24 雨 1
金の髪の少女を人質にヴィズルを渡せと要求していたライガは短剣を取り落とし、左手で右腕を押さえた。裂けた袖に血がにじみ始める。
「シェヴィンか?」
ウェイデルは斜め後ろ、矢の飛んできた方へ視線を走らせた。その姿を確認するより早くシェヴィンの声が響く。
「ウェイっ! 今のうちにその子達を。ジェエル、サミア! こっちへ」
ジェエルとサミア、それが少女達の名前らしい。ウェイデルは呆然として反応できずにいる二人の方へ踏み出し、手を伸ばした。痛みに顔をしかめながら禍々しい言葉を呟きかけたライガの足下に二本目の矢が射込まれる。
「今度おかしな真似をしようとしたら心臓にぶちこむぜっ」
三本目の矢をつがえてライガを威嚇したシェヴィンだったが、すぐにその狙いを逸らさなければならなくなった。
「シェヴ、上だっ!」
いつの間に上空へ来ていたのか、シェヴィンに向かって急降下してくる飛龍。ライガは矢を避けて飛びすさりながらも心話で飛龍に命令をくだしていた。
弓弦がうなる。
飛龍の羽毛に埋もれるように矢が突き立つ。しかし……
『闇の生き物はそう簡単に殺せはしない』
独り言のようなライガの思考がウェイデルにも届いた。ギャアと一声啼いた飛龍は一瞬その動きを遅らせただけで無力な獲物に襲いかかる。
「やっぱダメかっ!」
シェヴィンは習慣的に手にしていた第二矢を投げ捨て、いつもと違う木製の矢を入れた矢筒から二本の矢を引き抜いた。既に飛龍との距離は十ヴァズマールもない。翼をひろげて制動をかけた飛龍の鋭い鉤爪が迫る。
(女神よ!)
神頼みなど滅多にしないシェヴィンが祈るように弓を引き、視界いっぱいに迫ってくる怪物に向かって矢を放った。
おぞましい叫びが響き渡る。
青白い炎をあげて燃えあがる飛龍。それは宙にあるうちに溶けるように燃え尽き、シェヴィンの上に熱のない火の粉が降り注いだ。
「破魔の矢か……」
ライガの言う通りだった。有事に備えて巫女が念を込め、セグラーナの神殿に奉納してあった破魔の矢。シェヴィンはその一部を持ち出してきていたのだった。
「うわっ、まだかっ!」
ホッとする間もなく襲いくる三頭の妖魔がシェヴィンの視界に入る。その一頭に向かってすかさず弓を引き、放った矢の行方も確かめずに新たな矢をつがえる。
「ライガっ、妖魔をとめろっ!」
シェヴィンを助けようとヴィズルを抜こうとしたウェイデルの腕がつかまれた。
「……?」
金髪のジェエルの小さな両手がウェイデルの右前腕を押さえ、サミアがベルトからヴィズルの鞘を外そうとする。
「何をするっ。やめるんだ、どうして……」
ウェイデルの問いをかき消すように響く魔獣の断末魔の声。重なるように轟くおぞましい苦痛の叫び。
その残響の中にもう一頭の最期の雄叫び。
三頭の魔物を焼き尽くした冷たい炎の名残が花吹雪のように舞い散る。
「……!」
もしやと魔法の視覚に切り替えたウェイデルの目に少女達に絡みつく無数の糸が映った。祭の夜、観客達を操った笛の音と同じ魔法。
知らぬ間に彼自身の身体にも何本か巻きついている。完全に操られてしまう事はないが動きが鈍ってきているのに気づいた。
「そんな……。笛の音は聞こえてないのに……」
「ザインは耳に聞こえない音で笛を吹く事ができる。効力はかなり落ちるようだが……」
ライガの言葉が終わらぬうちにはっきりと笛の音が響き始めた。同時に糸が倍、いや、数倍に増える。
「ウェイデルっ……!」
苦しげなシェヴィンの声。彼にも自由を奪う音楽が絡みつき、必死に抵抗しようとしているのだろう。
ウェイデルはなんとか二人の少女の手をもぎ放そうとするが、操り糸に抵抗しながらではうまくいかない。それに無数の糸の力が加わっているとでもいうのか、少女達の力も増しているように思えた。
「どういうつもりだ、ライガっ?」
『それはこちらの科白だ。どうしてあの男がここに現れた?』
「それは……」
『声に出すな! あの事をヴェインの者に聞かせる訳には……』
『ライガ様、何をぼんやりしておいでです。今のうちに魔剣を』
天幕から出てきたザインの心話が届く。小さく舌打ちしたライガは樹海に控えさせていた人型の妖魔を呼んだ。暗がりで藪がざわめき、小枝をへし折りながら一角鬼が現れてウェイデルに近づいていく。
『ライガ、ひょっとして初めから俺を騙すつもりで……俺とシェヴィンを引き離すつもりであんな……』
『それなら今頃あの男は無事でいない。私は……』
ライガはその先を続けたかったようだが、一角鬼の手がウェイデルの肩へと伸びてきた。
「くそっ、ライガっ……」
鋭い鉤爪が体に触れるより一瞬早く、ウェイデルは鞘にかかったサミアの手をつかんでいた左手を放し、石をくわえて指輪を抜き取った。
大地に落とされる青い魔石
ウェイデルの中で熱く、力強いものが湧きあがる。ヴィズルの柄に巻かれていた布が燃えあがり、きらめくふたつの魔石が露わになった。
そしてウェイデルの裡にたぎる力と呼応するように炎の色をした石が強い光を放ち始める。
「うわあぁァ ―― っ!」
ウェイデルの叫びと共に身体から常人の目には見えない炎が吹き出し、ザインの糸をすべて焼き切った。
「きゃあぁっ」
その爆発的な霊気に二人の少女が弾け飛ぶ。
予期せぬ出来事に笛の音が止まり、一角鬼でさえ数歩さがって怖じ気づいたように動きを止めていた。
だがヴィズルは大地に投げ出されたサミアの両腕に抱えられている。ウェイデルに押さえられていた手が自由になったせいで爆発の直前に剣帯から抜き取っていたのだった。その隣に横たわるジェエル同様、操り糸の呪縛からは解放されたものの何が起こったのか理解できず、身動きもせずにただ瞳に空を映している。
真っ先に行動を起こしたのはウェイデルだった。サミアの元へ駆け寄ってその傍に片膝づくと左手にヴィズルをつかみ、右手でサミアの腕をひいて上半身を起こさせる。
ウェイデルに迫る一角鬼。
弓をひくシェヴィン。
再び響き始める笛の音。
そして、暗い眼差しで土の上に転がった指輪を見つめるライガ。
またも呪縛されたサミアがヴィズルの鞘に手をかけると同時にウェイデルが柄をつかんだ。
引き抜かれる刃。
「やめろザイン!」
何が起ころうとしているのかを直感的に察したライガの制止の声がサミアの悲鳴と重なった。
「いや ―― っ!」
行動だけでなく言葉さえも操られているはずのサミアの口からほとばしった拒絶の叫び。
涙に濡れたおびえた瞳。まだあどけなさを残した顔が恐怖にゆがみ、電撃のように走った苦痛に目を見開き……
ウェイデルの脳裏に焼きつけられた光景は永遠とも思われる一瞬の連続。
サミアの胸を貫いた剣身から鍔を越え、柄に、それを握りしめた両手に生暖かい血が伝う。一角鬼を倒すために振るおうとしたヴィズル。その切っ先目がけてサミアがぶつかって、いや、ぶつからされてきた。
「そ……んな……。こんな……こと……」
信じられないほどゆっくりと倒れていくサミアの体からヴィズルが抜けていく。柄を握りしめたまま血まみれの手を震わせたウェイデルの口元はひきつり、目は焦点を失っていた。
「え……? う、わ……。やめろ! 頼む、やめてくれっ」
ザインを狙って弓をひいたままの体勢で動きを封じられていたシェヴィンがうわずった声をあげる。彼の意志にはおかまいなしにじりじりと動いてゆく腕。引き絞られた弓につがえられた矢が立ちあがっていたジェエルの心臓に向けられた。
「ウェイ! ウェイデルっ、やめさせてくれっ!」
故意に自由にされているシェヴィンの口から悲痛な叫びがもれる。
「シェヴィン……?」
呆然としていたウェイデルが事態に気づいた。
「だめだザイン! 今のウェイにこれ以上負荷をかけたら……」
『いいえ、ここまできたら一気にどん底まで突き落として……』
ぬるぬるとした血に一度取り落としそうになりながら操り糸を断ち切ろうとヴィズルを振りあげる。
「ウェイは指輪を外してるんだぞっ」
「やめてくれ ―― っ!」
シェヴィンの叫びと同時に弦を離れた矢はまっすぐにジェエルの胸にむかって飛んだ。
「うわァ ―― っ!」
束縛を解かれたシェヴィンの膝が大地にぶつかり、そのままストンと尻をついて座り込む。半開きにされたまま震える唇。両眼からは涙があふれ出していた。
ウェイデルの目の前で矢を突き立てられ、鮮血をほとばしらせる小さな胸。弾かれたように後ろへ倒れていく少女の髪がひらめき、両手が何かをつかもうとするように伸ばされる。サミアの血に染まった大地がジェエルの背中を受け止めた。
「くっ……うっ……あ……」
ウェイデルの喉から声にならない思いがもれる。振りあげられたままのヴィズルにまとわりつくように霊気が渦巻き、剣身が輝き始めた。
「落ち着けウェイ!」
あふれ出すウェイデルの苦悩でライガの胸までがキリキリと痛み、息苦しさに視界がかすむ。力が……熱い力がふくれあがる。
「ザイン逃げろっ」
「しかし……」
「力が暴走し始めている。やってはみるが止められるかどうか。巻き込まれたらおまえでも……」
体を吹き飛ばされかねない程の強い風が襲いかかり、まぶしい光が眼を焼いた。霊気が大気をかき乱し、空の色さえ変えていくようだ。
「わかりました。お気をつけて」
ザインが樹海の奥に身をひるがえすとライガはまだその場に残っていたジェエルとサミアの恐怖を拾いあげ、魔力を呼び起こした。
※十ヴァズマール(約15メートル)
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