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31  決意 1

 厚い葉むらを通して降り注ぐ朝日が()れた世界をきらめかせている。

 ウェイデル、シェヴィン、フェヴェーラは窮屈(きゅうくつ)な姿勢のまま、ほとんど同時に眠りから覚めた。

 シェヴィンは明るく、フェヴェーラとウェイデルはぎこちなく挨拶を交わして仮屋から()い出す。

 暖かい日になりそうな好天だったが、まだ夜の名残を(とど)めた空気はしっとりと冷たかった。

「うーんっ、ひゃあーっ。体中がみしみしいうぜ。

 ウェイ、おまえがそんなデカいから、ただでも狭い場所が余計狭くなったんだぞ。遠慮ってもんがあるなら、オレみたいに小さくなってろってんだ」

 今夜(ゆうべ)ウェイデルがライガとの間にあった出来事を語り終えた時、突然シェヴィンが<とにかく、疲れた。こんな気分でややこしい話をするなんてゴメンだ。オレはもう寝る。くだんないおしゃべりで安眠を邪魔すんなよ>と言って、たてた膝の上にのせた腕に顔を埋めてしまった。

 ぐっすりとはいかないが、とにかくも休息をとって人心地ついた今はウェイデルも疲れ果てた体と心で会話を続けていれば、有意義に事を進めるどころか不必要に傷つけ合っていたかもしれないと認めてはいた。

 しかしフェヴェーラから事情を聞き出し、すぐにも何かしらの行動にでたいとあせっていた彼にとってシェヴィンの態度が苛立(いらだ)たしいものだったのも事実だ。

「冗談だよ。そんな怖い眼で(にら)むなって。ほら、馬をほどくの手伝えよ。こいつらだって窮屈な思いしてたんだ」

 シェヴィンだって相当まいっているはずなのに……。そう思うと、その屈託(くったく)なさがまぶしい。

 ウェイデルはまだ鬱屈(うっくつ)した気分を振り払えないでいるというのに。唇の端を少しあげてなんとか笑みらしいものを形作ると、おずおずと寄ってきたフェヴェーラといっしょにシェヴィンに手を貸した。




「生き返ったー!」

 そこらじゅうが濡れているので乾いた薪を探そうとはせず、()ってあった豆と乾果、固い乾酪(ちいず)を水で流し込んだだけの食事を終えたシェヴィンが宮廷料理でも食べ尽くしたかのように腹をさする。

今夜(ゆうべ)はメシを食い損ねたからなァ。ウェイ、アンタも少しは人間らしい顔つきになったじゃないか」

「そんなにひどかったか?」

「幽霊みたいだったね。でも、もう大丈夫そうだ。アンタが気にしてる事を片づけようぜ」

 シェヴィンはハッとして身構えたウェイデルから、緊張した面持(おもも)ちのフェヴェーラへと視線を移した。

「えっと、フェヴェーラ……さん」

 ライガに対する人質として連れてきてしまったものの、予期せぬ出来事の連続でシェヴィンにも彼女をどう扱っていいのかわからなくなってしまっている。

「どうぞ、フェヴェーラと呼んでください」

 内心の不安を押し隠すようにきっぱりとした態度でフェヴェーラが言った。

 これから、眼前の男達にとって彼女がどういう存在になるかが決定されようとしている。希望的観測に過ぎないのかもしれないが、彼らは怒りにとらわれて一時(ひととき)我を忘れる事はあっても常に公平であろうと努めている人間に思えた。

 ならば彼女の……たとえそうではなくてもライガの助けになってもらえるかもしれない。

「じゃ、フェヴェーラ、オレ達の事もシェヴとかウェイとか、好きなように呼んでもらえばいいよ」

 シェヴィンの態度はあくまで陽気で気さく。こんな場合でも相手の気を楽にさせようとする習慣は抜けないらしい。

 それでも、その瞳はいつになく真剣な光を宿していた。

「今のライガの事はアンタが誰よりよくわかってるって思うんだけど?」

「そうでありたいと……願っています。私はライガ様がヴェインにいらっしゃってからずっとお側でお仕えしてきました」

「ライガの事、説明してくれないか」

「そう、ですね。うまくご説明できるかどうかわかりませんが、お話ししておくべきでしょう。

 ウェイデル……」

 フェヴェーラは食い入るように彼女を見つめていたウェイデルと目を合わせた。

「あなたはライガ様のお心が<ひどく混沌としていて、理解できない>そう言いましたね」

 ウェイデルは無言のままコクリと(うなづ)く。

「ライガ様はお二人……いえ、何人もいらっしゃるのです。そう思っていただくのが一番わかりやすいかもしれません」

「そう言われれば確かに……そんな感じだった……」

「私達ヴェインの民が見いだした時、ライガ様は心に傷を負っていらっしゃいました。私達はヴェインに伝わる秘技によってその傷口をひろげ、耐え難い苦痛を与えたのです」

 瞬間、ウェイデルの瞳が見えざるものを映して恐怖に見開かれた。

「それは……それは新月の夜か?」

「新月……そうです。そういった儀式は三十夜(つごもり)一夜(しんげつ)に行われます」

「八年前の冴気月(さえきづき)?」

「やはりあなたもアレを……」

 ウェイデルの両手が、突如全身に襲いかかった震えを抑えようと無意識のうちにその両腕をかき抱く。

「感じた。何があったのかはわからないが。

 内臓が裏返りそうな嫌悪感と、息が止まるような恐怖に圧し(つぶ)されそうになって……」

 ウェイデルの動きが凍りつき、呼吸さえ止まってしまったかに見えた。

 やがて大きく息を吐き出してから絞りだした彼の声はひどく弱々しいものだった。

「そして俺は……ライガを……俺の半分を失った」

「……ではおわかりでしょう? あなたはほんのさわりの部分しか経験しなかったというのにそれを思い出しただけでそんなにも(おび)えている。

 あなたの何倍もの圧力を受けたライガ様はそれまでのご自分ではいられなくなった。あの方には死か、狂気しか道がなかったのです。ヴェインの民が用意した新しい人格をまとう他は」

「そんな事ができンのか?」

 二人の話についていくには魔術的な知識が不足しているシェヴィンが割って入った。

「時折……魔術など使わなくても、そういう状態になる人間がいるそうだ。

 人は耐えられないほど()まわしい出来事に遭遇(そうぐう)すると、それを忘れてしまう事がある。その出来事の記憶がなくなるだけの者もいるが、生まれてからの記憶を完全になくしてしまい、それまで存在しなかった新しい人格に入れ替わる者もいるらしい」

「別人に……なっちまうってのか?」

「ああ。賢者の塔でそんな話を聞いた。黒魔術ではそれを人為的に起こす事も可能だと」

「なんてこった……。それじゃ今のライガはウェイの知っているライガとはまったくの別人だっていうのか?」

「いいえ」

 フェヴェーラは首を横に振ってシェヴィンの疑問をきっぱりと否定した。

「あの方は昔のご自身を取り戻されました。はっきりそうおっしゃった訳ではないので、あくまで私の推測に過ぎませんが。

 でも、確かな事がひとつあります。ライガ様は私達が用意した人格を受け入れた時、それまでの記憶を封印されたんです。もう一人のご自分を守る為に」

「……俺を?」

 ウェイデルの問いにフェヴェーラが頷く。

「ライガ様のお心を傷つけたのがどのような事であったとしても、新しい人格にとっては取るに足らぬ出来事だったはず。ですからご自分を守る目的で記憶を封印する必要はなかったんです」

「もしライガが俺との繋がりを断たなかったら、君達はライガを通じて俺を……俺の心をも()じ曲げようとした? ライガはそれを防ごうとして?」

「ええ。あなたがあの時どれほど遠くにいたとしても、子供のあなたには私達の送る思念に抵抗する事はできなかったはずです。

 でも私達はつい最近まであなたの存在を知りませんでした。あなたからの呼びかけがライガ様の記憶の一部を呼び覚ますまでは。

 そしてあの方がもらされた言葉からあなたの存在を知られた総領シャイア様があなたの魔力(ちから)をもお望みになり、ライガ様がご自身にかけられたすべての封印を解くようお命じになった。それによって……」

「昔の人格(ライガ)もよみがえった?」

「そう思います。昔のライガ様があなたを守ろうとする力があまりにも強かったから……その記憶(おもい)が心の奥底に押し込められていた人格をも解き放ってしまったのでしょう。普通なら混乱して、傍目にもそれとわかってしまうんでしょうけど……。

 今のライガ様には複数の人格を受け入れて、それらを制御する事ができるんです」

 目をパチパチさせながらシェヴィンが尋ねた。

「どうやって?」

「ヴェインでは光と闇、両方の魔術を使います。その為には服を着替えるようにそれぞれの魔術に適した人格をまとう必要があるんです」

「頼むから素人にもわかるように説明してくれよ……」

「契約によって得られる妖魔や精霊からの奉仕などの例外はありますが、魔術というのは呪文を唱えたり、決められた動作をしたりする事によってではなく心で行うんです」

「じゃなんでわざわざ舌を噛みそうな呪文を唱えたり、指がつりそうな印を結んだりなんて面倒な事をするんだ?」

「儀式は心をある決まった型にはめる為にある。心が意図された形をとった時、世界がそれに(こた)える。自分の心を自由に操れる者が偉大な魔術師となる」

「だからそんな魔法使い向けの講義をまんま暗誦(あんしょう)されたってなァ……」

 髪をかき回してぼやくシェヴィンの様子に、ウェイデルは何年か前のはるか東の地に思いを()せた。確かにさっきの彼の科白は賢者の塔で講師が口にした通りの言葉だった気がする。

「例えばあなたが怒っている時に楽しい気分になろうとしてもすぐには難しいでしょう?

 魔術師はある呪文を唱えたり、定められた動作をする事ですぐ様必要な心の状態にできるように自分を訓練するの。

 だから同じ結果を得る為に百人が百人とも違う呪文を使う事も、あるいは使わない事も可能だけれど、自己流のやり方を試す間に事故を起こす危険を冒すより、長い年月の間に先人が編み出した方法を踏襲(とうしゅう)するのが賢明というものでしょう」

「そんなもんなのか?」

 チラッと見あげるようなシェヴィンの視線を受けてウェイデルが答える。

「そう習ったな。厳密にはひとつひとつの魔法に違った心の型が必要になるんだが、大雑把(おおざっぱ)に分けて白魔法には白魔法に、黒魔法にはそれに適した形がある。

 だから黒魔法の使い手は長い間に黒魔法向きの精神状態が普通になり、魂を闇に喰われると言われている」

「ライガはその二種類の人格を使い分けるのに慣れていた?」

「私の考えでは更にふたつ。ライガ様はヴェインの大儀の為に作りあげられた人格と、それをそのまま受け入れる事ができずにある程度昔の影を残して御自分で作り出された人格を長い間うまく使い分けていらっしゃいました。

 それは私達が行った魔術の結果として珍しい事ではないようで、シャイア様も影の人格が表立って現れない限り差し障りはないだろうと容認されていたんです。そんな訳でそこにもうひとつのお心が加わっても大きな混乱をきたさずに済んだのでしょう。

 でも、それは表面だけです。私にはわかります。ライガ様はとても苦しんでおられる。

 新しい……というか目覚めた古い人格は、後から作られたものとは相容(あいい)れないもの。

 あなたが……」

 フェヴェーラは言葉を切ってウェイデルを見やった。無表情に語り続けていた瞳に苦悩の影が落ちる。

「ヴェインでシャイア様に従ってくださればその状態は解消される……と考えていましたが……」

「昔のライガがそれほど強く俺を君達と接触させたくないと考えているんなら、それはそれで別の葛藤(かっとう)を生み出すだけじゃないのか?」

「私もそう考え始めたところです。

 そして、このままの状態が長く続けば出口のない狂気に(とら)われてしまわれるか……」

 ウェイデルは記憶の底から浮かびあがってきた教師の声……自分とは関わりのない事例のひとつとして聞いていた話……に身震いした。

「分裂した人格同志が優位を争って相手を……つまり自分を……殺そうとする?」

「そういう事もあり得るのではないかと……」

 恐怖に彩られた怒りがウェイデルを(とら)える。

 だが、フェヴェーラに詰め寄ったのは、ウェイデルを腕で押しのけるようにして制したシェヴィンだった。

「アンタ、ライガが好きなんだよな?」

「……!」

 突き刺すように言い放たれたシェヴィンの科白にフェヴェーラの目が見開かれる。

「私は……」

 視線を落とし、顔をそむけた彼女の頬をシェヴィンが両手で挟んで自分の方を向かせた。

「オレはライガの事はよく知らない。だけどアイツがアンタを取り戻そうとして必死になってるのはわかる。ライガはアンタの事が好きなんだ。

 アイツの気持ちは一方的なものなのか?」

「私は……」

 フェヴェーラの瞳から大粒の涙があふれ出した。言葉にできない思いが唇を震わせている。

「アンタだってライガの事が好きなんだろ? だったらなんで助けてやらないんだ?

 そんな、そんなひどい……自分の中に別の自分を作られて、ソイツが自分を殺そうとするかもしれないなんて状態から」

 フェヴェーラは視界いっぱいに迫ってきたシェヴィンの射るような眼差しから逃れようと、彼の両手を払いのけて後じさった。

「私……私は……」

「できないなんて言うなよ。やろうとしてないだけなんだから」

「ああっ、ライガ様……」

 顔をおおってうずくまったフェヴェーラが押し殺した声で泣きじゃくり始める。

「泣かしちまったな」

 うつむいて呟いたシェヴィンは、毒気を抜かれてフェヴェーラの震える背中を見つめているウェイデルの肩をポンと叩いた。

「少し落ち着いてきたら慰めてやれよ。

 気合い入れるんだな。ひょっとしたら彼女はオレ達の救世主になってくれるかもしれないぜ」



 涙が枯れかけた頃「フェル」と呼びかけられて顔をあげた。ライガだけが口にする彼女の愛称。偶然か、ライガと同調した時に読みとったものか、どちらにしろ深い意図がある訳でなく思わず口をついたといった雰囲気だったが、その呼びかけは確かにフェヴェーラにある影響を与えた。

 愛しい声。だがその響きは()の人のものとは違う。その顔も、造化の神に同じに作られながら別人の表情を浮かべる。

 押しつけられた冷酷さなど持たず、大事な魂の半分を長い間傷つけてきた者をさえ気遣(きづか)う。

 ヴェインの民に魅入られなければ、そうなっていたかもしれないライガ。その眼は無言のまま彼女に助けてくれと訴えている。

「彼……シェヴィンが言ったように私にライガ様をお救いする事が……?」

 確信している、というよりはそう希望しているといった面持(おもも)ちで頷いたウェイデルは、座り込んだままだったフェヴェーラに手を差し出してくれた。掌の大きさや指の長さは同じでも魔法よりむしろ剣の修練を積み、厳しい野外生活をしてきたウェイデルの手はライガの手より無骨でがさがさしている。

 立ちあがったとたん、(しび)れた足がもつれてウェイデルの胸に倒れかかった。彼女を支える手のぬくもりが、乾いたはずの涙をこみあげさせる。

 だが、フェヴェーラはそれをこらえてはっきりと言葉を口にした。

「考えてみます。私に何ができるのか」

 こうしてフェヴェーラは人質ではなく仲間としてウェイデルとシェヴィンの道行きに加わり、足を動かしていても考える事はできるというシェヴィンの主張に従って答のでないままヴェインへ向かって歩を運んだ。

 武術をたしなんだ事などなく、魔法が封じられたフェヴェーラは二人の男達に西域奥地の様々な脅威(きょうい)から守ってもらわねばならなかったが、レヴァインとディードが切り開いた道を教える事で一行の行程を早めた。ポツリポツリとヴェインの教義やそこでの暮らしぶりを語りながら。



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