01 滅ぼすもの(ヴィズル) 1
はじまりの炎が 光と影をかもし
世界を形造った
生まれたばかりの風が雲を呼び
輝ける稲妻を閃かせた
天の轟きは雨を誘い
熱い大地をなだめた
水の調べは生命育み
大地の子らは天に恋がれた
おしまいの炎が 光と影をかもし
世界を葬り去った
哀しみをうたう風が雲を呼び
輝ける稲妻を閃かせた
天の轟きは雨を誘い
熱い大地を鎮めた
水の流れは大地えぐり
すべての生命は虚無へ還った……
竜の時代 蒼風十年 冴気月 九夜
警鐘が鳴った。
金属の鐘を打ち叩き、空気を震わせて鳴るそれではない。術者の頭の中にのみ鳴り響く魔法の鐘。誰かが結界に触れたのだ。
浅い眠りから覚まされたヴァルデリュードは冴気月の寒気に身を震わせた。暖炉の火が消えている。
窓の板戸を閉めた室内は真っ暗だったが、老人とは思えぬなめらかな動作で小さな毛織りの敷物の上にそろえられた室内履きに足をつっこみ、壁の掛け釘から外したフードの付いた青灰色の寛衣を羽織る。あとは寝台の頭板に立て掛けてあった杖を取るだけだった。
王国の東の果て。
《 灰色の巨人達 》 と呼ばれる山脈の西の麓に、三つの塔を持つ白い石造りの砦がそびえる。いつの世からか 《 塔の賢者 》 の称号を持つ三人の魔法使いによって統べられている 《 賢者の塔 》 。
白魔法を修める者の学び舎であり、世俗の支配を受けぬ聖域。
塔の基部の建物は数百人は収容できる大講堂から、小さな寝台と机ひとつを入れるのがやっとの小部屋、何層も迷路のように連なる大小いくつもの地下室など、三千を超すと言われる部屋を備えており、またその所領には農園、林、溜め池等、大貴族の地所に匹敵するものが含まれる。
ヴァルデリュードは叙任されたばかりの最年少の賢者ではあったが、既に齢七十を越えていた。
「ヴァルデリュード!」
三つの塔を繋ぐ渡り廊下で賢者クライベルクに呼び止められる。無論、彼も気づいたのだ。
「先頃お主の拾ってきた子供、確かウェイデルといったか? そのウェイデルが 《 破滅の室 》 の封印を破りおったぞ」
「ご心配には及びますまい。あれは何かの縁にひかれてきた者。それが封印を解いたというのなら、そうなるべくしてなった事でしょう」
「しかし……」
クライベルクは薄くなった白髪をモシャモシャとかいた。その群青の瞳には鋭い叡智が輝き、百年の歳月を見つめてきたクライベルクであったが、この新参の同僚には一目置いていた。
例えばそう、彼は明々と灯った手燭を携えてきていたが、ヴァルデリュードの手には杖が一本あるきりだった。明かりもなしに暗い階段を降りてきたのだ。
逆に、どのような明かりもヴァルデリュードの役には立たない。その白い眸は決して光を見る事はないのだから。
それでもヴァルデリュードは書物を読み、絵画を鑑賞し、表情を知る事ができる。それは天が彼に与えたもうた第二の視力の賜物だった。
「あの子供の将来に何を観たのだ?」
問いかけるクライベルクにヴァルデリュードはかぶりを振り、
「何度申しあげてもわかってはもらえますまいな。すべてを観るという事は何も観ておらぬのと同じ事だと。……私の観ておるものは可能性にすぎぬのです」
「可能性……と、な。フム。……わかった、こたびの件、お主に任せよう。ヘンリエッタ殿には儂の口からすべてをお主に委ねる、と伝えておく」
ヴァルデリュードは無言のまま一礼し、破滅の室へと急いだ。
蒼風八年 風待月 八夜
はしばみ色の瞳。こんなにも幼いのに、こんなにも蠱惑的な。つややかな唇からは真珠色の歯並みが覗き、蜂蜜色の髪がサラリと揺れる。
「じゃ、どうしてもダメだって言うのね」
ラドウィック村の外れ、雑木林に開けた小さな空き地。
風待月の強い日差しが痛い程に肌を叩くその午後、十三の誕生夜を迎えたヴィーアは形の良い眉をつりあげた。王国の西はずれに近いこの辺りでは珍しい、綺麗な流行りの服を着ている。
「ヴィー、何度も言っているように、これはお守りなんだ。どんな事があっても片時も離しちゃいけないって、言いつけなんだ」
彼女より一月ほど年長のライガが鎖に通して首にさげた指輪を握りしめて弁解する。
生成の麻シャツに縄で縛った膝丈のズボン、木の皮を編んだサンダル。典型的な田舎の子供の服装だ。
「そうなんだ。僕達がこれを外すと恐ろしい事が起きるって……」
くすんだような黒髪。黒煙を想わせる瞳。後を引き取ったウェイデルの容姿は声をも含め、ライガと瓜ふたつである。
ウェイデルの鎖の先には白金に大粒の宝石が嵌め込まれた指輪。宝石の色は一点の曇りもない青。空よりも青く、海よりも深い。
「恐ろしい事ですって?」
すでに形良くふくらんだ胸の前で、むきだしの白い腕を組んだヴィーアの口調からは彼女がそれを本気にしていない事がありありと窺えた。
そんな子供じみた話を信じるなんて、と鼻を鳴らしてみせる。
「本当なんだ、ヴィー。僕らは……なんて言うのか、ある力を持って生まれたんだ。
だけど……それをうまく使う事ができないんだよ」
「君は知らないだろうけど、そのせいで僕らの母さ……」
そこでウェイデルは言葉を接げなくなった。
村の誰もがその答えに疑惑と不安を抱いている秘密。なぜウェイデルとライガの母親が生まれたばかりの双子を残して亡くなり、父親も祖父母も、親類縁者の誰一人として彼らを引き取ろうとしなかったのか?
母アリエルの死を看取り、彼らを養い育ててくれた治療師ラウンデルとその妻ライラは何ひとつ語ろうとしなかったが、少年達はアリエルが死んでしまった事情を痛い程よく知っていた。
断片的にではあるが彼らには誕生以前の記憶があり、それには母の体験や感情も含まれていたのだ。
皆がアリエルは悪魔を身ごもったのだと信じている。そして、ある意味でそれは真実だった。
「この指輪は……」
ライガは鎖に通したままの指輪を親指にはめ、陽にかざした。
金の台座に真紅い宝石が燃え立つ。
「僕達の力を抑えているんだ。それでも時々、指輪の力をもってしてさえ……」
「馬鹿な事言って誤魔化してもダメよ!」
ヴィーアは胸中に拡がりつつある不安を払いのけるように顎をクイとあげた。
「ライガ、ウェイ。あなた達、あたしの事を好きだって言ったわよね?」
「もちろんさ!」
声をそろえて頷く。
「じゃあ、証拠を見せてちょうだい」
「証拠?」
「そうよ。今夜はあたしの誕生夜よ。ライガは木の実で作った首飾りをくれたわ。ウェイは木彫りの腕輪を。
でもあたしはそんな物じゃなくて本物の宝石が欲しいのよ。王宮の貴婦人が身につけているような。あなた達が持っているような」
「だから、さっきも言ったように……」
「あなた達二人のうち、どちらが本当にあたしを想ってくれているのかしら?」
「どちらが……?」
「本当に……?」
「そうよ。どっちの方が沢山って言ってもいいわ。あなた達はなんでも二人いっしょ。話だってまるで一人しかいないみたいにするじゃない?
だけど、あたしは一人しかいないのよ」
ヴィーアの言葉に少年達は顔を見合わせた。
「ライガ……」
ヴィーアはつとライガに身をすり寄せ、両手で指輪をはめたライガの手をやさしく包み込んだ。
何か、痺れに似た感覚がライガの全身を走り抜け、耳元に少女の甘い吐息が囁きかける。
「あなたはきっとウェイよりもずっとあたしが好きよね?」
「ヴィー……」
かすれた囁き声。音が、心臓の音が世界中に響き渡りそうだ。
「でしょ?」
すぐ傍にウェイデルが立っている。ヴィーアが何を言ったかは聞こえなかったはずなのにライガが何を感じ、何を考えているか理解してしまっている。
いつもそうなのだ、いつも。
「だ・か・ら……。その指輪をあたしにちょうだい。
そうだわ、それ、婚約指輪にしましょうよ。
この村ではどうか知らないけど、前にあたしがいた街じゃあ、男の子は好きになった女の子に指輪を贈るのよ。そして女の子が指輪を受け取ったら、それは将来その贈り主と結婚しますって意味になるの」
「ヴィー、僕は……」
「それともウェイに頼んでみようかしら?
ひょっとするとウェイの方があなたよりずっとあたしの事を好きなんじゃないかしら?」
少年達の身体がビクリと震えた。
「ヴィーア、君は……。君はどう?」
「どうって?」
「君は僕の事が好き?」
「もちろんよ。あなた達は村の男の子の中じゃあ一番素敵で、すばしっこいもの。
それに頭もいいわ。読み書きや計算ができるだけじゃあなくて、薬草を見分けて薬を作ったり、妖精の言葉まで話せるんですもの。そんな子、街にだって一人もいなかったわ」
「フッ……」
ライガは自分が唇をゆがめて笑う声を聞いた。
「だけどこの村には二人もいるって訳だ」
「ライガ……?」
「君は言ったね、あなた達は、って」
「え? それが一体……」
ヴィーアは自分の過ちに気づいて身を強張らせた。
「だって仕方ないじゃない! あなた達は本当になんでもいっしょなんですもの。見分けなんて、つきゃしないわよ!」
「じゃあ君は僕と結婚して、僕とウェイが一晩おきに寝床を取り替えたって気づいたりはしないんだ」
「 …… っ!
なんて事を言うのよっ。あんた達なんて、あんた達なんて、ただの……ただの……」
自らの紡ごうとした言葉に躊躇して口ごもるヴィーアにライガが問いかけた。
「田舎者のクセに……かい?」
「……そうよ!」
少年達の深い溜め息。
「わかっていたんだ」
黙していたウェイデルが言葉をついだ。
「今までそんな事はないって思い込もうとしてきたけど。
ヴィー、さっきも言ったね。街にだって、って。君はすぐに街って言葉を口にする。村のみんながのろまな田舎者だって言いたい時に」
「だったら何よっ!」
ヴィーアの頬は紅潮し、眼は怒りに輝いている。そんな様子でさえ綺麗だと少年達は思った。
「君は僕達の事なんてホントは好きでもなんでもないんだ」
「ただ指輪が欲しいから、そんなふりをしてみせただけなんだ」
「ええそうよっ。
あたしはいつかお金持ちの紳士と結婚して都に行くんだもの。
その時にはそんな指輪なんかよりずうっと素敵な宝石で身を飾るの。絹の衣装を着て、エイムズの絨毯の上を歩いて、建国記念夜の祝賀行列で見たような白い馬の引く馬車に乗って……。
それなのに、あたしがアンタ達みたいな薄汚れた田舎っぺを本気で相手にすると思ってたの?」
勢い、というのだろうか。ヴィーアはそこまで言うつもりのなかった、いや本気で思っている訳ですらない事をも口走ってしまった自分に驚いた。
なぜかまともに二人の顔を見る事ができなくなってプイと横を向き、半分は自身に向けて吐き出すように呟く。
「馬鹿みたい」
が、少年達にはそんなヴィーアの内情まで推し量るゆとりはなかった。
ライガの裡の奥深いところで、何か冷ややかなものが頭をもたげた。それは氷よりも冷たく、そして心地良い力強さに満ちている。
そしてウェイデル。彼の半身であるウェイデルの裡からは熱く燃えたつ力があふれ始め……。
「ウェイ、やめろっ!」
ハッとして叫ぶより早く、ウェイデルは指輪の鎖を引き千切っていた。
「こんな物が欲しいならくれてやるよっ!
君みたいな子を……好きになっちゃった自分が情けない。
だけど、もっと情けないのはライガといっしょにされるのが嫌でたまらなくなった僕自身だ……。
あんな奴、いなくなればいい……と、願ってしまった僕自身……」
ライガの鎖も音をたてて千切れた。
「でも、もっと、ずっと、やりきれないのは……こんな、こんな……時でさえ、むこうもそう思ってるって、はっきりわかるって事だ。
……許せないのは……それでも、それでも、ヴィー……」
「まだ君が好きだって事だ!」
「ちくしょうっ!」
二人は同時に指輪をヴィーアの足下に投げつけ……。
そして……
気づいた時、ヴィーアの身体は塵と化して風に散り、少年達はそれぞれの指輪を握りしめて、あえぎながら大地に横たわっていた。
覚えているのは、互いの裡から恐ろしい圧力となって力が外へとあふれ出し、閃光を発してぶつかり合い、渦巻き……
ヴィーアはちょうどその二つの力の直中にいた。引き合い、弾け飛ぶ力の焦点、二つの指輪の傍らに。
あふれ出す力に翻弄され、己の身さえも危ういと悟った少年達は本能にうながされるままに這い寄り、指輪を拾いあげた。
ライガは赤、ウェイデルは青い宝石のはまった指輪を。
この作品の舞台となる世界では昼ではなく夜を数え、日没をもって一夜[日]の始まりとします。
我々の世界で言う前夜はその夜[日]にあたり、その日の夜はもう翌夜と、夜付[日付]の区切り方が違います。王国の人々が昼間<昨夜>という時は我々の一昨夜。
作中の今夜とか、明夜といった妙な表記はその為です。
作中の日付は気にしなくていいです。でてきたら「日付が前か後ろのどっちかに飛んだんだな」と思ってくださるくらいで。
作中の暦や度量衡に興味を持ってくださった方は「ウェリアと呼ばれる世界」というタイトルの短編扱いで投稿していますので、そちらをご覧ください。
大昔に別のペンネームを使ってこの作品を発表していました。
そのペンネームで18禁小説をDL販売してしまっているので、差別化の為にこちらでは新しいペンネームを使っています。
少しでもこの作品に好感を持っていただけたら、下の★をクリックしていただけると嬉しいです。感想大歓迎。
時間をあけてになりますが、今日中に5話まで更新予定です。よろしくお願いします。