25 雨 2
「おいっ! うっ……」
レヴァインにつかみかかろうとしたディードの胸に剣が突きつけられた。
「残念だったなディード。俺は力じゃあおまえに勝てないが、知っての通り剣には自信があるんだ」
ニッと笑ったレヴァインをディードは怒りに顔を赤くして睨みつける。
「そういきり立つな。むしろあっさり心臓をひと突きされなかった事を感謝して欲しいもんだな。それに俺は何もおまえにつき合えとは言ってない」
「当たり前だ。そんな気狂いじみた事につき合う奴がいるもんかっ」
「気狂いじみた事、か。もしかしたら俺はもう狂ってるのかもしれないな。生まれてからずっと化け物の巣くう牢獄に閉じこめられていたんだ。気がふれて当然かもな」
「レヴァイン、おまえ……?」
レヴァインの浮かべたどちらかといえば穏やかにさえ見える表情に粟立ったのはなぜだろう。ディードは知らぬ間に二、三歩後ずさり、レヴァインはあえて剣先でそれを追おうとはしなかった。
「勝手にしろ」
しばらく無言のままレヴァインを見つめていたディードが視線をそらし、吐き捨てるように言った。
「アンタがデイロスを渡るまではダメだなんてもったいをつけていたせいでフェヴェーラを楽しみ損なった事は忘れてやる。俺達の大事な馬をさっきの男にくれてやった事もな。
だが混沌の書は俺がもらう。アレはいい金になる、アンタがそう言ったからますますヤバくなるのを承知で持ち出したんだ」
「確かにな。あれにはヴェイン以外の場所では失われてしまった混沌の魔術が記されている。それ自体に宿る魔力がなくても欲しがる魔術師は腐る程いるだろう」
「だから俺が高く売りつけてその金を有効に使ってやる。死にに行くアンタには必要ない」
「死にに行く、だと?」
レヴァインの声音が低くなる。乾いた短い笑い。
「俺を見くびるんじゃないぞディード。混沌の書は渡さん。おまえに渡しても代金の代わりに心臓に尖った金属でも支払われるのがオチだろうよ。
《 絨毯 》 はくれてやる。ありがたく受け取って命あっての物種とサッサと西域を逃げ出す事だ。でなけりゃ俺が今ここでおまえを切り刻んでやる」
「なんだとォ!」
頭に血が上って剣を抜きかけたディードだが、抜ききる前にその怒りが萎えてしまった。考えるより先に体が動いてしまう性質のせいで随分と損な目にあってきたが、レヴァインの発する異様な雰囲気がその彼の性癖をも押しとどめたようだ。ゴクリと唾を飲み込んで、なんとかこれだけを口にする。
「アンタ、本当におかしいぜ」
レヴァインの虚ろなクスクス笑いを背中に聞きながら荷物をかき集め、あたふたとその場を離れた。
何がレヴァインをあんな行動に駆り立てたのだろう? 根が単純なディードには想像すらできない。彼にわかるのはこれ以上レヴァインの傍に居たくないという本能の囁きだけだった。
ほどなく樹海の切れ目、デイロスの川岸に出る。
荷物の中からクルクルと巻かれた布を引っぱり出した。ひろげられたそれは赤地に金の唐草模様が織りだされた絹の絨毯。寝台ほどの大きさで、色あせ、所々がすり切れたひどく古い物だ。ヴェインで作られた物でなく、大昔にどこかから奪ってきたらしいがディードには関心がない。大事なのはこれが彼をデイロスの向こうに連れて行ってくれる事。
荷物を背負ったまま絨毯の上にあぐらをかいたディードは禁呪の首環をはずした。
魔法を使えば彼らが境界と呼んでいる次元に波紋が起きる。術者を中心にして使われた魔力に比例した大きさのさざ波が拡がる訳だ。境界に聞き耳をたてている者がいる場合には魔法を使っている者の位置を宣伝しているようなものなのだが、この絨毯を使う魔法にはほんのわずかな魔力しか必要としないし、たとえ気づかれたとしても正確な位置を探られるほど長く使う訳でもない。
「大丈夫だ。レヴァインの野郎なんかいなくったってうまくやってみせる」
自分に言い聞かせるように呟いて、教えられていた呪文を唱えた。少しでも早くヴェインから遠ざかりたい一心でデイロスの恐ろしさも空を飛ぶ妖魔に対する警戒も忘れたまま。
「おわっ……」
もう少しで絨毯から転げ落ちるところだった。浮きあがった絨毯が地面と平衡にならず斜めに傾いでいるせいだ。
座った場所が悪かったか?
絨毯の縁をつかんだまま慎重に体をずらしてなんとか体勢を立て直した。
(そういやコイツは恐ろしく古いんで繊維に込められている魔法が薄れてるはずだって言われてたな)
レヴァインの言葉を思い出し、地面から三エルばかりの高さで危なっかしく上下動しながら浮いている様子に、どのみち馬を載せるのは無理だったかもしれんと思う。だが、とにかく絨毯に進めと命令して湿原の上へ滑り出した。
ザザザザザザザザ……
高度が足りないせいで丈高い草が騒ぎ立てる。それはそれで危険だが、もう少し強く魔力を送り込んでみようかと思いながら絨毯に視線を落とす。
「うわっ!」
痛みがないので気づかなかった。ふと見ると両手の甲に数匹ずつヒルが吸いついている。
むにゅむにゅした黒い紐が彼の血を吸って見る間にふくれあがってゆく。
慌ててその一匹を力任せに引きはがす。皮膚が破け、ヒルの出す毒液のせいで固まりにくくなった血が糸を引くように流れ出した。そうしている間にも絨毯がかき分けていく草の葉から新たなヒルがポタポタと降り注ぎ、耳に、頬に、額にとりつく。袖口や襟首から服の中へ潜り込んだのもいるようだ。
「うわあぁあぁっ」
恐慌をおこしかけ、絨毯がグラリと傾いた。ディードの体が滑り、草が折れる。ザザッという音に続いて水面に拡げた筵を落としたような鈍い水音。
まがい物の地面は大の字に落ちてきた大男をとりあえず受け止めた。
その彼の眼前に硝子玉のような黒い眼とチラチラひらめく舌。
「ひ……っ」
じっと彼を見つめたままゆらゆらと体を揺らす蛇。鎌首をもたげたそれから逃げようと立ちあがったとたん……
デイロスが口を開けた。
一瞬のうちに暗闇に引き込まれ、陽に温められる事のない冷たい水がディードを包む。悲鳴が泡に変わり、手足に草の根がからまった。もがけばもがくほど拘束が強まり、しぼんでいく肺に痛みが走る……
湿原を渡る風が間断なく草を波打たせる。やがて色あせ、すり切れた絨毯がその海に沈んでいった。
※三エル(約1.5メートル)
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