18 デイロスの大蛇 3
月見月 二十夜
デイロス。
それは砂を這う蛇のようにうねうねと曲がりくねりながら西域を流れる大河。ウェリアの果て、遙かな北の山に源を発し、遠く南の海へと注ぐ。
「これが……デイロスの大蛇?」
疲れ切った馬を牽き、自らも疲労困憊した様子で立ちつくしたウェイデルは似たような有様でかたわらに立つシェヴィンに問いかけるともなく呟いた。
眼前にひろがるのは丈高い草の原。
背後や対岸の樹海と対照的に幅半ラスタ余りに渡って一本の木さえ生えてはいない。
「この辺の土地にはほとんど勾配がない。あんまり流れがゆるいんで浮き草がびっしり繁った上に風で運ばれた土が積もって、そのまた上に葦やなんかが生えたらしい。つまりこいつは見かけ通りの草原じゃなく、川の上にプカプカ浮いてるだけなのさ」
「驚いたな……」
「だよな。オレも話に聞いた時にどうしても自分の目で確かめたくなって一人で村を抜け出して親父に大目玉を……」
ウェイデルの目が非難するように細められた。
「村を出る時には大の男でも武装して徒党を組むんじゃなかったのか?」
数日前そう言ってアシェラトを咎めたのはシェヴィン自身だ。
「ガキの頃の話だ。それにオレ一人なら盗賊にもヤバそうな獣にも見つけられずに森を進む事ができる。親父はもっとオレを信用してくれてもよかったんだ」
とてつもなく忍びやかに木々の間を移動できるシェヴィンが斥候あるいは狩人として超一流なのは確かだが、話しぶりからしてその冒険が行われたのが十五歳より上でなかったのは賭けてもいい。
「まったく、たいした兄妹だよ」
シェヴィンはそんなウェイデルの呟きが聞こえた素振りを見せず、説明を再開した。
「デイロスってのはこの草っ原のせいで舟で渡るのは無理だし、うっかり足をのっけるとドボンと落っこちるだけじゃなく、びっしり生えた根っこに絡めとられて泳ぐ事さえできずに深い川底に飲み込まれちまうってとんでもない大蛇だ」
「渡る方法がないって言うのか?」
「オレはアンタが空飛ぶ馬を呼びだしてくれるとか、一瞬で橋をかけるとかしてくれるんじゃないかって期待してたんだけどな」
おどけた調子で片目をつむったシェヴィンにウェイデルは渋い表情を返す。
「そういう大きな魔法を使うには色々と制約があるんだ。それに、前にも言っただろう。俺の魔法は下手に使うととんでもない結果を引き起こすかもしれないと」
だがシェヴィンはあくまでも明るく反論した。
「だから前にも言ったようにそれって思い過ごしかもしれないだろ? 賢者の塔を出てからまともに魔法を使った事はないって言ってたじゃないか。
今ならもっと上手く使えるかもしれない。少なくともライツはそのおかげで命を取り留めたんだ」
「あれは……」
「アシェの力だなんて言うなよ。アイツ一人じゃ助けられやしなかったさ。
オレは王国に行った事がある。だから僧侶や巫女以外で魔法を使うのは闇と取り引きしてる腹黒い奴だ、なんて決めつけてやしないし、多分周囲何ラスタかには他に人間もいない。試してみてもいーんじゃないか?」
河の草と梢の葉が、相異なる旋律で静かにざわめく。
光の加減によって濃い灰色にも艶消しの黒にも、両方が混ざったようにも見えるウェイデルの瞳がまたたき、難しげに引き結ばれていた唇が開いた。
「いや、やっぱりやめておこう。それにシェヴ、本当は何か向こうへ渡る方法を知っているんじゃないのか?」
「うーん……」
シェヴィンは両手を挙げ、目玉をグルンと回してみせる。
「やっぱアンタに隠し事はできないな。なんて勘の良さだ。人間だけなら足に板をしばりつけて渡るって手がある」
「板?」
「ああ。子供みたいに体重の軽い者なら運が良けりゃそのまま歩いて渡れる事もあるらしいんだが、一か八かの賭けだ。で、足の裏の面積を増やして一箇所にかかる重さを分散させるんだ」
「なるほど。しかしそうなると……」
ウェイデルは充分な休息も与えずに道なき道を進ませてきた二頭の馬を見やった。ここ二夜ばかりは時折鉈で道を切り開きながら進まねばならなかったのと馬の疲労を考慮して二人ともほとんど乗っていなかったとはいえ、積んである荷物を自分で担ぐとなると……。
「そう、馬は連れて行けない」
「仕方ないな」
肩をすくめたシェヴィンに軽い溜め息で返事をして、手早く馬から荷を降ろし始めた。これでシェヴィンの荷物の中に数枚の板が入っていた理由が飲み込める。
あの夜。意識を取り戻したシェヴィンはウェイデルから事の顛末を聞くと即座に神官長をつかまえて事情を伝え、対策を協議するから待てという言葉を振り切って、独りで村を出たウェイデルの後を追って来てしまった。
セグラーナの巫女がいなくなった現在、結界を護る為に神官達が村を空ける訳にはいかない。となると、多分連れ去られた少女達の身内を主とした追撃隊が組織されるのだろうが、村は混乱を極めていたし、よそ者であるウェイデル ―― 神に仕えている訳でもないのに魔法を操り、あの魔獣を意のままにしていた男と兄弟であるという ―― の言をどこまで信じたものかといった議論が起こるのは明らかだ。
そんなものに決着がつくのをのんびりと待ってはいられない。
<西へ来い>とライガは言ったという。<デイロスの大蛇を渡って、更に西へ>と。
何があるのかはわからないが、アシェラトがそこ、ライガのいる場所に連れ去られたのは間違いないだろう。
招待されたのはウェイデルだけだが、構うものか、一緒にそのヴェインとかいう所へ乗り込んでやる。それには人数だけを頼んだ村人の一隊は足手まといになるだけという気がした。ひょっとすれば、魔法が使えない自分も同じかもしれないが。
(オレだって結構役に立つはずだ)
自負ゆえに認めがたい考えを否定したシェヴィンは、以前はその姿を見るだけで満足して引き返していった大蛇に挑むべく作業を始めた。
既に昼をかなりまわっている今夜は足につけられるよう板を細工して、荷物を載せて運ぶ橇のような物を用意するだけで満足しなければならないだろう。デイロスの真ん中で暗闇に包まれるのは避けたい。
デイロスが危険なのはその地形だけではない。大型で大量のヒル、毒蛇、毒虫がいるし、見るもおぞましい水生の化け物が出没するという噂もあった。そのせいでデイロス以西は人跡未踏の感があり、そこから真の西域……おとぎ話に出てくる妖魅や人食い人種の土地……が始まる。
※半ラスタ(約6キロ)
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