21 取引 2
鷲に似た二本の脚とコウモリの翼、鋭い牙がズラリと並んだ長い口、先のとがった細長い尻尾。何より不気味なのはその皮をむかれた鳥のような皮膚と鱗や羽毛のある部分が入り混じった躯の色合いだ。
ライガが送って寄越した飛龍を間近に見て怖気立ったシェヴィンは飛龍の隣、草の先端ギリギリの高さで小さく円を描いて飛んでいる鷲獅子に視線を移す。またしても漏れかかったうめきをぐっと飲み込んで、不気味は不気味でもこっちの方がまだマシかな? と獅子の胴体に鷲の頭と翼、蛇の尻尾を持つ魔物を選ぶ事にした。なんといっても毛並みが普通の動物に近いように見えたのだ。
その辺りは比較的足場がしっかりしているのを確かめてあったので靴に板を縛りつけていた縄をほどき、重さを分散させる為に葦舟に載せて牽いていた荷物を背負う。
同じようにして荷物を背負ったウェイデルに先刻からずっと左手に持ったままだった弓を軽く振って鷲獅子を選んだ事を合図すると、無言の頷きが返ってきた。
どうやらウェイデルも自分と同じくらい怖気づいているらしい、と思うと妙に安心できた。それとも、ただ緊張しているだけだろうか?
ライガを通じてウェイデルが命令を与えると鷲獅子が正面からシェヴィンに近づき、多分それとしてはできるかぎりそっと羽ばたきながら……沈んでしまうのが目に見えているので草の上に降り立つ事ができないのだ……グッとのばした首をさげた。先端の曲がった巨大な嘴が鼻先半スパン足らずのところを掠め過ぎ、凍りついたシェヴィンにライガからの伝言が伝えられた。
「羽ばたきの邪魔にならない、肩のあたりに飛び乗れ」と。
できないなら、襟首をくわえていかせるが? との打診付きで。
「願い下げだね!」
弓を口にくわえ、膝を曲げて腕を後ろに振りあげる。ふたつの瘤のように盛りあがった鷲獅子の肩めがけて飛びついた。身体がまだ空中にある間に突っ張った腕を器用に置き換えて、向きを変える。一瞬後にはちゃんと前向きにまたがっていた。
シェヴィンを乗せた鷲獅子は舞いあがることなく、草を波立たせながら超低空を飛んでいる……と、言うより湿原を駆け抜けながら沈まないように翼を使っていると言った方が当たっているだろう。
ヒルや蛇のたぐいは鷲獅子の発する妖気を感じて寄りつかないらしい。前方視界はゼロに近いが迷う事なく目的地へ向かっているようだ。
弓を左手に持ち直したシェヴィンは犬や馬にするように鷲の頭をかいてやりながら呟いた。
「さてと……問題はこれからだ。ご主人からの直接命令がなくてもちゃんとオレの言う事をきいてくれよ、相棒」
奇妙な……その感覚をなんと形容したら良いのだろう?
空を飛ぶ、というのは大抵の人間が一生経験できない事だ。それは魔法を操る者、特に白魔法だとか光魔法だとか言われている範疇の魔法しか使わない者にとっても同様で、もちろんウェイデルとて例外ではない。子供の頃はよく木登りをして遊んだし、崖縁に生えている薬草を取りに行きもした。高い所を怖いと思った事などなかったが……。
いや、怖い、というのではない。確かに草をざわめかせながら飛龍が超低空飛行で背後に迫り、その細長い口をウェイデルの股の間に差し入れて、彼が肩にむかって滑っていくように長い首をヒョイと振った時や、その首に腕を回すか回まわさないかのうちに急上昇していった時は恐怖で声もでなかったというのが正直なところだろう。
だが、飛龍が羽ばたきをやめ、ゆるやかに高度を下げながら滑空している今、彼の身内に芽生えたこの気分は……
『地上に降りるのが早すぎるか?』
ライガの言う通りだった。まだ大地に戻りたくはない。このままもっと高く、ずっと遠くへ飛んで行きたい。
『そうしてもいいんだぞ。おまえがそれを望むなら』
その魅力的な提案がかえってウェイデルをハッとさせた。
『つまり、このままヴェインへという事だろう?』
『その方が私の目的は果たしやすい』
『さっきの約束はどうなる?』
『シェヴィンといったか……彼と二人の少女は間違いなく月香樹の村へ送り届ける。それ以外の事はその後の状況次第だ』
『ライガ』
『なんだ?』
『おまえには今の俺の気持ちがわかるか?』
『……おまえにだって私の心が伝わっているだろう?』
『はぐらかすな。俺が言う意味はわかっているはずだ。もちろんおまえの心は感じるさ。だが俺には……』
『降ろすぞ』
気がつくと大地が眼前に迫っていた。
『そいつはあまり乗り手に気を遣ってくれないからな。着地の衝撃で振り落とされるなよ』
飛龍が降り立ったのは荒々しく草木を引き抜いて造られた、いかにも妖魔の仕事といった様相の空き地。
飛龍の背から飛び降りたウェイデルは二張りの小さな天幕の前に立っているライガの姿を見て鼓動が早まるのを感じた。掌が汗ばみ、口内の渇きさえ覚える。対照的にライガは落ち着いた足取りで、彼の元へ歩み寄ってきた。
祭の夜は満月が煌々と輝き、多くの篝が焚かれていたとはいえ、闇の中でのあまりにも短い邂逅だった。こんな、手を伸ばせば触れられるほど間近に寄る事もかなわなかった。
陽光の下で見るライガは長い旅暮らしですっかり日に焼けたウェイデルと違って色白で、背丈や肩幅は同じだがウェイデルの方がほんの少したくましいように見える。のばした髪や額にはめた細い銀環、飾り気はないが高価そうな衣服が凛とした物腰にピッタリで、ウェイデルの持ち合わせていない威圧的な雰囲気を漂わせていた。
(随分……変わってしまったんだな。昔はそんな表情で……そんな眼で俺を見たりしなかった……)
こみあげそうな涙をこらえる事も、飛びついて抱きしめたいという衝動を抑える事もせずにすめば、ただお互いの無事を喜び、再会を祝う事ができればどんなによかったか。しかし、まず確かめておかなければならない事がある。
「ライガ……」
質問を浴びせようとしたウェイデルの肩をライガがポンと叩いた。その掌を通して流れ込んだ思惟にウェイデルの身体がビクリと震える。
「旅をして疲れているようだな。仮寝の宿で大したもてなしはできないが、くつろいでくれ」
口にされたさりげない挨拶の言葉。肉声と思惟で異なった言葉をほとんど同時に伝えられたのに戸惑う。どうすればこんな風に、こんなに当たり前にふたつの面をいっしょに抱え持つ事ができるのだろう。
口をつぐんだウェイデルは踵を返したライガの後について天幕のかたわらの床几に腰をおろした。簡易卓の上に酒杯と酒瓶、数種のつまみ。
覚悟を決めてきたはずなのにやはり不安を抑えきれず、無意識に周囲に視線を走らせ、感覚を研ぎ澄ませる。
葉ずれの音、鳥の声、風の感触、草や水の臭い……すべてが平常であやしい結界が張られたり、おぞましげなものが潜んでいる気配はなかった。
多くの魔法同様その存在を感じ取る事も苦手ではあるのだが。
そんなウェイデルの様子に軽く息をついたライガは苦笑と呼べそうな笑みを浮かべてふたつの杯に酒を注いだ。
「そう警戒しなくても、おかしなものは入っていない」
杯のひとつをウェイデルの手に押しつけるように渡しながら顔を近づける。
「大丈夫だ、すべてという訳にはいかないが、今は僕を信用しろ」
囁きと共に真摯な眼差しがウェイデルの両眼を貫いた。今のライガの気持ちがまっすぐに飛び込んでくる。それは、伝わってはきてもウェイデルには理解できなかったこれまでの感情とは違っていた。
「ライガ……」
ライガは口にするべき言葉を見つけられないでいるウェイデルにむかって微笑を浮かべ杯を掲げる。
「再会を祝して」
ふたつの杯が澄んだ音を響かせ、辛口の酒が一息に飲み干された。
※半スパン(約9センチ)
※床几(携帯用の腰掛。縁台もそう呼ぶこともある)
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