29 葛藤 2
このところヴェインの上空は晴れていたが、洗濯カゴに放り込んだライガの衣類は湿り気を帯びていた。
レイリアは交換したばかりの右腕の包帯に触れぬよう気をつけながら、籐の丸椅子に座ったライガの髪と体を乾いた布でこすると、薄い夜着を着せかける。ライガが寝台に滑り込むと上掛けを整えて、部屋を出ようと脇机の洋燈に手を伸ばした。と、その手首がつかまれる。
「ライガ様?」
「ここに居てくれ」
今まで見た事がない、すがるような眼だった。
「体を休めるべきなのはわかってる。だけど眠れそうにないんだ。あまり……色々あって。しばらくいっしょに居てくれないか?」
『話したい事がある。でもザインやシャイア様に聞かれる訳にはいかない』
「手を……握っていてくれ。子供みたいだが……」
体を触れ合わせての心話は盗み聞きされる恐れがなく、使用者の負担も少ない。術者同士なら最も安全な内緒話の手段といえる。
レイリアにはそこまで用心する必要があるとも思えなかったが、はにかんだような笑みを浮かべたライガの様子からすると人の温もりが恋しい気分なのも嘘ではないらしい。何か不思議な心地を味わいながら寝台の端に腰掛けたレイリアは両手でライガの左手を包み込んだ。
話したい、と言いながらライガはただぼんやりと重ねた手を見つめている。
(本当ならこうしているのはフェヴェーラのはずなのに……)
何か後ろめたさのようなものを感じたレイリアは沈黙を破る言葉を探した。
『日暮れ前にシャイア様は強い魔力を感知したとおっしゃっていました。あなたがいらっしゃるはずの辺りで……』
『ウェイデルだ』
『え……』
『あれはウェイの力。そして……ああ、僕は……』
目を閉じたライガの手に力が入る。眉間に刻まれるしわ。その苦悩に満ちた表情をこすり落とせるかのようにレイリアはあいている方の手でライガの手の甲をさすり続けた。
「すまないレイリア」
目を開いたライガは大丈夫だというように右手で彼女の手の動きを制する。
『どうしてなんだろうな? 一番思い出したくない瞬間を真っ先に思い浮かべてしまうなんて。
いや、そもそもあの程度の事で動揺してしまうなんて。僕自身、もっとひどい事を何度もやってきているというのに』
突然ライガが押し殺した笑い声をもらし始めた。咳の発作をこらえるように右手で口をふさぎ、体を折り曲げるようにして。
「ライガ様……?」
ひとしきり笑い終わったライガは少し涙目になっていた。レイリアにはそれが笑ったせいばかりではないように思える。
『僕にもアレをひどいと思う感覚がまだ残ってたんだな、そう思うと無性に可笑しくてね。
ウェイの事を……思い出したせいだ。あいつがあんなに無防備にすべての感情をぶつけてくるから……』
今夜のライガはレイリアをひどく戸惑わせた。側仕えをするようになってから、常に毅然とした態度を崩さない祭司長としてではなく、一人の人間としてのライガを知るようにはなった。
とはいえ、つい最近まで彼が僕という一人称を口にするのを聞いた事すらなかったのだ。とてもライガの事を理解しているとはいえない。
「大丈夫……ですか?」
フェヴェーラならこんな時どうするのだろう? そんな事を考えながらもライガの側から逃げ出したくなっている。
『やはり先にお休みになられた方が。お話は後でゆっくり……』
『ダメだ!』
立ちあがろうとしたレイリアの手がきつく握りしめられ、一瞬走った痛みに息をのんだ。驚いたライガが慌てて手を離す。
「ごめん……」
フェヴェーラと二人きりの時のライガはいつもこんな風なのだろうか?
レイリアがフェヴェーラと似ている事がライガを混乱させている?
それでもライガにとってレイリアはレイリアでしかなく、決してフェヴェーラの代わりにはなり得ない……遠慮がちに彼女の手に自分の手を重ねてきたライガを見ていて、レイリアはそんな思いが息苦しさを感じさせるのに気づいた。
『さっき言ったのはシャイア様向けの嘘じゃない。このままじゃ、眠れそうにないっていうのは。
僕の中で……ずっと忘れていた感情が渦巻いていて、どうしても静められない。
でも、話をする事でその流れを外へ押し流せるかもしれない。それに、こうやって君の手を握っていると何か安心できる気がする』
なんと答えていいのかわからずレイリアは黙ってライガの瞳を見返し、もう一度両手でその手を包み込んだ。
フェヴェーラを助ける為にウェイデルに取り引きを持ちかけた事、予想外にあっさりと話がまとまり、ウェイデルが……少なくともある程度は……自分を信用してくれていると思えた事、直接妖魔に触れて心話を使う事でザインを欺いた事。
ところがいつまでたってもフェヴェーラからの連絡がなく、妖魔をつけたにも関わらずシェヴィンというウェイデルの連れがレヴァインにやられたか、いや、それならば契約の絆がある者には感じられる妖魔が消滅した波動が伝わるはずだと気をもんだ事……。
レイリアに状況を説明していくうちにライガの気分も落ち着いてきたようだ。初めは迷走しがちだった話が整然とまとまりを持ち始め、言葉遣いさえ違ってきた。
とりもなおさず、二人の間にあった親密感が薄れてしまったような気がして、レイリアに一抹の寂しさを感じさせる。
ウェイデルの剣が少女の体を貫いた様を話す時ですら淡々とした語り口に変化はなかった。ライガはその半身の苦悩をそのまま感じていたらしいというのに。
『ウェイデルの魔力が暴走し始めた時、ザインはその力の大きさに恐れを抱いたようだ。私の忠告に従ってその場を離れたのだから。可能ならあの場でウェイデルを取り込んでしまいたかったのだろうに。
だが、私はザインのいない所でウェイデルとシェヴィンにフェヴェーラの事を尋ねたかった。あそこでウェイデルを手に入れたのではレヴァインを傷つけずにフェヴェーラを取り戻す事が難しくなる』
『では暴走を止める自信がおありだったんですね』
『いや、自信はなかった。
ザインも私が成功する確率は五分五分だと踏んだはずだ。だから自分の安全を確保して私をあの場に残した。ウェイデルと指輪と魔剣、放置しておけば力に飲まれてすべてが消失してしまったかもしれない。私を失う危険を冒しても助ける価値があると踏んだんだろう』
『そんな……危険な事を……。フェヴェーラの、為に?』
何かを思案するような間があり、静かに目を閉じたライガが伝えてくる心話の調子が変わった。
『フェル……ウェイ……どちらも助けたかった。君との約束を破らずに……。それにヴェインの大儀が関わっていた事で僕の呪縛とも折り合いをつけられた』
僕の呪縛。サラリと口にされたその言葉がレイリアを愕然とさせる。
そうだ、この人はヴェインの大儀……の実行者であるシャイアに心を縛りつけられているのだった。フェヴェーラを助けるというのはともかく、シャイアの意向を無視してレヴァインを無事に逃亡させるというレイリアの頼みをきく事はライガに苦痛を強いているに違いない。なぜ今までその事に思い至らなかったのだろう。
『僕に相談した事を気に病む必要はない』
直接に肌を触れ合って緊密な心話の回線を開き続けていたせいでレイリアの心の乱れがライガに伝わってしまっていた。
『君が秘密を打ち明けてくれなければフェルを探す手がかりは皆無だった』
こうして内緒話をしている事すらライガの心に葛藤を生じているはずなのに……それなのにどうしてこうも穏やかに話ができるのだろう。
『人は誰でも自分に嘘をつく事ができる。どうやら僕は普通よりそれが上手いらしい』
レイリアの考えがすべてライガに筒抜けになってしまっている。レイリアにとってライガの心は相変わらず不透明なままだというのに。
(魔力の差?)
レイリアの心をこうも明瞭に読み解いてしまうのはそれと卓越した洞察力のせいだろうが、彼女にライガの心が見えないのは彼が自分についているという嘘が障壁となっているせいもあるのだろう。
『そうだな、きっと。だから僕も、時々どれが嘘だったのかわからなくなる……。
それとも、何もかもが嘘なのか……』
最後の一言はひどくかすかで、多分独り言のようなものだったのだろう。
一瞬漂った重苦しい空気を振り払うようにライガはレイリアと繋いだ手に一鼓動の間軽く力をこめた。
『話を元に戻そう。幸い、と言うのもなんだが、死んだ少女達の発した負の感情がまだ辺りに残っていた。私はそこから魔力を引き出し……』
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