27 雨 4
月見月 二十二夜
シェヴィンとウェイデルが最低限の言葉だけを交わして機械的に馬を繋ぎ、あるいは鉈を振るって作業を進めていた間、フェヴェーラは完全に無視された形になっていた。
作業が終わった後も無言のまま肩に毛布をかけられ、馬の足の間に押し込まれて、見知らぬといっていい二人の男に挟まれて身動きもできない。しばらくは雷と雨が激しくて会話のできる状態でなかったのは確かだが、雷鳴がおさまってからも誰も口をきこうとはしなかった。
「どうしてだ……?」
地面を見つめたままウェイデルが口を開く。物思いにふけっていたフェヴェーラの肩が震え、現実に引き戻された。
フェヴェーラと同じようにピクリと顔をあげたシェヴィンはウェイデルの問いは答が返ってくるはずのない闇に向けられたものだ、そう感じながらも話すべき事を話す頃合いだと思う。
フェヴェーラの前で、という事にためらいを感じはしたが、結局、彼らしくない低いゆっくりとした口調で語り始めた。
「ウェイ、アンタがライガとした取り引きはレヴァインを傷つけずにフェヴェーラを取り戻してきたら、交換にさらわれた村の女の子二人を返すって事だったよな」
(彼は……ザインが生贄を連れてくる為に選んだ村の……)
もうひとつの事情。彼らの話を聞いていれば自分の置かれている立場がもう少しわかるかもしれない。フェヴェーラは胸の前で毛布をかき合わせて聞き耳を立てた。
「ライガが貸してくれた鷲獅子は少しヒトの言葉がわかるって事だったから、打ち合わせ通りあの笛吹き野郎やレヴァインに見つからないように低空飛行で野営地に近づいた後、<呼ばれるまで絶対動くな>って言って樹海の中に置いてったんだ。ライガがオレの命令をきくようにきっちり命令してくれてたんで助かった。
最初の予定じゃ鷲獅子に乗ったままフェヴェーラとなんとかって首輪の鍵をかっさらって、心話が使えるようになった彼女にライガと連絡をとってもらうってはずだったから……」
(なんですって……)
それではライガは鍵の事をシェヴィンに知らせていたのだ。
「相談なしで勝手な事やったのは悪かったと思ってる。でもアンタと別れた後で考えついた事なんだ。オレにはフェヴェーラがライガにとってひどく特別な存在に思えた。
だってそうだろ? 笛吹きや他の仲間に内緒で助けようっていうんだ。それなら村の女の子二人だけじゃなくて残りの四人とアシェもいっしょに……それどころか、もしできるなら世界そのものとだって交換しかねないんじゃないかって」
「多分……そうだろうな」
ポツリと呟かれたウェイデルの言葉がフェヴェーラの心臓をつかんだ。心が、体が小刻みに震え始める。
(ライガ様が……)
「そうか……アンタにはわかるんだよな。ライガが隠そうとしてない気持ちなら。でも、ならなんで……?」
長い沈黙の後、聞こえたのはシェヴィンの溜め息だった。
「まァいいや。とにかくオレは魔法が使えない状態のままフェヴェーラを手に入れたかった、改めてライガと交渉する為に。
彼女はすぐに見つかった。とりあえずオレの言った事を信じてくれたみたいで鍵の事も忘れてアンタ達がいた方へ向かってくれもした。
その後レヴァインにライガからの伝言を伝えて、ついでに馬をもらっておく事にしたんだ。あっさり渡してくれたよ。
あのレヴァインって奴、よっぽど笛吹きやライガに恨みがあるみたいだな。いくつか忠告までしてくれた。連れの大男は不満そうだったけど。
でも、レヴァインがオレの邪魔をさせるとは思えなかったんでフェヴェーラに追いついて、馬といっしょに待っているように言って……。
とりあえずそこまではうまくやったと思うんだけど、どうやってライガと話をつけていいのかわからなかったんで、アンタが乗った飛龍が降りてった場所にこっそり近づいて様子を見る事にした。
それからはアンタの知ってる通りさ」
シェヴィンの話が終わってもフェヴェーラはまだ震えていた。
あれは本当の事だろうか? ライガが彼女の事を世界と引き替えても構わない程に……。
またしても世界を支配する雨音。闇の中でそれは静かに神経を蝕んでいく。
「ウェイ……」
黙り込んだままのウェイデルに向けられた言葉には小さなトゲが感じられた。
「次はアンタの番だぜ。……話せよ、フェヴェーラからの連絡があるまでライガと当たり障りのない話をして笛吹きをごまかしてるはずだったのに、なんであんな事になってたんだ?」
「時間が……」
ウェイデルの両手に力が入り、肩がこわばる。
「時間切れだとライガは言った。ザインが痺れを切らせたと」
「ザイン……あの笛吹きか……。奴は……あの二人は一体どういう関係なんだ?」
「ザインは……」
ふいに口を開いたフェヴェーラは二人の男が同時に彼女の方へ顔を向けたのを感じて口ごもった。
「ザインは……?」
シェヴィンは体をひねってフェヴェーラの肩に両手をかけ、上体を彼の方へ向かせる。その急な動きに驚いた馬が四肢を縛られた縄を引っ張り、鼻を鳴らした。
「そうだ、アンタがいたんだ。教えてくれ、ヴェインの連中ってのは何を考えてるんだ? どうしてあんな……あんなひどい事ができる?」
「ひどい事?」
「シェヴ! 彼女は知らないんだ」
「あ……」
そう、フェヴェーラはあの場にいなかった。シェヴィンは自分はそんな事すら失念してしまうほど動揺しているんだなと、改めて思い知る。
「だけど……」
しかし口をついて出たのは謝罪の言葉ではなかった。
「だけどきっとわかるはずだ。あの笛吹きが何度もあんな事をやっているなら。それがヴェインのやり方だとしたら。
あいつらがオレ達に何をさせたか。可哀想なサミアとジェエルに何をしたか。
アシェラトに……何をしようとしているか……」
シェヴィンの手が震えていた。いや、手だけではない。肩も、唇も、大切な妹の名をあげたあと細く途切れてしまった声も。
「ザインが……ザインがあなた方に何かをさせたと……とてもひどい事をさせたと言うのね、ライガ様の前で」
フェヴェーラは激しい動悸に軽いめまいさえ覚えながら言葉を絞りだした。返ってきたのは低いが、叩きつけるようなシェヴィンの科白。
「ひどいなんてもんじゃない!」
三度目に彼女の前に現れた時からシェヴィンの態度がそれまでと違ってしまったのも、ウェイデルの様子がなんとなくおかしいのもザインが……。
「ザインは人の心を壊してその隙間に入り込むの。
でもあなた方がこうしているって事はそれが失敗したのね」
「心を壊して……だって……!」
「まさかそれをライガに……!」
シェヴィンの科白の半ばから、フェヴェーラの肩をつかんだウェイデルの声が重なった。
その勢いに馬達が騒ぎ始める。雷に怯えても大丈夫なくらいしっかりと縛りつけているとはいえ、彼らがいるのはその足の間だ。馬達が落ち着くまで三人は今まで以上にひとかたまりになって身を縮めていた。
「ライガは……ライガはどうなっているんだ?」
馬達が落ち着いたとみるや、フェヴェーラをかばうように、あるいは彼女にすがるように腕をまわして囁くウェイデルのあたたかい息が項をくすぐる。
(長い指……ライガ様と同じ……)
ふと触れ合い、自然と自分の手を重ねてしまったウェイデルの手。その手のぬくもりが複雑な印をなめらかに結ぶライガの細長い指の感触と重なった。
たとえ姿が似通っていても普段のライガはフェヴェーラを抱きすくめているこの男とはしゃべり方も物腰も、かもしだす雰囲気もまるで違う。だが彼女と二人きりの時のライガは、彼女しか知らないライガは、時折こんな風に守るように、甘えるように彼女を抱きしめ、今の彼のように聞いていると切なくなるような声で彼女に語りかける。
感情が向けられている方向が違うとはいえ、あふれる思いを抑えきれないでいるような息づかいまでが似ていた。
「ライガ様のお心がどうあられるのか……それは話せばとても長くなります。 その前に教えてください。ライガ様はご無事なのですか?」
「無事……」
フェヴェーラの手の下にあるウェイデルの手が握りしめられる。
「だと思う」
ウェイデルはそれまでの経緯をとばして彼の魔力が暴走し始めた事だけをフェヴェーラに語った。そうなるに到った原因をフェヴェーラに聞かせたくなかった訳ではない。
話せなかった、まだ。
それに、彼女はさっきのシェヴィンの話から何があったかある程度推測しているはずだ。
「あの時、俺は自分が呼び起こしたヴィズルの魔力に飲み込まれてしまっていた。力を解放する事で心をからっぽにしたかったんだと思う。
自分が何を考えていたか、あるいは考えられなかったか、周囲の状況がどうなっていたか、何もかもが混沌としていてよく覚えてはいない。
だが、これだけははっきりと覚えている。体を突きあげるような、魂の奥底から湧きあがるあの感覚、圧倒的な……力!」
「じゃあ、あの時の空の色は……急激な天候の変化は……!」
先刻までの雷とこの雨がウェイデルが解放した力のせいだとしたら……。
天候の制御にはそれだけで大きな魔力を必要とする。しかも今回のそれは中途半端に放たれた魔力が引き起こした副産物、いわばおまけのようなものらしい。
もしもウェイデルの力がすべて解放されていたら……フェヴェーラはその大きさを思って絶句した。
「あのまま放っておかれたら俺自身も消滅してしまっていたかもしれない。けれどライガの声がきこえた……」
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