32 決意 2
月見月 二十四夜
溜め息をついたバラドは背もたれと座面に大きなクッションをあてがった肘掛け椅子に腰を落とした。押し殺したうなりをあげながら渋い表情を隠すかのように右手を顔にもっていく。
「随分お疲れのご様子ですね」
一人きりのはずの室内で響いた声に驚いて腰を浮かせたバラドの眼に扉口にたたずむザインの姿が映った。
「ザイン! 案内も乞わずに……!」
「失礼いたしました。外からかけた声が小さ過ぎたようです。それとも御心痛のせいでお耳に届かなかったのでは?」
バラドの非難をサラリとかわして意味深長な言葉を突きつけてくる。
「心痛だと?」
「フェヴェーラ様の件の他にもご心配事がおありのようですからね、色々と」
バラドは<色々>に微妙な抑揚がおかれているのを聞き逃さなかった。でなければザインもわざわざそんな物言いはしない。何かを知っていての事なのか、単に鎌をかけているだけなのか?
(どちらにしてもこの男の楽しみ方には虫酸が走る)
そんなバラドの考えもまたザインを楽しませているのだろう、そう思うと余計に腹が立った。
「近頃はレイリアもよくご迷惑をおかけしに来ているようですが?」
「レイリアを探しに来たのなら入れ違いだったな」
言って、バラドはある可能性に気づいた。
ザインが入ってきた頃合いからしてレイリアが出ていくのを見ていてもおかしくはない。ひょっとするとここへ来る前からレイリアを見張っていたのではないのか。バラドの不意をついたのはレイリアとの話の内容に探りを入れる為か?
この男の行動の真意を疑いだすと切りがない。とにかく早く追い出したくて扉口に立ったままだったザインに歩み寄り、内側に向けて開いている扉に手をかけた。
「あれはフェヴェーラとレヴァインを案じておるのだ。私に任された捜索が成功しても失敗しても哀しむ事になる」
「それで様子を伺いに?」
「そういう事だ。ところで、貴様の方の探索はどうなっておるのだ?」
「ライガ様のお疲れが思ったより激しく、やむなく中断しておりました。が、成功させてみせますよ」
レイリアは軽いめまいを感じて壁に寄りかかった。
ここ数日よく眠れず、食欲がない。吐き気を覚える事もしばしばで、貧血気味のようだ。
レヴァインの逃亡に端を発した騒ぎで生じた極度の緊張状態のせい、そう自己診断して黙ってそれに耐えている。
治療師に相談すれば魔術で彼女の体を責め立てている不安の原因を探らせてくれと言われるだろう。そんな事をさせる訳にはいかないし、断れば疑惑がかきたてられ、シャイアに報告がいく。
フェヴェーラやライガの苦悩は彼女の比ではないはず、そう考えてもっとしっかりしなければと思うのだが、体がそれについていってくれないのが悔しい。
しかし、レイリアを悩ませているのはフェヴェーラとライガの事だけではなかった。
恐怖は新たな恐怖を呼び込む。
<混沌への扉を開いたら、ウェリアがぶっ壊れて俺達はみんな死んじまう>そんなレヴァインの言葉がひっかかっている。それを聞いた時はその異質さ、あまりの恐ろしさにそれ以上考えるのを拒否してしまっていたが……。
それは決して忘れ去られていたのではない。ゆっくりと彼女の頭の中に染みこみ、徐々にその恐怖の度合いを増していた。
次の新月までにシャイアの思惑通り事が運べば混沌への扉が開かれるかもしれない。
その結果に関して、ヴェインの聖典である混沌の書の記述とレヴァインの告発の内容は正反対といっていい。
少し前までの彼女なら手に余る事としてそれに心を砕いたりはしなかっただろうが、はっきりとシャイアの意志に逆らってしまったせいでレイリアの意識は否応なく変革を迫られていた。行動しないのは厄災を避けているのではなく、一時逃れをしている間に災厄を大きくしているだけだ。
勇気を奮い起こして総領シャイアの直系、混沌の祭司の一人でありながらレヴァインにその異端の考えを吹き込んだ父に直接その見解を問うて得た答えはますます彼女の不安を募らせた。
シャイアの企てを阻止する為にバラドが何かを目論んでいる、という感触はあった。
だが、それに対するほのめかしに彼女に協力を要請するどころか計画の存在すら否定した態度は彼女を安心させる役には立たなかった。
バラドはレイリアが容認できないやり方で事を成そうとしている?
例えば……ウェイデルもしくはライガの排除。
バラドはレヴァイン程あからさまにライガを嫌ってはいないが、好いていないのは確かだ。事故を装ってやろうとするかもしれない。父を頼る訳にいかないとなれば一体どうすれば良いのだろう?
レイリアやフェヴェーラ、ウェイデルを守ろうとする気持ちと呪縛との間で苦悩しているライガにこれ以上負担をかける訳にはいかない。
レイリアにも心を縛る呪いに関する知識のいくらかはある。いくら平然としているように見えても、ライガが際どいところで心の平衡を保っているに過ぎないのは明らかだ。
あとほんのひと押しで……いや、新たな荷重が加わらなくても、時が心を圧し潰してしまうかもしれない。人はそう長く重荷に耐えていられるものではないのだから。
世界に対する彼女の不安を取り除く為に、フェヴェーラとライガを救う為に、手遅れにならないうちに何かをしなければという切迫感が客人の部屋へ向かって廊下を進むレイリアの足を速めさせる。
ヴェインの民が外界と接触する唯一の目的は略奪 ―― 定期的に税を取り立てている集落もあるが、そこから生贄を選ばないという保護以外なにも与えていない以上それも立派な略奪だろう ―― である。ゆえに客人とはその略奪品 ―― 贄として捕らえられてきた者 ―― を指す。
アシェラトが監禁されているのは外側からしか開けられない鍵がかかるだけの普通の部屋だった。もっとも、開放的な木造の家で育ったアシェラトには岩をくり抜いて造られた窓のないヴェインの部屋はいかにも牢獄らしく映ったのだが。
それでも藁布団の湿気を逃がす為に上面を籐編みにした寝台、フタ付の水桶と柄杓、銅の洗面器の底の栓を抜くと床へ伸びた管から水が流れ出ていく洗面台、木製の衝立の陰に置かれた箱型便座 ―― 灰入りの受け皿があり、フタを閉めると背後の箱から受け皿に灰が継ぎ足されるように工夫されている ―― など、飾り気はないが西域の標準からすると贅沢な設備が整っている。
歯磨き用の焼塩と房楊枝、櫛、体をぬぐう事ができるよう何枚もの清潔な布さえ用意されていた。
それがみつかると期待している訳ではないが、退屈をまぎらす日課としてヴェインをおおっている結界の隙間を探していたアシェラトは鍵が開く、小さいが高い音に集中を破られた。
食事にしては早すぎる。目を開いて顔をあげると扉が開いた。現れたのはほっそりした若い女性。いつも食事や清掃の世話をしてくれる年輩の婦人ではない。
その女性は歩み入ったとたん背を向けて廊下を窺い、そっと扉を閉めてアシェラトの方に向き直った。
まだ少女といっていいような年齢だろうに、彼女はまぶしいほどに毅然としていた。
小さな食卓の前で筋背を伸ばして椅子にかけ、彼女を見つめるレイリアを穏やかな翡翠色の瞳でまっすぐに、だが決して不躾ではなく見返している。肩から胸へと流れ落ちる髪は月光のようで、ヴェインで用意された簡素な木綿のガウンでさえ品良く見せる何かを持っていた。
(彼女なら……)
電撃を受けたような、という表現はこういう時に使うのだろうか。魂に訴えかけるものを感じたレイリアは深く息を吸い込むとアシェラトの方へ踏み出した。
「はじめまして。ご存じとは思いますが、アシェラトと申します」
レイリアの機先を制して立ちあがったアシェラトが礼をする。
「レイリア……です」
声が震えてしまった。これでは立場が逆のようだ。アシェラトは虜囚で、彼女にとってレイリアは彼女をさらった非道な一味だろうに。
「お客様がいらっしゃるなんてうれしいわ、レイリアさん。一人で退屈していたんです。……どうぞ、おかけになって」
ひとつしかない椅子をレイリアの方へ押し出すと、自分は寝台に腰掛ける。
レイリアは長いスカートの陰で足ががくがくしているのに気づかれたのだろうかと危ぶみながら、ありがたく腰をおろした。手が震え出さないよう膝の上でしっかり組み合わせる。
「怖くは、ないのですか?」
唐突に何を口にしてしまったのだろう。自らの言葉に驚き慌てるレイリアの様子に、戸惑ったように眉を寄せたアシェラトだったが、すぐに質問の意味を察した。
「ここでは女神のお声も聞こえない……。本当は泣きそうなくらい怖い。
でも泣いたからといって母があやしに来てくれる訳でも、父や兄が助けに来てくれる訳でもありません。
逆に、泣いていてはもし助けとなる声がしても聞こえないかもしれない。私にできる事は耳を澄ませて、救いの声を聞き逃さないようにするだけ。眼と耳をふさいで部屋の隅で震えている訳にはいかないんです」
強い霊力を持つ巫女。ただ独り、生贄としての恐怖と苦痛に満ちた死を待つばかりの境遇にあって平常心をなくさずにいられる女性。ライガの半身と共に魔境というべき地へ踏み入り、四頭もの妖魔を倒した男の妹。
彼女なら、たとえごく僅かでもヴェインを脱出する可能性があるなら、それに賭けてみようとするに違いない。
レイリアはライガに倣ってアシェラトの手に触れさせてもらう事にした。
※房楊枝(柳などの小枝の先端を煮たものをハンマーなどで叩き、剣山のような道具で木枝の先端をすき、木の繊維をやわらかくほぐして扇状にした物。歯磨きに使う)
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