28 葛藤 1
月見月 二十一夜
太陽が空と大地を血に染める少し前、シャイアは境界に強力な波動を感じて身を強張らせた。
輝き、すべてを燃やし尽くすかのような魔力。
しかし、その力はふくれあがっていく途上で突然消えた。
その直後、胸中に湧き起こった憂いが誘発したものか、時折不調を感じるようになっていたシャイアの心臓がキリリと痛む。
(まだじゃ、まだ儂にはせねばならぬ事がある)
胸を押さえたシャイアは心話を使ってレイリアにある強い薬を調合して持ってくるよう命じた。
ほどなく、顔いっぱいに心配を表したレイリアがシャイアの前に現れた。息が乱れているのは小走りで来たからだろう。礼をする事すら忘れてシャイアの座した上段に歩を運ぶ。
シャイアはレイリアが持ってきた盆からひったくるように求めていた薬がはいった小瓶をつかみ取り、トロリとした刺激の強い液体を一息に飲み干した。
驚いて盆をひっくり返しそうになったレイリアの眼前で、蒼白だったシャイアの顔にうっすらと血の気がさす。かたわらの小卓に音をたてて盆が置かれ、シャイアはその上に頼みもしない粉薬の包みと水差しまでが並んでいるのを見てとって、それらを床に払い落とした。
「誰がこのような物を持ってこいと言うた!」
その強い口調におののいたレイリアが後じさる。
言葉が喉につかえてでもいるかのように唇を開きかけては閉じ、おどおどとした視線を壊れた水差しと跳ね飛んだ水に濡れた自分のスカート、シャイアの顔に滑らせる。
それでも数呼吸のちには臍の上で両手を組み合わせてグッと力をこめ、深い息をひとつ吐いて、まっすぐにシャイアの眼を見返した。
「鎮静剤をお持ちしたのがいけなかったとは思いません。お命じになられたお薬が必要な程お加減が悪いのなら、今すぐお心を楽にしてお休みになられるべきです」
(なんと、これがあの意気地のないレイリアか)
幼い頃からいつもビクビクと人の顔色ばかりを窺っているように思え、一度として我を通そうとするところを見た事のない娘がヴェインで恐れぬ者とていない総領に意見するとは。
それがシャイアの健康を気遣うあまりなのは明白だが、最近レイリアに起こり始めた変化の表れのひとつであるのも確かだった。
(ライガのせい……か)
両手で肘掛けをギュッとつかんで背をまるめ、目を閉じて考えを巡らせるシャイアの様子に、また具合が悪くなったのかと案じたレイリアが背中をさすり始めた。
「差しで口をお許しください。ですがどうぞご自愛くださいますよう」
レイリアの手から気遣いとあたたかみが伝わり、シャイアの心に染みこんでいく。
肉親としてはやさしい言葉のひとつもかけてやってその言に従いたいところだが、大きな賭けにでている今、鎮静剤などで心を曇らせる訳にはいかない。
月見月 二十二夜
宵の星が没する頃、ザインの心話を受けたシャイアは杖を手にした。その目で確かめたい事でもあるのか、レイリアを従えて衰えた足を離着台まで運び、自ら結界を開く。
(戻ってきたのは一頭だけ?)
鷲獅子に二人乗りしたライガとザインを認めたレイリアは彼らの身にただならぬ事が起こったのを知った。
時折、ライガが意に染まぬ行動をとった妖魔を消滅させる事はある。しかし、六、七頭は連れて行ったはずの妖魔が一頭しか戻らないとは。
月香樹の村の少女達もウェイデルの姿も見当たらないだけでシャイアのとがめを受けるには充分だが、それさえも大した事ではないと思える程の不安がレイリアの胸をしめつけた。
乱暴に着地した鷲獅子の背から降りたライガがよろめき、膝を折る。
「ライガ様!」
声をあげてライガに走り寄ったレイリアはザインと目を合わせて凍りついた。レイリアの心の奥底まで見通した上で、彼女らしからぬ行動を嘲笑っているかのような冷たい緑の瞳。
「ライガ様はひどくお疲れだ。誰か呼んで、寝室までお連れしろ」
「大丈夫だ。自分で歩ける」
ライガはザインの命令に従って力の強い男を呼びに行こうとしたレイリアを引き止めた。ゆっくりと立ちあがって歩き出すが、引きずるような足運びが傍目にも辛そうだ。
「ではレイリア、せめておまえが肩を貸して差しあげるがいい。……どうした、早くしろ」
「……はい」
ライガは一瞬ザインを睨みつけるような目つきをしたが、素直にレイリアの肩に左手をかける。その時、黙したままだったシャイアが進み出、うつむいていたライガの瞳を覗き込んだ。
「おまえの眼は決まった色を持っておらぬな」
ライガの瞳は光の加減で黒にも灰色にも、濃淡が複雑に入り混じっているようにも見える。だがシャイアがその事を言っているとは思えなかった。
「シャイア……様。私は……」
「よい。今は体を休める事じゃ。話はザインから聞こう。無論あとでおまえの口からも聞かせてもらうがな」
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