23 取引 4
「動き出したぞ」
東へ飛び立った魔物を確認したレヴァインはここ半夜ばかりイライラと不機嫌をまき散らしていたディードの胸板を拳でこづいた。
二夜前、彼らがデイロスの西岸に到着する直前に数匹の魔物が上空に現れ、彼らのいる場所からさして遠くないあたりを飛び回った。
追っ手ではないかと驚き慌てもしたが<どこにいるのか皆目わからないはずの俺達を捜しているにしては範囲が狭すぎる。位置がずれているからヘマをやらかして大まかな居場所を探知された訳でもなさそうだしな。
多分ウェイデルとかいう奴を探してるんだろう。そいつの大体の居場所を知ってやっているに違いない>というレヴァインの言葉はディードを安心させ、フェヴェーラを失望させた。
そして<これだけ枝葉がおおいかぶさってるんだ、禁呪の首環をはめている限り、そう簡単に俺達を見つけられやしない。成功するにしろ失敗するにしろ、事を終えたらそのまま引きあげるだろう。その直後なら、むしろ普通より安全にデイロスを渡れるかもしれん>という結論に従って息を潜めていたのだ。
その待機が終わるかもしれないという期待にディードは歯をむいて笑った。じっとしているのが苦手で辛抱がないこの大男の抑えがいつ利かなくなるかと危惧していたレヴァインも安堵の吐息をついてニヤリと笑い返す。
こういう時のレヴァインは不思議と魅力的だ。する事もなく、ぼんやりと倒木の上に腰掛けていたフェヴェーラはそんな自分の感想に戸惑って、腹違いの兄から顔を背けた。
(私は今、理由もなく彼にひどい目に合わされているのよ。それなのに……)
理由もなく? 本当にそうなのだろうか?
考えてみると、彼の行動全体にある種の節度というか、気遣いとでもいうようなものがある気がする。
決してやさしい訳ではないのだが、乗馬経験がなかった彼女が馬に乗り降りする時の手の貸してくれ方とか、先導の仕方に気配りが感じられた。ディードに話しかける頃合いや口調、仕草といったものにも、命がけの逃避行で高まっている彼の緊張をさりげなくほぐそうとする意図が表れている。あくまでも打算に基づいた行動とも思えるが、条件反射と言ってもいいほど自然にそう振る舞えるのは彼に相手を思いやる心があるからではないだろうか。
そう分析してみると、皮肉を言ったり、彼女に辛くあたったりする時の方が不自然というか芝居がかった雰囲気を漂わせている気さえしてきた。本当は彼がそう見せようとしている程ひどい人間ではないのかもしれない。
父親から取りあげるようにしてフェヴェーラを育てた……乳母を使ってではあるが……シャイアがレヴァインの存在を疎んじていたせいで彼女は兄の事をほとんど知らなかった。
シャイアの認める 姉 とてさして近しい訳ではなかったが、多くはないヴェインの民人の間でよくもこれだけ顔を合わせずにこれたものだと感心する程に疎遠で、自分に兄がいる事さえ忘れがちだったのだ。
ただ思い返してみれば、子供の頃から稀に廊下ですれ違ったり、集会の場……シャイアが出席していない時には彼も顔を出す事があった……で遠目に見かけた時などに、レヴァインが彼女にキツイ眼差しを注いでいるのに気づいてはいた。
それが何を意味するのか深く考えた事はなかったが、ひょっとすると……。
バシッ!
フェヴェーラの思考が鋭い音で中断された。
皆の視線がレヴァインのかたわらの木に吸い寄せられる。太い幹に深々と突き立った一本の矢。銀色に輝く矢柄に雪白の鷲の羽根のついたそれにレヴァインが手を伸ばそうとした刹那。
「動くんじゃない!」
一瞬、凍りついた三人の耳に若々しく張りのある男の声が響いた。
「鋼の矢がアンタの胸を狙ってるぜ。……そう、レヴァイン、アンタだ。そっちの大きいのも動かすなよ!」
「ディード!」
レヴァインは剣の柄に手をかけたディードを制して考えを巡らせる。見覚えのない矢。聞き覚えのない声。ヴェインからの追っ手ではあり得ない。だが、矢を放った男はレヴァインの名を知っていた。
「警告の矢を放ったって事はそっちには俺達を殺したくない理由がある、と思うんだが?」
ゆっくりと矢の飛んできた方向へ視線を移しながら問いかける。
「無用の人殺しはしたくないってのは確かだけどな、アンタを殺しちゃいけないって理由もないんだ。おとなしくしてた方がいいぜ」
薄暗い樹海の奥から返る答。注意して見ると思っていたより近くに緑の衣服をまとった人影を認められた。なんと忍びやかに近づいて来たのだろう。警戒を怠っていたどころか妖魔達が動き出したせいで更に神経を研ぎ澄ませていたつもりだったのに、まったく気配に気づかなかったとは。
「何が目的だ?」
ギリギリまで引き絞られているだろう弦につがえられた矢と、一、二歩動く事さえできればその射線をさえぎってくれるだろう木々の位置に注意を払いながら話を続けた。一瞬でいい、相手の気を逸らせられれば。
「フェヴェーラを返してもらう」
「フェヴェーラだと……?」
気を逸らされたのはレヴァインの方だった。
「フェヴェーラさん。……アンタ、フェヴェーラさんだろ? ライガにアンタを助けるように頼まれたんだ。こっちへ」
「ライガ様に……?」
事態の展開についていけず、ただ成り行きを見守っていたフェヴェーラが反射的に立ちあがる。ライガの名を聞いただけで涙がでそうになっているのに気づいて、いけない、と自分をはげまし、一歩踏み出した。
「あなたは……誰?」
「オレはシェヴィン。悪いけど詳しく説明してる暇はないんだ。ライガの所へ連れてくから、オレの傍へ来てくれないか」
信じていいのだろうか?
だが逡巡している暇はなさそうだ。意を決したフェヴェーラはライガの名にすがるように小枝に肌を叩かれるのも構わず、障害物の多い大地の許す限りの速さでシェヴィンの元へ駆け寄った。
かすかに波打つ銀の髪。今は厳しく細められているが翡翠色の眼はきっとやさしげにきらめくのだろうと、少年のようにやわらかな印象のシェヴィンの顔立ちを見て思う。頼れるかどうかは別にしてフェヴェーラは自分が命を託そうとしている相手が恐ろしげな大男ではなかった事に少し安心した。
「方角はわかるかい?」
レヴァインとディードに視線を据えたまま囁かれた、唐突な質問に答が遅れる。
「正確な方位が読めないならそれでもいいから、南……オレの背中の方へ向かって進むんだ。ゆっくりでいいから周囲に気をつけて。
そうだ! 念の為にオレの短剣を持っていくといい。すぐ追いつく」
「あの……」
「ライガに会いたいんだろ」
弾かれたように動き出したフェヴェーラは乙矢を手に甲矢をつがえたシェヴィンの邪魔にならないように鞘ごとその腰に吊るされた探検を外した。
「行くんだ」
「はい!」
フェヴェーラが遠ざかっていく音を背中に聞いて、シェヴィンは少しレヴァイン達に近づいた。
「まだ動かないでいてくれよ、お二人さん。ライガからの言伝てがあるんだ。
えっと……<フェヴェーラさえ戻ればおまえ達をどうこうするつもりはない。この事は私の独断でシャイア様もザインも与り知らぬ。今の内にサッサと西域を離れる事だ。レイリアが貴様の身を案じていなければ決して許しはしなかった。彼女に感謝するんだな>」
「レイリア……! レイリアだと?」
「動くな!」
シェヴィンの恫喝がビンと響く。圧力さえ感じさせるような声。思わず身動きしたレヴァインだったが、頭をクラクラさせる程の振動に気圧されて気を取り直した。
「レイリアはこいつにどう絡んでるんだ?」
「知るかよ。オレはウェイデルから聞かされたライガの伝言ってやつを諳んじただけだ」
「ウェイデル?」
(そうか。フッ……ライガがザインを出し抜いた、って事らしいな。奴にそんな芸当をやってのけられるとは……。愉快だと言ってやりたいところだが……)
眼に険悪な光を宿したレヴァインの口元に薄笑いが浮かぶ。シェヴィンはその様子に何かゾクリとさせられるものを感じた。
「とにかく、アンタ達がフェヴェーラを取り返そうとしたり、オレ達に危害を加えようとしたりしないんならもう用はない。お互いケガがなかったのを喜んで別れようぜ」
「わかった」
存外素直にレヴァインが頷く。
「だがひとつだけ教えてくれないか?」
レヴァインはさっきまでの雰囲気が嘘のように人好きがする表情を浮かべた。そのあまりの変化にシェヴィンは思わず矢を放しそうになる。
「アンタはなんでフェヴェーラを助けたんだ? どうしてライガの頼みをきく気になった?」
「アンタには関係ないだろう」
「確かにな。だが、話してくれても構わないだろう? アンタがライガの名を口にする時の口調に気になるものがあるのさ」
「オレの……口調?」
「アンタ、嘘がつけない奴だって言われてないか? ほら、今<余計なお世話だ>って表情をしただろう?
俺はヴェインでは厄介者なんだ。やつらにひと泡吹かせてやれるんなら、なんでもやってやろうって気になる程な。
だから、アンタに何か助言してやれるかもしれないぜ」
そのレヴァインの科白をそのまま信じた訳ではない。だが、それでも……。
「アシェラトが……オレの妹が……ヴェインに捕まってる」
シェヴィンはかろうじて聞き取れるような低い声を絞り出した。
「アシェラト?」
(確かザインが手に入れようとしてたセグラーナの巫女がそんな名だったな)
顎に手をやったレヴァインは眉間にしわを寄せてしばし考え込み、ひとつの仮説に達してハッと顔をあげる。
「フェヴェーラと交換する気か? ライガがそんな約束をしたっていうのか?」
「ライガは村の……別の女の子達を返すと言っただけだ」
「だろうな。セグラーナの巫女……アンタの妹は特別だからな。ライガの一存じゃあどうにもならないだろうさ」
「特別? どういう意味だよ、ソレ?」
※乙矢[おとや](一手[ひとて]の矢のうち、甲矢に続いて射る第2本目の矢)
※甲矢[はや](一手の矢のうち、先に射る矢)
『三立羽[みたてば](三本羽)の矢は鳥の羽三枚で二隻[せき]の矢に矧[は]ぐので、弓につがえたとき、羽表を外に向けた1隻と、内に向けた1隻とができる。その二隻を一手とし、外向きを先に射るので甲矢という』という和弓の用語なんですが、なんとなく使ってみたかったもので。
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