何か、本当にわかっていらっしゃるのですか?』という亡霊の声が、重なるように幾つも響き渡った。
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