12 逃亡 2
月見月 十三夜
シャイアは人差し指の爪で椅子の肘掛けをコツコツと叩き、ひざまづいたバラドを見やった。
「誓ってそなたの仕業ではない、と申すのじゃな?」
「それで気がお済みになるというのなら、いかようにも誓ってみせましょう」
「フン。そなたのような古狸は誓いを無効にするいく通りもの抜け道を知っていよう。そのように段取って為した事に関してならな。無駄な事じゃ」
「では、わたくしめにどうしろと?」
「見つけだせ。何を差し置いてもあの三人を見つけだすのじゃ。これにはそなたの命がかかっておると思え」
「見つけた暁には?」
「とりあえずは我が元へ連れてまいれ。仕置きはそれからじゃ。例え死体になっておったとしても、必ず連れて来るのじゃぞ。よいな」
「御意のままに」
シャイアの手の一振りによって謁見の終了を悟ったバラドは退室の礼をして戸口まで後じさり、部屋を辞した。
「よろしいのですか……」
シャイアの背後の闇から声が響き、黒布を分けてザインが現れる。いつもの僧侶のような長衣ではなく、前夜と同じ旅装束のままだ。
「バラド様だけにお任せになって?」
「仕方なかろう? おまえとライガには他にせねばならぬ事がある。アギアンには言い含めてある事じゃし。他の祭司共といっしょでは、あやつもおかしな真似は出来まい」
「だとよろしいのですが」
シャイアの左側に片膝着いたザインは腰に差した笛の上に軽く左手をのせた。
「真実、バラドは荷担しておらぬかもしれぬ。レヴァインと腰巾着のディードだけならいざ知らず、フェヴェーラまでもが失踪したとなると……」
「では、レヴァインがディードと二人だけでフェヴェーラ様をさらい、禁呪の首環と混沌の書の写本を持ち出した、と?」
「それも、信じられぬ事よの。誰ぞ手引きした者がいるに相違ないのじゃが……」
「フェヴェーラ様ご自身のご意志、という事は……」
「それはあるまいよ。おまえもそう思っておるのだろう?」
「私には意見などありません。シャイア様のご命令に従うだけです」
「フッ……。おまえもまた、喰えない男じゃ。何を考えておるのやら」
「混沌への回帰だけが私の望みです。すべてのヴェインの民と同じく」
シャイアは再び軽く鼻で笑ってから、両手で肘掛けをギュッとつかんだ。
「ライガの事は任せたぞ。フェヴェーラが失踪したと聞いて、さぞ動揺しておるじゃろう」
「すぐさま捜索に飛び出して行かれないようお引き留めするのに一苦労でした。何ぶん月香樹の村から帰られたばかりでお疲れだし、まずは事情を調べてシャイア様の采配をあおいでから、という事で納得していただきましたが」
「しばらくはレイリアを侍らせるがいい。何かの足しにはなるじゃろう。それとも、自分の妻を差し出すのは気が進まぬか?」
「ライガ様がフェヴェーラ様以外の女に手を出すとは思えません。特に今のこの状態では。
しかし、レイリアに身の回りの世話をさせるのは賛成です。いかに冷酷な儀式を司るようになられても、根はやさしい方です。彼女に類が及ぶ事を考慮して勝手な真似を慎まれるでしょう」
月香樹の村の偵察を終え、ヴェインに戻ってきたライガは埃まみれの旅装束を脱ぎ捨て、ヴェインの地の底から湧き出る温泉につかった。
本当なら湯浴みどころか、そのまま妖魅の背に乗ってフェヴェーラの探索へと飛び出したいところだったが、探す先に当てがある訳でなし、とにかくいま少し詳しい事情がわかってから、となだめられ、また、他にやらねばならぬ事もおありのはずだと言われれば、おとなしくシャイアの裁定を待つ以外ない。
実際、随分と神経の高ぶる思いをして疲れ果ててもいた。こんな状態では魔物共を御する事さえおぼつかないだろう。忠誠を誓ったとはいえ、油断のならない連中なのだ。
そんな理由で、岩を穿った浴槽から透明な湯があふれ出し、いつでも好きな時に風呂に入れるのは有り難かった。
「お背中をお流ししましょうか?」
流れる湯の音にかき消されてしまいそうだったが、彼女にしては意を決した大声だったのだろう、長い髪をひとつに編んで頭に巻き、太股までの丈の袖なし浴衣を着たレイリアが銅の洗面器に石鹸と海綿、数本の小瓶、剃刀、ブラシ、手ぬぐいを載せて近づいてきた。
そう言えば、いつもフェヴェーラがしてくれるものでライガは何一つ体を洗う道具を持って入っていなかった。
「私が無茶をしないよう、見張りに来たという訳か?」
「お一人では何かとご不自由でしょうから……」
「ザインにそう言えと教えられてきたんだろう? 湯浴みの手伝いまでしろと言われたのか?」
横目で見やったレイリアの表情が泣き出しそうに見えて、少し言い方がキツ過ぎたかと口調を変える。
「君の夫は僕を余程の堅物だと思っているらしい。それとも妻の貞操に興味がないのかな?」
「…………」
軽いからかいの言葉にもうつむいて黙り込んでしまった。ライガはザインとはまったく違った意味でレイリアも苦手だ。フェヴェーラと外見が似過ぎているからかもしれない。
ライガが勢いよく湯からあがり、痩せてはいるがたくましい裸体をさらすと、レイリアが顔をそむけた。
「何を恥ずかしがっている? 背中を流しにきたんだろう?」
レイリアが抱えたままだった洗面器を取りあげると、隅に置いてあった腰掛けを引き寄せ、腰をおろす。洗面器の中の物を手早く取り出して湯を汲み、海綿で薄荷入りの石鹸を泡立てて体を洗い始めた。
海綿や石鹸を使って体を洗う、というのもヴェインへ来て覚えた贅沢のひとつだ。彼が育ったラドウィックの村ではせいぜいがヘチマに糠をつけて洗うくらいで、普段は洗濯にも灰汁が使われていた。ヴェインでもいつも石鹸が使える者はそう多くはない。
「ひとつ訊きたいんだが、私が勝手な事をすると君が困った立場になる、と思って間違いないのかな?」
ライガの後ろに膝をつき、海綿を受け取って背中をこすり始めたレイリアに問う。
「……はい、とお答えすればどうなさるおつもりですの?」
「ザインの思惑通り、おとなしくしているしかないだろうな」
「どうして……?」
「……つまらない事を言った。忘れてくれ。……ありがとう、後は自分でやる」
手の止まったレイリアに肩越しに微笑んだ。
「いいえ、お世話させてください。妹と同じように。それがあの人の……夫のいいつけですから」
レイリアがこんなにきっぱりとした口調で話すのを初めて聞いたような気がする。こんな風に目を合わせるのも。
「……わかった。それじゃあ、まず髭を剃ってもらおうか」
湯浴みを終え、寛衣を羽織ったライガはレイリアが用意していた冷たい茶を飲み干すとドサリと音をさせて寝台にあお向けになり、額に右手首を預けて天井を見つめていた。濡れた髪が頭の周りにひろがり、かすかに香油の香りが漂う。
レイリアはライガの髪を梳かしたブラシから絡んだ毛を取り終わると、それを鏡台の引き出しに戻した。
「フェヴェーラの事を……お考えですの?」
自分の髪をあげていたピンを抜き、三つ編みの先の紐をほどく。
「いけないか?」
「……いいえ」
「君はいけないと言うべきなんだ。僕が今考えなければならないのはフェルの事ではなく、ウェイデルの事のはずだ。
ウェイに呼びかけ、ヴェインへと導く。でなければ、明夜に備えて十分な休息をとる、それが僕のやらなければならない事だ」
「……では、なぜ……そうなさらないのです?」
ライガにとってその答えはあまりにも明白だったが、しばらくの後、口をついて出たのはまったく別の事だった。
「何が目的なんだ?」
「え?」
「レヴァイン……。君の兄さんがここの暮らしに不満を持っていたのは知っている。だが、なぜ?
なぜフェヴェーラを連れて行かねばならない?」
「…………」
「君にならわかるかと思ったんだが」
ライガは寝台の上に起きあがり、レイリアを見つめた。湯殿からほとんどライガの後ろにばかりいたレイリアは急に肌のあらわな衣服が恥ずかしくなったように両腕を体の前へもっていき、浴衣の裾を引っ張って頬を赤らめた。
「どうして……」
「仲が良かったんだろう? レヴァインは君の母親に育てられた。生まれた時に母親を亡くしたフェルがシャイア様の元で乳母に育てられたというのに」
「フェヴェーラの事は……シャイア様のご判断で……。レヴだけは父がどうしてもと母に頼んだと聞いています……。父は彼を手放したくなかったんです」
「結局、誰も幸せにはならなかった……レヴァインも、キャナリーもバラド殿だって……」
「それは……」
「バラド殿のした事は間違っていた。仮にレヴァインが生まれてしまったのは仕方がなかったとしよう。しかし、息子の事を思うなら赤ん坊の時に母親の育った村へでも置いてくるべきだったんだ」
「らしくありませんわ……」
「え?」
「八つ当たりなんて、ライガ様にふさわしくありません」
「……そうだな。謝る。だが、君は本当に知らないのか? 奴がどこへ向かったのか」
「ええ」
「ヴェインの周辺には道らしい道もない。フェルを連れていたんではますます足が遅くなるだろう。いざという時の人質にと思ったのかもしれないが、それよりは少しでもここから離れた方がいい。
写本を盗んでいったのも気になる」
「……ライガ様」
固い口調。深呼吸をひとつ。
「これからお話する事、絶対に他言しないと誓っていただけませんか?」
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