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30 葛藤 3

月見月 二十一夜


 魔剣が発動した時に放たれたのは爆発的な怒り。

 そうやって感情を押し出してしまった事で開いた扉の前に一種の真空状態が生じて哀しみや悔悟(かいご)といった(かか)え難い思いが吸い出されていき、大きくなった空白に残された心が吸い寄せられていく……

 それは一種の解放であり、快感だった。ヴィズルに求められるままに心を燃やし、それによって世界に力があふれていくのを感じるのは。たとえ、それが破滅しかもたらさない力だと知っていたとしても。

 魔剣を振りあげたまま彫像のように立ち()くすウェイデルを中心に、渦巻くように魔力が吹き出していた。幾何級数的に強さを増しながら。

 一角鬼に、自失したままのシェヴィンの楯になるよう命じたライガは顔の前にかざした腕で見えない障壁を押しのけるようにゆっくりと進んでいった。ウェイデルの足下で彼を誘うようにきらめく指輪にむかって。

 腰をかがめたライガの指先が魔石へと吸い寄せられていく。ひやりとした青い石を握りしめた時、力が湧きあがってきた。それは力強く、荒々しかったけれど、少年の日のように彼を圧倒する事はない。

 素早く指輪をはめたライガは高く(かか)げられていたウェイデルの手首をつかんで胸元まで引き下ろした。

 たぎりたったウェイデルの心に愛らしい少女の記憶が冷たい氷塊となって投げ込まれる。ライガと彼の心が同じ調べを奏でていた頃の最後の記憶。指輪を投げ捨て、魔力を暴走させた結果、ウェリアから消え去ってしまったはかない命。

「おまえはまた同じ事を繰り返すつもりか?」

 鋭い叱責(しっせき)に我にかえったウェイデルの眼前に彼の瞳をのぞきこんでいるライガの両眼があり、つかまれた手首から流れ込んでくる霊気がウェイデルの力を貪欲(どんよく)に求めるヴィズルの魔力を弱めようとしているのを感じる。

「ライガ……」

「情けない声で私を呼ぶ暇があったら、力を静めろ。このままではおまえ自身も壊れてしまう」

 言いながらもライガはヴィズルの柄をつかんだまま固まってしまったようなウェイデルの指を開かせようとしていた。ウェイデルの魂はまだほとんど魔剣に取り込まれたままなのだ。とにかく、この木偶(でく)のような体から魔剣を放させ、指輪をはめさせる事ができれば……



月見月 二十二夜


「俺が覚えているのはライガが俺の指に指輪をはめ、力の奔流(ほんりゅう)が止まった事までだ。その直後に気を失ってしまったらしい。

 気づいたら、ここで鞘に収まったヴィズルの上に乗るようにしてうつぶせに転がっていた」

 語り終えたウェイデルはふと違和感を覚えて周囲に注意を向けた。世界を支配していた雨音がほとんど気にならない程の背景音にまで遠のき、薄れた雲からほのかな月影がさしている。

「って事はライガがオレ達をここに?」

「……?」

「情けない話、あの時オレなんにも考えられなくてさ。ただぼんやりへたりこんでた。ちゃんと目を開いてみんな見てたはずなのに……」

 フッと自嘲(じちょう)の笑みを浮かべたシェヴィンは考え込むように目を閉じる。

「風? 光? ちょっと違うな……なんだかよくわからないけど凄い力がオレを引き裂きそうになっても逃げ出す事さえ考えなかった。そしたらコウモリみたいな羽をはやした二本足のバケモノがおおい被さってきて……。

 気がついたらここにいて、隣でウェイが寝てた。

 だからてっきりアンタがあのコウモリ男をやっつけて、オレを運んだあと力尽きたのかと思ってたんだけど……」

 雨があがりそうだから、という訳ではないのだろうが、シェヴィンのしゃべり方にいつもの軽い調子が戻ってきていた。

 そして多分そのせいなのだろう、フェヴェーラは隣に座っているウェイデルの体のこわばりがほぐれてきたのを感じた。毛布越しとはいえこれだけ身を寄せ合っていればわずかな筋肉の動きも伝わってくる。

「なァ、ライガはアンタをヴェインに連れて行きたがってたんじゃなかったっけ?」

「……表面的には」

 フェヴェーラはウェイデルの返答に息をのんだ。

「本心は……違う?」

「……わからない」

「ウェイ?」

「わからないんだ。確かにライガの心は何度も俺の心と繋がった。だけど……なんていうか……ひどく混沌としていて、俺には理解できない」




 いつもの、シャイアの椅子の左側ではなくその正面、一段下がった床にひざまづいたザインはヴェインを出てからの経緯を簡潔に語り終えた。

 話の間あいづちひとつ打たず、視線をザインの上にひたと据えたまま耳を傾けていたシャイアが口を開く。

「ウェイデルの暴走が止まった後、何度も心話で呼びかけたにも関わらず返答がなかった、と言うのじゃな」

「はい。警戒しながらあの場に戻ってみましたが誰一人見当たりませんでした。その直後に鷲獅子に乗ったライガ様が現れたのです」

「ライガはなんと説明した?」

「私の心話はきこえなかったと。多分ライガ様が疲れ切り、他の事に心を奪われていたせいではないかとおっしゃいました。

 元々あの方は心話はあまりお得意でないので、辺りの気が乱れていた事もあり、納得できないでもありません」

「ライガが心を奪われていたというのは?」

「ウェイデル様です。あの方の暴走を止めるのに力を使い切り、しばらく気を失っておられたのだと。

 気がついた時にはウェイデル様とその連れの姿がなく、まさかの用心にと離れた場所に待機させていた鷲獅子を呼んで周囲を捜索していた、とおっしゃいました」

「信じておらぬのか?」

「嘘をついておられる、という根拠もないのですが、フェヴェーラ様を捜しておられたと推測するのが妥当なところではないでしょうか。私と合流してからでは無理ですから、あえて私を避けながら周囲を捜索していたのではないかと」

「あるいはウェイデルを逃がしてやっていたか」

「それは……」

 ザインは言葉を続けようとはせず、無表情なままただ軽く肩をすくめた。

「気に入らぬ」

 シャイアは人差し指の爪で椅子の肘掛けをコツコツと叩いた。

「おまえの行動もじゃ、ザイン。なぜライガの傍を離れた?」

「先程お話しさせていただいたように身の危険を感じましたもので。ライガ様の足手まといになってはと危惧したのです」

「身の危険じゃと? そなたがそのような事に頓着(とんちゃく)するとは」

 皮肉に細められたシャイアの眼から逃れるようにザインはことさら卑屈(ひくつ)(おもて)を伏せた。

「私は臆病者なのでございます」

「はっ!」

 (あざけ)るように一笑したシャイアはつまらぬ冗談だと言いたげに手を振ってザインをさがらせた。

 目を閉じて親指と人差し指で眉間をつまみ、次々とわきあがってくる疑惑のひとつひとつに焦点をあてていく。そのうちのいくつかは疑惑で終わりそうもない、長年ヴェインを束ねてきた者としての直感がそう告げる。

(儂は間違っておったのだろうか?)

 先代よりこの黒檀(こくたん)の椅子を引き継いで以来ずっと正しい事をしてきたと思っていた、いや思おうとしてきた。

 バラドの姉のシャアラが死んだ時も、フェヴェーラをバラドから取りあげた時も、よそ者であるライガを取り込んでフェヴェーラを与えた時も、レイリアをザインに与えた時も……危険な儀式を強要してバラドとシャアラの両親を死に追いやってしまった時も……。

 いつも、いつも彼女は正しい選択をしてきたはずだったのだ。ただ死んだ者達が未熟だっただけ、他の者達が大儀よりも己の感情を優先させるから彼女に下された命令を辛く感じるだけなのだ。

 だがしかし、ここまで一族の心がバラバラになってしまうとは。

 先祖達が何千年もかけて果たせずにきた混沌への回帰を、彼女こそがやり遂げるのだと気負うあまり民を間違った道へ導いてしまったのではないか? はやる心が視野を狭め、すぐ隣にあった正解に気づかなかったのではなかろうか?

(そのような事はない。いま少しじゃ。いま少しで我らの悲願は果たされる。ウェイデルと指輪、それに恐ろしい力を秘めているという魔剣。それらが手に入れば……)

 これだけの条件が整ったのはミトラ様のお導き。彼女が正しかった(あかし)に違いない。

 また左の胸に痛みが走った。




 洗濯物を抱えたレイリアがライガの部屋から廊下へ踏み出したとたん、ザインに進路をさえぎられた。

「どんな様子だ?」

 主語はなくともライガの事を()かれているのだとわかる。

「お疲れだったのは確かですが、何かとても興奮しておられて……。やっとお休みになられたところです」

(興奮……か。まあそうだろうな。私でさえ……)

 レイリアは黙したまま考えを巡らせるザインを見て、得体のしれない不安に襲われた。彼はたとえわずかの間でも対話の最中に自己の中に入ってしまう事などなかった。少なくとも彼女の前では。

(この人の考えている事なんてわかった(ためし)はないけれど……



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