14 月香祭 2
月見月 十五夜
その大きな石造りの舞台はセグラーナを祀る神殿の前、村外れに開けた半円形の広場に面していた。清楚でこぢんまりとした印象の神殿に比して立派過ぎるほどだ。
いましがた大太鼓が打ち鳴らされ、月香祭最大の神事が催される事を知らされた人々は水を打ったように静まっている。
結局、さしていい場所には陣取れず、妹の晴れ姿を間近で観られないシェヴィンは不満そうだったが、長身のウェイデルには逆に見物人の様子をも含めて催しの全容が見渡せる好位置ともいえた。
前の十列程には<舞>の間に放射される祈りの力で病や傷を癒してもらおうと他村から集まってきた人々が敷物を敷いて地面に腰をおろしている。
祭はセグラーナの力が一年で最大に発揮される夜であり、普段は月香樹の村人の為にだけ使われる巫女の癒しの力がへだてなく与えられる。噂によると毎年病人や怪我人の何割かが癒されて帰って行くという。
その後ろに立ち見の子供達の為に縄で仕切られた場所。わずかばかり設けられた床几を並べた席。背の低い者が背伸びなどしながら、押し合いへし合いする数十列。石を積んで造られた十二段の階段と続く。
神官の弾く弓型の一弦琴が悠久の時を想わせる長く尾を引く音を響かせ始め、十三弦の琴と笙が加わった。広場全体になんらかの魔法が働いているらしく、その調べは隅々にまで響き渡る。祭の為に臨時の巫女に選ばれた少女達が数百の小さな鈴をつけた銀の枝を震わせ、月香樹の枝を振りながら神官が祝詞を奏上する。
無言のまま舞台の中央に進み出たアシェラトが両手を挙げ、冴えた空に煌々と輝く満月を仰ぎ見る。
と、その月から一筋の光が投げかけられ、アシェラトの周りだけを清浄な光で満たした。
まぶししくはない。
が、ひどく明るく、なぜか強烈な感動を引き起こす。
「あの時はこれを応用したんだな」
呟くウェイデルの脇腹を肘でつついて、シェヴィンが静かにしろ、と合図した。
波音のようにうねり 繰り返される 無数の鈴の音
謡が響く 月の女神を讃え 高く 低く
銀の髪に月香樹の小さな白い花を飾り
たおやかな手足に小さな銀の鈴をつけ
ひらめく 透けるような薄衣
月香樹の若枝を手にして
アシェラトは舞う
翡翠の瞳に 月を映して
どぉん……どぉん……どぉん……
神殿前の舞台に据えられた大太鼓が舞の始まりを告げ、先刻までの喧噪が嘘のように静まった。
屋台で買い求めた……それもまたライガにとっては心楽しい経験だった……弁当と薄荷水を手に、早くから床几に陣取っていたライガとザインはそれぞれに居住まいを正す。
傍目にはただ黙って座しているだけに見えるが、じっくりと精緻な魔術を張り巡らそうとしているのだ。
だが、なんだろう? さっきからひっかかっているものは?
すぐ近くに何かライガの注意を逸らすものがある。
『いけません』
興味を引かれ、注意をそちらに振り向けようとしたライガをザインが戒めた。他者の心を覗き、心話を交わすのはザインの得意とするものだ。
舞台では楽の音が高まり、巫女がその舞によってセグラーナの力を引き出して集ってきた傷病者達にその恩恵を与えようとしていた。
琴、笙、鈴、謡、舞……そして魅せられ、知らぬ間に大がかりな魔法の一部となった人々の心、そのすべての波動を読み解き、つかまえ、利用しなければならない。小柄なアズルの人々がその独特の体術で大男を投げ飛ばすように。
それには何より、一瞬の期を逃さずとらえる集中力が肝要だ。
ザインが腰から笛を抜き、指を演奏位置に置いたまま膝の上に横たえた。辺りに満ちている巫女の気……傷病者に与えられるはずの女神の力の一部……を取り込んで緑の瞳が妖しい光を帯び始める。
ライガも負けてはいない。口の中で呪文を唱え、床几の下で小さく指を動かして巧みに誘導したセグラーナの力で、魔性のものから村を護っている結界に打ち込む楔を形作る。
ヴェインから持ち込んだ仕掛けはすべて上手く働いているようだった。月香樹の村の者達もまさか、こんな風に祭を妨害する者が現れるとは思いもしなかったのだろう。
だが、ひとつでも手順が狂うと今度は二人が強烈な神通力のしっぺ返しをくらう羽目になる。
もっとも、神通力といったところでヴェインの教義によれば月の女神など創始者によって月と結びつけられた強大な力を持つ精霊にすぎないのだが。
静寂が世界を包み、人々がかすかな吐息をもらす。息をつめ、見つめていた夢幻の時間の終わりに。
ざわめきがさざ波のように拡がり、やがてまた祭の夜の喧噪が取り戻されようとしていた。
その時
どこからともなく澄んだ笛の音が響き、その美しい調べに人々は再び耳を澄ました。
「これは……?」
ウェイデルが異常に気づいた時には人々が村中で焚かれていた香を消し始め、あるいはアシェラトに向かって群がろうとしていた。
糸 ――
魔術を能くする者の眼にしか映らぬ、無数の糸が人々をからめ取り、糸操りの人形のようにその身を自在にしている。無論その糸はウェイデルとシェヴィンにも絡みつき、行動の自由を奪おうとしていた。
「どうなってンだ? 一体……?」
どうやらシェヴィン、いや月香樹の村人達は他の者より呪縛に抗う力が強いようだが、それでもその場に踏みとどまる、あるいは動きを鈍くするのがやっとのようだ。
シュンッ!
ウェイデルの手の中でヴィズルが一閃し、呪縛の糸を断ち切る。鞘によって施されていた封印が解かれ、魔剣の力がウェイデルに流れ込んだ。
「ウェイ、アシェを……」
「わかっている!」
神官達はさすがに呪縛の虜にはなっていなかったが、魔法を使って人々からアシェラトをかばうのが精一杯で元凶をどうにか出来る状態ではない。
そしてアシェラトは舞台中央で凍りついたように立ちすくみ、観客席の一点を凝視していた。操り糸、つまり笛の音はそのアシェラトの視線の先から流れ出している。
魔法の糸を切り払い、人々を押しのけながらシェヴィンと共にアシェラトの元へ急ごうとするウェイデルの幻視の眼には何千という糸が彼女一人に襲いかかっている様が見て取れた。月香樹の香が薄れてきている今、村を覆っている結界を保ちつつ、あれだけの数の糸を退け続けるのは生やさしい事ではない。
舞が終わり、一弦琴の余韻が幽玄の趣を漂わせる。
辺りがざわめきを取り戻しかけた、まさにその時……
笛が唄い始めた。心を縛り、動きを操る魔歌を。それはまたたく間に人々を捉え、従わせる。
いくら多数の呪物を使い女神の力を取り込んだとはいえ、これほど広範囲に、これほど大勢の人々を意のままに操れるとはと、ライガはあらためてザインの力量に舌を巻いた。
ライガ自身も立ちあがり、今度は誰はばかることなく印を結ぼうとした、その瞬間。
「なっ……!」
右後方、観客席の最後部にあたる石段の手前で、魔力が閃いた。にわかには信じ難いほど大きな、そしてなぜか懐かしいような、力。振り返ったライガは、前へ進もうと人の海を浮き沈みしている背の高い黒髪の頭ときらめく剣先を認めた。その周囲でザインの魔法がさえぎられている。
『やっかいな事になりました。急いでください』
心に響いてくるザインの言葉に気を取り直し、時間をかけて練りあげた呪術の最後の仕上げを施す。
「砕けよ!」
突然、強い魔力が結界に叩きつけられ、アシェラトの身体が弾かれたように痙攣し、くずおれる。
「アシェっ!」
シェヴィンの叫び。
霧散する結界
それを待っていたのだろう。月光をさえぎって頭上を黒い影がかすめた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。広場の上空を旋回し始める見るからに不気味な無数の異形の影。
そのひとつ、ひしゃげた獅子のような貌を持つ妖魅がサッと舞い降りると、星状鉄球状の尻尾の先で神官の一人を打ち倒し、大鷲の足で頭をひっつかんで空へと運び去る。
と、何が起こったというのか、突然その妖魅が青白い炎をあげて燃えあがり、おぞましい叫びが人々の耳を襲った。妖魅の躯は融けるように消えていき、大地を穢す事もない。
※床几(移動用の折畳式簡易腰掛け、または 木の板に足をつけた腰掛、今回のは後者)
※笙(管楽器の一種。雅楽で使うあれっぽいのと思ってください)
※星状鉄球(持ち手の先に棘付き鉄球がついた武器)
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