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26  雨 3

月見月 二十二夜


 雨が降っていた。

 低くたれ込めた暗鬱(あんうつ)な雲から。太陽は既に大地にその身を捧げて命を散らせ、雨粒が世界を打ちすえる音がささくれた神経をひっかき続ける。

 隣の木に寄りかかるように倒れた巨木を軸にして葉付の枝を幾重にも載せただけの即席の避難所。横腹をくっつけるように繋がれた三頭の馬の足の間で、馬と同じようにギュウギュウにくっついた三人が膝を抱えて座っている。

 フェヴェーラはさっきまで(ひらめ)いていた稲妻のせいで空気にチリチリとした臭いが混ざっているのを意識した。

 火を()く事もできず、星も月もない暗闇で間断ない雨音が耳をふさぎ、臭覚が敏感になっているようだ。雨の臭い、濡れた土や草の臭い、獣の臭い、彼女を挟んで座る男達の臭い、そして何日も風呂にはいっていない自分自身の臭い。

(どうしてレヴァインから禁呪の首環の鍵を取ってくる事を思いつかなかったのかしら?)

 レヴァインとディードはシェヴィンの矢を恐れて動く事ができなかったのだから、そうしようと思えばできたはずだった。鍵さえあれば魔法が使えるようになり、心話でライガに助けを求める事ができるというのに。

 フェヴェーラの心が暗闇の中をさかのぼる。




月見月 二十一夜


 シェヴィンに言われた通り南へ向かっていた時はライガに会えるという期待に胸が高鳴り、道なき道を一人進む不安も、見知らぬ男に対する懸念(けねん)も隅の方へ追いやられてしまっていた。それにレヴァインに囚われているよりひどい事になるとも思えない。あの銀髪の青年は短剣を貸してくれたのだし。

 ふと、自分の身なりが気になった。野宿とはいえ、しばらく移動なしで休んだおかげで髪を編み直したり、顔を洗ったりするゆとりができ、数夜前までよりはまともに見えるはずだが、くたびれた格好なのに変わりはない。

(このままライガ様の前に出るなんて……)

 さっきまでの興奮が嘘のように冷めていった。自然と足取りが重くなり、大きな(やぶ)の手前で止まってしまう。馬鹿げた考えなのはわかっていた。今はそんなくだらない事にこだわっている場合ではない。

 それでも……それでも……。

 張りつめていたフェヴェーラの心の糸が緩み、そのまま糸巻きが逆回りしたようにたるんでいく。ライガの顔が、声が彼女の心をとらえ、涙があふれてくるのを止められない。

「ライガ……様……」

 声にだしてその名を呼ぶ。胸に押しつぶされそうな痛みが走り、鞘に入った短剣を抱きしめて大地に膝をついた。

 そんなに長くそうしていたとは思えない。それともしばらく座ったまま意識を失ってでもいたのだろうか?

「ケガでもしたっ?」

 突然聞こえてきた声にうずくまったまま振り返り、視線をあげる。

 彼女の姿を眼にしたとたん牽綱(ひきづな)を投げ出して駆け寄ってきたシェヴィンの心配げな顔。

 なんでもないと微笑んで見せたフェヴェーラにシェヴィンはライガを連れてくるから馬といっしょにその場で待っていて欲しいと言った。

 彼女達がヴェインから乗ってきた三頭の馬。馬具はついていたが荷物はわずかばかりの食料と毛布が数枚あるだけで残りはレヴァイン達の為に置いてきたという。

 その時になってようやく自分の首環の鍵と混沌の書の事を思いだしたフェヴェーラがそれを口にしたが取り合ってもらえず、シェヴィンはレヴァイン達が彼女を追ってくる事はないはずだとだけ言い置いて木々の向こうに姿を消してしまった。


 ある一点を中心にして空が異様な色合いを帯び始め、鳥達が騒ぎたてる。

 不安にさいなまれ、伝わるはずのない心話でライガを呼び続けていたフェヴェーラの前に戻ってきたシェヴィンはライガといっしょでないだけでなく、ほんのしばらく前とは別人のように覇気(はき)がなかった。

 そしてフェヴェーラがライガの名を口にしたとたん向けられた刺すような視線。その、苦悩と哀しみに満ちた眼がフェヴェーラの言葉を奪ってしまった。彼の身に何か予期せぬ不幸が襲いかかったのは明白だ。それがライガと関わりのある事も。

(ライガ様は……ライガ様はご無事なのかしら?)

 いたたまれぬ思いに胸を引き裂かれそうになりながらも()(すべ)もなくシェヴィンの指示に従い、急速に悪化していく天候に追い立てられるように移動する。

 そこに倒木を背にして、ぼんやりと座っているウェイデルがいた。彼と会ったのは初めてだったが一目でわかる。

(彼がライガ様の……。そう、そうだったの)

 これで事情の一端は飲み込めた。ほとんどヴェインから出た事のないライガがどうやってシェヴィンと知り合い、話をつけたのか不思議でならなかったのだ。ザインやシャイアのやり方とは明らかに違っていたから、ライガの単独行動であるはずなのに、と。

「ウェイ、起きてたのか」

 ホッとした表情。(うつ)ろだった翡翠(ひすい)色の瞳に光が宿り、すべてを(いや)すような笑顔が輝く。だがそれもほんの一瞬。

 放心したようなウェイデルの顔がゆっくりとシェヴィンに向けられた。数度のまばたきの後、いくつもの感情が矢継ぎ早にその(おもて)をよぎる。

「シェヴ……」

 最後に残ったのは沈痛(ちんつう)といっていい面持ち。

「シェヴィン、俺は……」

 雨の最初の一滴がウェイデルの頬を()らし、天をふりあおいだシェヴィンとフェヴェーラの上にもポツリポツリと雨滴が降りかかってきた。

「話は後だ。動けるか、ウェイ?」

 雨宿りの支度を始めた彼らを嘲笑(あざわら)うかのように雷鳴が轟いた。


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