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19  デイロスの大蛇 4

月見月 二十一夜


 手にした長い棒で前方を打ち払ったシェヴィンは大慌てで逃げ散っていったのが比較的無害なヒルだけ……それでも布や革でほぼ全身をおおっているのでなければ、びっしりと群がられてほんの数呼吸する間に失神するほど血を吸われかねないのだが……で、魔物や毒蛇のたぐいがいないのを見極めると、その()もう百回目になるのではないかと思われる溜め息をついた。

 靴に縛りつけた長い板を持ちあげ、ほんの少し足を前に動かして彼の背より丈高い草の根元を踏みつける。ゆっくりと慎重に。草が抗議のざわめきをあげながら倒れ、体重の移動に伴って不安定な足場がふわふわと上下した。腰に巻いた縄で引きずっている、(あし)を束ねて作った橇舟(そり)に載せた荷物が草にひっかかって彼を後ろに引き倒そうとする。

「この調子じゃ、向こう岸にたどり着く前に日が暮れちまうんじゃないか?」

 両腕をバタバタさせて体勢を立て直したシェヴィンが、引きつりかけた筋肉の痛みに顔をゆがめた。反対の足で板を踏みつけないよう股をひろげた不自然な格好のせいだ。

 体重の軽い彼が先に行った方がいいと言ってずっと道を作る作業を引き受けているせいもある。たがそろそろ水没の危険が増すのを承知で、ウェイデルにシェヴィンの周りを大きく半周してもらってでも前へ出て役割を交代してもらわなければならないかもしれない。

「そうならないように頑張るしかないだろう」

 励ましでも決意の表明でもない、淡々とした声。そのまとも過ぎるウェイデルの答えにシェヴィンは力のない笑いを返す。

「アンタにそーいう事を期待するのは無理だってわかってたけどさ、もうちょっと元気がでるような科白が吐けないもんかなァ」

「そいつはシェヴの専売だと思ってた」

「なんだよ、ソレ?」

「さっきデイロスの眼に落ちかけた時も陽気にはしゃいでいただろう。<これが噂の大蛇の眼か、一度見てみたかったんだよな>と」

 デイロスの眼は湿原の所々にぽっかりとあいた穴。静かな水面は青い空を映して冷たく、あるいは夜を映して黒々と、獲物を狙う蛇の眼のように光る。草に埋もれ、あまりにも突然現れて不注意な犠牲者を深い水底(みなぞこ)へと誘い込むのだ。

「<普通、眼ってのは頭についてるもんだけど、デイロスくらいの大蛇になるとそれだけじゃ足りないってか? だけどさ、例えばアンタの腹や足に眼がついてたらって考えると吹き出しちまうよな>とも言ってたな。死にかけた人間の科白とは思えないじゃないか」

「くだんない事をよく覚えてんな。アンタが後ろばっか見てる人間だってのがよくわかるよ、まったく」

 いつもは明るいシェヴィンも疲れとあせりのせいか珍しく機嫌が悪いようだ。それとも……。

「また魔法の件か?」

「そうだよ。昔何があったかは聞かせてもらったけど、賢者達はアンタを祝福して送り出したんだろ? アンタの力が自分で思ってるほど危険ならそんな事はしないはずだ。

 例の……女の子には気の毒だったけど滅多に起こらない不幸な事故だったのさ。

 それに、オレだって人殺しだ。それも殺したのは一人や二人じゃない。この西域で隊商の護衛なんてやってる奴はみんなそうだ。アンタだって盗賊を殺してもそんなに悩まないじゃないか。

 少なくともオレは危なくなったらアンタが魔法で助けてくれる方がいい。そのせいで事故にあっちまったら、しょーがなかったって諦めるさ」

 <大きな力>とセグラーナはアシェラトに告げた。ウェイデルが魔法を使わないなら大きな力たり得ないではないか? それに魔法なしでどうやってアシェ達を取り返せる? あの妖魔を操るライガや妖しい笛の音を響かせる男から。

「ライガ……」

 後ろから聞こえた呟きに一瞬、自分がライガの事を考えたのがウェイデルにわかったのかと思った。が、そうではない。背中越しに後ろを見やったシェヴィンはウェイデルの右手が月香祭以来腰に吊るようになったヴィズルの柄にかかっているのを見た。それは魔法は使いたくないと言いながらもウェイデルが魔法を頼みにしている証拠なのかもしれない。

「ライガが来たのか? 冗談じゃない、こんな身動きとれない場所でっ!」


この作品の舞台となる世界では昼ではなく夜を数え、日没をもって一夜[日]の始まりとします。

我々の世界で言う前夜はその夜[日]にあたり、その日の夜はもう翌夜と、夜付[日付]の区切り方が違います。王国の人々が昼間<昨夜>という時は我々の一昨夜。

 作中の今夜(きょう)とか、明夜(あした)といった妙な表記はその為です。


少しでもこの作品に好感を持っていただけたら、下の★をクリックしていただけると嬉しいです。

感想大歓迎。

今日は夜までたくさん更新します。

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