33 心の仕掛 1
月見月 二十五夜
「ライガ様をヴェインからお連れしましょう」
フェヴェーラがそう切り出したのは、二十四夜の陽が自らの体を引き裂いてまき散らした血の力で、大地に新たな太陽を身ごもらせた後。
腰の辺りで組んだ両手、まっすぐにのばした背筋と睨むような表情から、その言葉が彼女にとってどんな意味を持っているかが窺える。
「もちろん簡単な事ではないし、ライガ様ご自身も抵抗なさるでしょう。でも何とかしてあの方にかけられた呪縛を解く事ができれば……」
「昔のライガに戻せるのか?」
勢いよく尋ねたシェヴィンに返ってきたのは沈痛な表情と長い間。
「いいえ」
ようやく返ってきた答えをウェイデルが引き取った。
「そう簡単にはいかないだろうな」
一見冷静に見える無表情。けれどシェヴィンにはその声の抑揚のなさから、かえってウェイデルが深い心の痛みと闘っているとわかる。
「じゃあ一体どうなるんだ? その、ライガにかけられてるっていう魔法を解いたら」
彼らの痛みを増すとわかっている質問。だがシェヴィンは自分もその回答を知っておかなければならないと感じる。魔法というものに対する自分の無知に苛立ちながら。
「わからない……」
頭を振ったフェヴェーラはギュッと目を閉じて天をふり仰いだ。
「わからないの。
魔法によって作られた人格、ライガ様ご自身が訓練によって作りあげた魔術用の疑似人格、元々のライガ様から残された部分、そのすべてが八年に渡って複雑にからみ合い、今のライガ様が形成されてきたの。それは既に呪縛によって書き換えられた当初の人格とは違ったものになっている。
魔法によって束縛された意志を解放されたとしても、記憶が……長年御自分であられたものの殻が呪縛と同じ働きをしないとも限らない」
「記憶?」
「習慣、と言ってもいいかもしれない。たとえ強制された行動であったとしても、繰り返し行っているうちに当たり前の事になっていくの。
ヴェインの祭司長としての行動様式に縛りつける力がなくなっても、ライガ様がその影響を受けるのは避けられないでしょう」
「じゃあ魔法が解けてもライガは混沌の祭司としての考え方をし続けるっていうのか?
ウェイデルを守りたいって気持ちと、自分のと同じ呪縛をかけてヴェインの為に働かせなきゃいけないって義務感の板ばさみになって苦しみ続けるっていうのか?」
咎めるようにたたみかけたシェヴィンに向かって、フェヴェーラは目に涙をにじませながら声を張りあげた。
「そうではない事を祈っているんです!」
「ごめん……」
はっとして謝罪したシェヴィンの瞳に後悔の色が浮かぶ。
「アンタを責めるつもりはなかったんだ」
肩を落としたフェヴェーラは組んだままだった両手を更にきつく握り合わせて斜め下の地面を見つめ、つらそうに目を細めた。
「いいえ。責められて当然なんです。私はこれまで懸命にライガ様にお仕えしてきたつもりだった。いつも快適に過ごしていただけるよう、故郷から遠く離れた地で暮らされるお寂しさを少しでもおなぐさめできるよう。
でもそれは身の回りのお世話をさせていただくだけの、ただの侍女の気遣いでしかなかった。今まで、本当のあの方のお立場にたって考えた事なんてなかったんだわ。
私達が……ライガ様にどんなにひどい仕打ちをしてきたかという事に気づいてすらいなかった」
黙って物思いに沈んでいるように見えていたウェイデルが口を開きかけて閉じ、一瞬さまよわせた視線を何かを決意したようにまっすぐフェヴェーラに定めた。
「ライガは君に感謝しているよ。ずっと君に救われてきたんだ」
大きく見開かれたフェヴェーラの瞳。事実のみを伝えたいと、感情を抑制したウェイデルの声が響く。
「実は少し前に俺も君と同じ結論に達していたんだ。危険を承知でライガの呪縛を解くしかないと。
ただ俺はそれを君に言い出して欲しかった。ヴェインの人間としての立場からすれば他の方法を選ぶのが当然だと思う。
でも、身内を裏切る事になってもライガの本質を取り戻す為に行動しようと決断してくれた。どう感謝していいかわからないくらいだ。
そしてきっとライガも……どの人格とかいう事ではなく、心のずっと深い部分で君のその判断に感謝すると思う。
フェル、ライガは君を愛している。ライガの心に触れた時、いくつもの思惟が重なって俺にはほとんど理解できなかった。でも君への恋情だけははっきりと伝わってきたんだ。
だからそんな風に自分を責めるのはやめてくれ。君がいればライガはきっと大丈夫だ。呪縛の名残に苦しめられても、それを乗り越えられる。途中で壊れてしまったりはしない。俺はそう信じてる」
「オレの相棒の片割れだからな」
シェヴィンが片目をつぶって混ぜっ返した。
「ウェイデルはこう見えて芯はしっかりしてるんだぜ。だから同じ魂を持っているライガだってきっと大丈夫さ」
ポンと肩を叩かれたウェイデルはいつものようにシェヴィンの気遣いをありがたく思いながら切り返す。
「俺のことをそんなに買っていてくれたとは知らなかったな」
「まずった! ……本人の前で言っちまった。おいウェイ、ちょっと誉めたからってあんまり図に乗んなよ」
「シェヴみたいにどんな窮地も笑って切り抜けられると信じられるようになるなら、図に乗ってみるのもいいかもしれないな」
「何言ってやがる。オレはただ信じてるんじゃなくって、ホントにそうできるんだよ!」
フェヴェーラの唇にかすかな笑みがこぼれた。
「ところで、また嫌な事を訊かなきゃなんないんだけど……」
そう前置きしたシェヴィンはフェヴェーラとウェイデルの顔を交互に見やりながら尋ねる。
「さっき<何とかして呪縛を解く事ができれば……>って言ってたよな。それに<危険を承知で>とも。それってつまり……」
「呪縛というのはかけた本人が解くのが一番いいの。どのような魔法であれ、そうでない者がそれを無効にしようとするのには何らかの危険が伴うわ。
今度の場合は強引に解こうとする事でライガ様のお心を壊してしまうかもしれない。むしろ最近戻ったばかりの昔の記憶を封印する方がたやすいでしょう」
「だがそれでは一時しのぎにしかならない。そう判断したから君は……」
「ええ、あなたの言う通りよウェイデル。でも……あの呪縛を解くにはどう考えても私では力不足なのよ」
「俺にはその方面の経験がまるでない」
シェヴィンの視線を受けたウェイデルは苦々しげに言葉を吐き出した。
「アシェに力を貸したように、フェヴェーラに魔力を送る事はできるだろう。だが技術的に手助けするのは無理だ」
「アシェには心の痛みをやわらげる事もできる。そいつをやってみる前に助け出せれば力になれるんじゃないか?」
「わかってるよ、命の危険にさらされているのはアシェラトの方だっていうのは……」
ウェイデルは左手でふたつの魔石がむき出しになったままのヴィズルの柄をきつく握りしめた。
「例えライガを傷つける事になっても彼女だけは必ず助け出す」
「オレは何もそんなつもりで……」
彼の姿を透かして遠くを見つめているようなウェイデルの瞳が、シェヴィンから言葉を奪った。
「<夜はやすらぎと癒しの時>か……。
夜の女王の恵みを願うには月齢が悪いが、月の巫女がいてくれれば心強い」
新たな太陽の光を浴びてヴェインへの道を急ぎながら、彼らはどうやってライガをヴェインから連れ出すか、アシェラト達を救い出すかを相談した。
フェヴェーラをヴェインに戻して内部から手引きしてもらう、というのが可能性が高いように思えたが、問題点が見つかった。禁呪の首環のせいで彼女は心話を使えない。つまりヴェインと連絡をとって迎えに来てもらう事ができない。
彼女だけをわかりやすい場所に置いて、ウェイデルが少し離れた所から連絡するというのも検討されたが、それはあまりにも不自然だとフェヴェーラの反対にあった。禁呪の首環を外して逃げ出した彼女が自分で連絡するならともかく、人質として使えるはずの彼女を、しかもこんな所まで連れてきた後で解放し、わざわざ迎えを呼ぶなど当然何か裏があると思われる。
おかしな暗示など植えつけられていないかどうか、心を開いて調べさせろと言われるに決まっているし、嫌だと言えば疑惑の目で見られて行動の自由を奪われるかもしれない、と。
首環は丈夫な金属でできていて、鍵なしではフェヴェーラを傷つけずに外すのは無理だった。
「ちくしょう! オレが馬鹿だったんだ」
シェヴィンが鍵の事を知っていながらレヴァインから奪わなかったと自分を責めた。フェヴェーラを人質として使うつもりだったせいで彼女に魔法を使われてはやっかいだと思っていたのだ。鍵を使う使わないはともかく、とりあえず手に入れておけばよかったと後悔したが遅い。
隙をついて逃げ出した、と言って直接ヴェインに駆け込めばどうだろう、という案はそれではシェヴィンとウェイデルがすぐ近くにいる事がわかってしまい、捜索にひっかかって捕まってしまうだろう、と却下された。フェヴェーラをヴェインの傍まで送ってからウェイデル達が樹海深くに身を潜めるゆとりはない。
大祭の夜は近い。ぐずぐずしていればアシェラトと四人の少女達が生贄に捧げられてしまう。
更に議論が重ねられた挙げ句シェヴィンが
「ライガに……助けてもらえないもんかな?」と口にした。
「ほら、ライガは呪縛のせいでかなりな苦痛があるはずなのにザインを騙してまでフェヴェーラを助けようとしただろ。フェヴェーラの為なら祭司長ライガもヴェインの掟を曲げる訳だ。
だからフェヴェーラ、アンタが大儀とウェイデルとの板ばさみになって苦しむライガを見たくない、ヴェインの外でいっしょに暮らしたいって頼んだら結界を開いて出てきてくれるんじゃないか?」
「それなら……」
そうしたところで馬の陰になって連れの顔を見る事などほとんどできないというのに歩きながら振り返ったウェイデルは落ち葉の下に隠れていた木の根に足を取られ、手近な幹につかまって息をついた。
不自然に牽綱を引かれた馬が抗議のいななきをあげる。横並びに進む事のできない隘路は相談事にははなはだ不向きだ。
「承知するかもしれないな」
「ライガ様があんな手段をとったのはレイリアがレヴァインの身を案じたからで……」
前進を再開したウェイデル……の馬の尻の後に続きながらフェヴェーラが反対しようとした。ウェイデルはちゃんと前を向いたままそれをさえぎる。
「いや、事情はどうあれ君を助けたいという思いが何より強いからこそできた仕業だ。ライガは君の為ならどんな苦痛にも耐えようとするだろう。
だが問題はライガがそれがフェルの為にとっていい事だと判断するかどうかだ。君に危険が及ぶ事を嫌って、無理にでも君をヴェインに連れ戻そうとするかもしれない」
「だけど他に方法があるか? 訊くだけきいてみたっていいじゃないか」
「でもどうやってライガ様にお話しするっていうの? 私は今心話が使えないのよ。私からと言ってウェイデルに言づけてもらっても……」
「ライガにはウェイが嘘をついてるかどうかわかるはずだろ? 言葉通り受け取ってくれるんじゃないか、なァ、ウェイ?」
「事実だと認めはするだろうが……フェルが直接説得する程の効果はないだろうな。
俺達は理屈じゃなくライガの感情に訴えようとしているんだ。感情というのは伝聞では動かされにくい。
目の前に飢えた子供がいれば自分の食事を抜いてもその子供に食物を与えようとする人間も、遠くに飢えた子供がいると聞いたからといって自分の食扶持を削ってまで助けようとはしないもんだ。しかし……」
突然足を止めたウェイデルの頭に馬の鼻面が軽く触れる。
「フェル、君は他人の心に深く入り込む事ができるか?」
「ええ、でも……」
「禁呪の首環は外から内へ、内から外への魔法の波動をさえぎってしまう。だが直接体を触れ合わせれば、外への発信という事にならずに俺の心に入ってこられるかもしれない。
俺とライガの繋がりは普通の魔法とは違う。だから首環の力が俺の魔法をもさえぎるとしても、君の思惟をライガに届かせる事ができるかもしれない」
「それに心話と違って盗み聞きされる心配もないんだ!」
興奮したシェヴィンの声を待っていたかのように辺りが暗くなり始めた。
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