15 月香祭 3
ずどんっ!
という衝撃音が聞こえたようだった。それまで溜め込んできた呪力を一気にぶつけ、村を覆っていた障壁を打ち壊す。
同時にそれまで懸命にザインの魔力に抗っていた巫女が倒れ伏した。
今しがた多量の神通力を放射して疲れ切っているはずなのに、笛の音だけでなく、あの妖しい双眼と真っ向に対峙してなおかつ結界をも護っていたのだ。まったく大した娘と言わざるを得ない。
手はず通り、結界の消滅と共に境界付近で待機させていた魔物共が広場に影を落とし、彼らの頭上に輪を描く。
「……っ!」
一頭の妖魅が人間に危害を加えるなという命令を無視して神官の一人を打ち倒し、獲物をつかんで逃亡を図った。
「馬鹿者が!」
『ライガ様っ!』
ザインが止める暇もない。ライガはためらう事無く 《 契約の言葉 》 を唱え、その妖魅を消滅させた。
「私に背く事は許さない。皆よく覚えておけ」
肉声と共に心話を使い、命じる。低く囁くようなその響きは、彼に命を握られているすべての妖魅共に恐怖を与えた。
表立っては何も言わないが、他の魔物共にもあの通りにさせてくれれば手間が省けるものを、といったザインの考えが伝わってくる。
だが、ザインにもわかっていた。連中に主人を舐めさせてはならない。奴らは常に己を呪縛している者を引き裂きたくて、うずうずしているのだ。
「おまえの人形を舞台からさがらせろ」
やれやれ、と僅かに肩をすくめてザインは群衆をさがらせ、代わりに着実に彼らに近づきつつある謎の力へ向けて人々を押しやった。少しは時間が稼げるだろう。
新たな笛の調べに操られ、神官達の動きを妨げていた群衆が、よく訓練された兵士のように素早く舞台から引いていったかと思うと、先程アシェラトが凝視めていた辺りから紫の閃光が放たれる。それは神官達と鈴を鳴らしていた少女達とを次々に打ち倒し、ついには舞台の上に立っている者は一人もいなくなった。
即座に舞台の端に手をかけ、身軽に飛び乗った長身の男。黒っぽい装束に剣を帯び、まっすぐな黒髪を背中に垂らしている。その男は迷わずアシェラトの元に歩み寄るとかたわらに膝をつき、気絶したままの巫女を肩に担いで立ちあがった。
「アシェを放せっ!」
ようやく舞台の間近までたどり着いたシェヴィンが丸腰のまま壇上にあがろうとし、振り返った男が空いた方の掌をシェヴィンに向けて差し出した。
ライガは腕を伸ばして両の親指を絡ませ、掌を外側に向けて呪文を唱えた。掌から紫色の光が生じて球となり、空を滑って神官を撃つ。
光球は瞬時にその全身を痺れさせ、標的の意識を奪った。
後は掛け声と変わらぬほど短い略式の呪文で次々と光球を撃ち出してゆく。
すべての神官と鈴を鳴らしていた巫女姿の少女達が倒れ伏すまで、さしたる暇はかからなかった。
『お急ぎください!』
言われるまでもなくライガは舞台に飛び乗り、倒れたままの巫女を肩に担ぎあげる。
「アシェを放せっ!」
声のした方を見やると月香樹の村の民族衣装を着た銀髪の青年が丸腰のまま、どうやら魔法の防御もなく向かってこようとしていた。
身の程知らずも甚だしい。無造作に左掌を差し出し、光球を放つ。
「危ない!」
銀色のきらめきが走り、光球が弾け飛んだ。
シェヴィンを突き飛ばしたウェイデルが剣でそれをそらせたのだ。
「ウェイ……?」
ライガの唇からかすれた声が漏れる。
それはひどく微かだったが、ウェイデルは聞いたというよりは感じ取った。
「ライガ……?」
重なり合う、視線と視線。流れた年月、外見の変化を越え、一瞬で互いを認め合う。
あまりの衝撃に言葉もないままライガは化石したように立ちつくし、ウェイデルはふらふらと夢見るような表情で舞台にのぼって、その歪んだ鏡像と向き合った。
(なぜウェイデルがこんな所に?
どうやら、この巫女の知り合いのようだが……。彼も一緒に連れてゆけるだろうか?
だが問題はあの剣だ。恐ろしい程の魔力を感じる)
動かぬ体とは裏腹に、ライガの心はめまぐるしく駆けめぐる。
(僕の考えに間違いがなければ、あの剣の力を持ってすればザインの妖術を無力化し、魔獣共を退けるなどたやすいはず……。
なぜ、ウェイデルはそうしなかった? ……まだ完全には使いこなせていない、という事か……)
「アシェラトっ……」
起きあがったシェヴィンが今度は多量の操り糸に絡め取られ、動きを封じられた。
シェヴィンの声に我にかえったウェイデルは人波のひいた舞台の脇で、妖しい調べを奏で続けるザインに気づく。
「ライガ! 一体これは……」
『その男を近づけてはなりません。早く巫女共を……』
ウェイデルが詰め寄るより早く、ザインの忠告に反応したライガが空を振り仰いで一声命じると、上空を旋回しながら待機していた妖獣の一体がライガとウェイデルの間に降り立った。
「うっ!」
ウェイデルは巨大な飛龍が着地の際に巻き起こした生臭い突風で後ろへよろめき、舞台の端でかろうじて踏みとどまる。
体勢を立て直した時には二体の鷲獅子がそれぞれにライガと灰色の男の脇へと降り立ち、種々雑多なもののけ共が次々と舞い降りては不器用なごつい手や足でなんとか傷をつけぬよう倒れていた少女達を連れ去ろうとしていた。
「ウェイデルっ! アシェを! アシェラトを……」
最後の力を振りしぼって叫んだシェヴィンが呪縛に従う事を拒んで力尽き、地面に倒れ伏した。
「シェヴ!」
ウェイデルは一旦シェヴィンに駆け寄ろうとしたが命に別状はないらしいと見極めをつけると、行く手を阻んでいる飛龍越しに、アシェラトを鷲獅子の背に乗せ、自分もその後ろにまたがっていたライガへとヴィズルの切っ先を向ける。
「その女性を放せ、ライガ! でないと……」
『ライガ様、お急ぎください』
『待て。彼はウェイデルだ。彼もいっしょに……』
ライガはウェイデルの苦悩に満ちた黒い瞳を見つめた。常変わらぬ囁くような、だが妙に耳元から響いてくるような声音で語りかける。
「いっしょに来い、ウェイデル」
「な……」
余程驚いたのか、ウェイデルは言葉を失い、手にした剣が揺れた。
「ずっと、おまえを呼んでいた。おまえの力が必要だ」
「俺だって。俺だっておまえを呼び続けていた。ずっと……もうずっと長い間……。どれだけ心配したか、どんなに逢いたかったか……。
それが、それがこんな……。こんな風におまえと再会するなんて……」
(変わってない……)
成長し、姿は変わっても昔のままのウェイ。彼の気持ちは真っすぐにライガに伝わってくる。
しかし、そのうるんだ瞳に映った自分はあまりにも変わってしまっていた。
『ライガ様……』
『わかっている』
ザインの心話に感情の乱れが感じられる。珍しい事だ。
ライガはウェイデルに眼前の飛龍を指し示した。
「事情は後でゆっくり話す。が、今は時間がない。黙ってそいつに乗ってくれ」
「だめだ!」
即座に返される拒否。鋭く言い放ったウェイデルはほとんど地面を向いていた剣の切っ先を再びあげた。
「アシェラトを降ろせ。他の化け物共が連れて行こうとしている女の子達も返すんだ。そこの笛吹きにも……」
目線でザインを示したウェイデルの剣から霊気があふれ始める。
『今はこの場を立ち去るべきです。あの剣は危険過ぎます』
『黙っていろ』
『ライガ様……』
「演奏をやめさせろ。話はそれからだ」
ライガは輝きを帯びた剣のまばゆさに目を細め、腕を顔にかざした。その動きに合わせるように彼のまたがった鷲獅子が舞台の端まで後退する。
「ライガっ!」
放たれた灼熱の光。
飛龍の躯が一瞬のうちに燃えあがり、断末魔の叫びと共に一山の灰を残して消える。
「魔剣……か」
ライガには今の攻撃がウェイデルの意志というより、剣そのものが行ったもののように感じられた。
(考え過ぎ、だろうか?)
そして、ふと脳裏に浮かんだ考えに奇妙な可笑しさを感じて、フンと鼻を鳴らす。
(ウェイが僕を攻撃したと思いたくないだけ、か……)
『ライガ様、今は退いてください。居場所がわかったのですから、いつでも出直せます』
ザインの訴えを無視し、自分の魔術に驚いたように肩で息をしているウェイデルを見つめた。
「とてつもない代物を手に入れたようだな、ウェイ。……おまえはその力でこの僕を手にかける、と言うのか?」
「……やってみせるさ」
ゴクリと唾を飲み下してから発されたウェイデルの声は、自らの言葉の持つ意味に慄くように震えている。
「おまえがやろうとしている事を、やめないと言うのなら」
「本気……なんだな?」
目を細め、ゆっくりと確かめるように問う。
「ああ」
「そうか……」
ライガは寂しげにフッと微笑んで目を伏せた。
最前からずっとザインが帰還を促す心話を送り続けてきている。
両腕を真横にのばし、目を閉じると呪文を唱えながら腕を動かして掌を頭の真上で合わせた。
「ライガっ!」
駆け寄ろうとしたウェイデルの上に釣り鐘型の闇が落ちた。どのような光もそれを貫く事の出来ぬ真の闇。略式の呪文を使った為に効力は長続きしないが、ライガの目的には充分だ。
突然まったくの盲目状態に置かれ、恐慌を起こしかけたウェイデルは為す術のないまま魔獣共の飛び立つ音を聞いた。
「ライガっ! ライガーっ!」
魔獣の鳴き声、風と羽音の渦巻く中、ウェイデルの叫びがかろうじてライガの耳に届く。ライガはウェイデルの心の波動をとらえ、話しかける。魔術を使った心話ではない。彼とウェイデルの間でだけ可能な心の会話。
『西へ来い、ウェイ。デイロスの大蛇を渡って、更に西へ。ヴェイン……樹海の奥にそびえる岩山へ。僕はそこで待っている』
妖獣共の羽音が去っていくとウェイデルを包んでいた闇が消え、広場を支配していた笛の音も途絶えていた。
人々は気を失って倒れ、あるいはただ呆然と立ちつくし、でなければヘナヘナとその場に座り込んでいる。
「ライガ……」
だらりと垂れ下がったウェイデルの右手の中でヴィズルの柄に嵌め込まれたふたつの魔石がうずくように明滅していた。
『見事な手際でした。……しかし、やっかいな事になりました。あなたのご兄弟が持つあの剣。聞いた事もないような恐ろしい力を秘めているように見受けました。
どうなさるおつもりです?』
ウェイデルの心の感触を懐かしんでいる暇もなくザインの心話が滑り込んできた。
『貴様にも怖いものがあったとはな。だが、私に訊くまでもなく、もう何か考えがあるんじゃないのか?』
『常々思っていたのですが、あなたは私を化け物か何かのようにおっしゃいますね』
『まさか、違うと言う気じゃないだろうな? で、どうなんだ、考えがあるんだろう?』
『前者については否定させていただきます。後者に関しては……シャイア様とご一緒にお聞きいただくという事で』
『いいだろう』
心話を打ち切ったライガは膝の間に横たわる巫女の位置を直し、その肌のやわらかさと温もりにフェヴェーラを想った。風に舞う羽根のように心が彼方へ漂いだしてゆく。
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