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ヒトリガタリ

作者: K5

S県K市。

大型のショッピングモールを燦燦たる気持ちで練り歩く女性がひとり。

前髪を長くの伸ばしたボブカット、大きめに着こなした白パーカーのシルエットは

彼女が猫背気味であることを表している。

兎山(とやま)かなめ」は楽しみにしていた映画を観るためにこのショッピングモールにやってきたのであった。

「今日はなんとあの大阪リベンジャーズエタニティウォーの公開日だからねー」

「この時を私はどれほどの期間待ったことか…まさに永遠と感じられるほどに!」

ニヤニヤとそしてブツブツと独り言を呟きながら心躍らせるかなめ。

自分の世界に浸り注意散漫になった彼女が何かにぶつかるのは必然であったのだろう。

「ぶっ…!!」

何かにぶつかったことに気づくかなめは

「あっ…」なにかを言いたそうにするがうまく言葉にできなかった。

黒いその何かはリュックのようであった。

しかし、普通のリュックとは違い縦に異様に長く作られたものである。

「ごめんなさいっ!いきなり止まっちゃって…!」

目の前にあるリュックの後ろから声が聞こえる

きれいな黒髪が流れてその顔が映し出されるとそこにはかなめより小柄な少女が立っていた。

「私のギターがぶつかっちゃったんですね。ごめんなさい!」

その大きなリュックの正体はギター運搬用のケースのようだった。

「あ…いや…その…」

言い淀むかなめ

「本当にすいません!しっ…失礼します!!」

そういうと大きなギターケースはどんどんと人込みに紛れていくのであった。

「あ…あ…」

一人立ち尽くすかなめ。

(でっかい荷物を持ってすごい子だったな…)

「ギターか…」

ぽつりと放つ言葉は人混みにかき消されるのであった。


(映画までの時間どこで時間をつぶそう…)

かなめはあまりにも楽しみにしていた映画の公開日な為、大分早く目的地にやってきたのである。

このショッピングモールは県内でも屈指の大きさをほこり、

初めて訪れる人は一日でお店を回りきることができないほどである。

そんなモール内をうろつくかなめ。ゆらゆらと目的もなく彷徨っていると

ふと目に留まる看板があった。

いつもなら目に留まることはなかったであろうその看板に記されていたのは、

「島田楽器店…」

かなめの足は視線の方向へ進み始めた。

初めて入店するその店は服屋や雑貨店とは違った空間を演出しているようだった。

そこには少し荘厳な雰囲気さえ感じることができる。

壁一面に並べられたギターは一つ一つが職人の手によって作られたものだろう。

艶のあるそのボディは光を優しく反射している。

左右の壁に並べられたギターの間に留まるかなめは

「うわー…高っ…」

まずはその価格に目が行くのである。

素人からしてみれば確かに見た目はほぼ同じで

分かりやすい尺度はそのギターの価格のみなので無理はないだろう。

しかし、その瞳には価格以外にも何かを感じ取っているような

そんな視線が向けられていた。

「ギター、ご興味ありますか?」

唐突にかなめの耳に入ったその声はすぐにその店の店員のものだとわかった。

そして同時に彼女の燦燦たる気持ちに暗い雲がかかっていくのである。


(あっ…ああ…あああああああああ…)

かなめは絶叫していた。心の中で。

その声は表情となって他人が認識できる形で発露された。

「お顔大丈夫ですか…?すごい顔をされてますが…」

接客のために声をかけたはずなのにその次の言葉がこれとは

この仕事を始めた中で初めての経験であろう。

かなり癖の入った頭髪である店員「眠目(ねぶりめ)姫子」は声をかけて数秒で

相手を間違えたと悟るのであったが、

「そ…それで気になるギターはありましたか?」

しかしそこは長年この仕事を続けている姫子すぐに営業トークに切りなおした。

姫子が言葉を発して1秒…2秒…10秒を経過しても

かなめは時が止まったかのようにリアクションを示さない。

(姫子くじけそう…)

姫子は再び相手を間違えたと悟る。


兎山かなめはコミュ障である。

人と話すときは冷や汗をかくし、のどが絞まりその声は小さくなる。

自室でひとり話し方を練習するが練習の成果が発揮されることはない。

普段は独り言を呟いているがいざ人との会話となると言い淀む。

会話が少し成立したとしても「あの話し方は悪かったんじゃないか」と

その日の布団の中で悶々と過ごす。

そんな兎山かなめはコミュ障である。

想定外の他人との会話を強制されるというイベント

かなめからしてみれば体力が限界の中、唐突にバトルを仕掛けてくるトレーナーのようである。

「あの…見てただけで…その…えーっと…いいですよねギター…」

もはやこの場をやり過ごすしか彼女の選択肢は残されていなかった。

しかし回答は悪手とは彼女は知らない。

「ご興味をお持ちなんですね!いいですよーギターは!!」

「生涯の趣味にされる方もおられますし!!」

「せっかくの機会ですから触ってみてください!」

かなめの隙を見逃さず間髪入れずに畳みかける姫子商魂たくましい限りである。

当のかなめはというと…かなめはコミュ障である。

姫子の提案を断れるはずもなく…

「…はい…。」

そう頷くしかなかった。


島田楽器のギターコーナーには試奏用の椅子が置かれている。

そこに腰かけたかなめに姫子は喜々と語りかける。

「改めまして私、ギター担当の眠目と申します。」

「お客様はどういったギターをお探しですか?」

「クラシック?アコースティック?それともエレキですかねー?」

かなめの耳に魔法の呪文が聞こえてくる。

「えぇ…と、私…ほんとに何も知らなくて…その…違いは何ですか?」

かなめにとっては当然の質問だった。

「そうですねー、クラシックはナイロン弦という弦を使用してまして、

指引きで演奏することが多いですかね。」

「アコースティックギターはすべて金属弦で力強い音を奏でられます。

弾き語りとかに向いているギターですね!もちろん繊細な演奏もできますが。」

「エレキは電気の力を使って音を増幅させるギターです。

アコギやクラシックとはまた違った技法がありますし、エフェクターというものを使えば

色々な音色を奏でることができます。」

それなりに違いがあることを理解するかなめ。

しかし、自分にどのギターが当てはまるのか、そんなものがわかるはずもなかった。

またも黙り込むかなめ。

「じゃ、じゃあ、スタンダードに何でもこなせるアコギから触ってみますか!」

さっと、壁に掛けられたギターを手に取る姫子

「女の子で初心者ならこのギターがおすすめですかね」

差し出されたギターを手にするかなめ。

(意外と軽い)

見た目よりも重さを感じないそのギターはしかし本体が大きめに作られており

確かな存在感を感じた。

「じゃあ、まずはこうやって構えてみてください」

姫子が見本を見せる。それに倣ってかなめもギターを抱え込むように構えてみる。

「そうそう、左手はネックに、右手でピックをもって…」

手を取り丁寧に教える姫子に少し安心感をもつかなめ。

(この人優しい)

コミュ障はチョロい。

「じゃあまずはコード引きから。Gを弾いてみましょう!」

指の形を教えられる。

少しぎこちないが何とか形になる指先

「では、ピックでならしてみてください。」

右手でピックを慎重に上から下に下ろしていく。

音は確かに弦を震わせ左手の指先に伝わる様だった。

そしてしっかりと鳴り響いた音はかなめの全身を震わせた。

(うわっ…鳴った)

自分でもうまくできて驚くかなめ。

「おー!!いいじゃないですか!じゃあ次はC…」

比較的簡単なコードを何とか弾いていくかなめ。

音楽というにはまだ拙く、コードの一音を奏でるものではあるが

たしかに彼女自身で奏でる音であった。

「今度は難しいですよー…Fを弾いてみましょう」

Fコードはギターを触り始めた人が一番最初に躓くと言われるコード

その理由はバレーコード呼ばれる指全体で指板を押さえきれいに音を

出すことをにあった。

このコードで早々にギターをやめる人がいると言われている。

そんなことはつゆ知らず言われたとおりに弦を押さえようとするかなめ。

「あ…あれ?難しい…」

当然彼女もここでギターの難しさに直面すると思われていた。

ジャーーーーーーン…

少しぎこちないが確かに音の粒がはっきりと聞こえる音が響いた。

最初に音を奏でた時よりも自身が出た音に歓喜するかなめ

指板を見るためにうつむいていた顔を上げ姫子と顔を見合わせる。

「すごいじゃないですかー!!!」

「このコード初心者がちゃんと音を出せるなんてなかなかないんですよ!!」

「才能ありますって!!」

かなめは人に褒められることがない。

めちゃくちゃ気分がいい!しかし…、

「あ、あの…ありがとうございま…した。」

「でも…もう少しで映画の時間なので…」

確かに映画の時間もあった、だがそれ以上に

自分に自信のないかなめ。

何かをやってみたい。何かを表現したいということに

積極的になるには彼女の自己肯定感はあまりにも弱弱しいものであった。

「あれ?さっきの人。」

うつむているかなめにさらに声がかけられる。

また顔を上げる彼女の前には黒髪の少女が立っていた。

「なに?レアちゃんお知り合い?」

問いかける姫子。

「いえ、ちょっと前に私がぶつかっちゃって」

「あーそれで、姫子さん。そろそろ時間なのでお願いします。」

何やら話し合っている二人。

「あ…あの…」

何とか断りを入れて立ち去ろうとするかなめであったが、

「そうだせっかくならレアちゃんのストアライブ観ていってくださいよ」

さえぎる姫子。

「これも何かの縁ですしぜひぜひ!!」

レアも乗り気だ。

「あ…ああ…」

コミュ障は断ることが苦手だ。


島田楽器には少し広めの貸しスタジオがあった。

そこで今日「新田レア」のストアライブが行われることとなっている。

会場には15人ほどの人が入っていた。

当然そのなかの一人はかなめだ。

(あー…私の意気地なし…まだもう少し時間あるけどここから離れないと…)

冷や汗をかく…少し薄暗い会場は少し落ち着く空間であった…。

ライブが始まる。

ざわついた会場が静寂に包まれる。

その雰囲気に緊張感を覚えるかなめ違う意味で冷や汗が流れそうだった。

少し小高いステージにはレアが立つ。

その前にはマイクスタンド、ギターにはシールドがつながれている。

少女然とした彼女の表情とはまた違う表情をのぞかせて少しの間閉じられていた瞼が開く。

視線は観客に、息を吸う、その息が少し漏れ出す。

「自分を諦めてないか、その声は届いているか?」

少女の"声"はマイクに振動となって伝わり、増幅されたその"歌"は空気を震わせた。

ある意味暴力的に叩きつけられたその歌は確かにかなめの鼓膜を殴りつけた。

(なに…!?)

気づけば鳥肌が立っていた。

鳴り響くギターの音はレアの声を力強く支える。

一体感というのだろうか、塊となったその"音楽"はかなめの心をがっしりとつかんで

今後離すことはないだろう。

もう、その音楽から目を背けることはできないだろう。

もう、かなめは昨日の自分に戻ることはないだろう。

それだけの衝撃をその音楽は響かせたのである。

それは必然だったのか、

偶然だったのか、誰にもわからない。

一つだけ言えることはかなめは目の前の少女のようになりたいと思った。

弾き語りを、いや"独り語り"をかなめは始めることとなる。


かなめは走った。

自宅に帰るためなぜなら手持ちのお金じゃギターが買えなかったから。

もう映画なんてどうでもよかった。

映画以上の衝撃が彼女の心を打ったのだから。

彼女が歌声を響かせるのはまた別のお話で…。


END

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