第37話.マカオの戦い
翌日……
「来たぞー!!日本軍だ!!」
5月2日、日本陸軍25000人は一斉に上陸を開始した。
師団ごとに分かれての上陸となったがそれでも万単位である。凄まじいドイツ軍の砲撃の前に日本兵は匍匐前進などで対抗、最後は銃を持って陣地に突撃し、ドイツ兵との白兵戦になった。
「1隻でも多くの敵上陸用舟艇を沈めろ!」
「敵軍は一体何人なんだ!?」
「10万は超えるだろう!」
「じゅ、10万!?」
ドイツ兵は日本軍がマカオを落とすには10万ほどの兵が必要であると考えていた。
だから日本軍も全力を挙げて10万以上の兵でマカオに侵攻したと考えているのである。しかし現実は違った、マカオに上陸してきた日本陸軍の総数は僅か25000人である。しかも上陸作戦で上陸してきたのは僅か5000人である。
陸軍の指揮官、樋口季一郎中将もマカオに上陸した。彼は第5方面軍総司令官である。第7師団が派遣されたからこそ彼が指揮官に任命されたのであった。戦車第1師団、第7師団の一部が上陸し、沿岸のドイツ兵の討伐活動をある程度終えると、今度は残りの兵員と物資の揚陸が開始された。
───仮司令部───
「閣下、敵軍が少数の部隊を残してタイパ島島に撤退している模様ですが?」
「敵はタイパ島島で決戦を仕掛けるつもりだ。ならば我々が取るべき手段はただ一つ、タイパ島を孤立させる他ない。中国軍にも協力してもらおう」
樋口中将の作戦により、珠海市などの中国領では中国軍数十万が常駐した。さらに樋口中将率いる部隊は南下を始めたのである。しかも、その戦いは極めて簡単であった。
まずドイツ軍が少数部隊であった事、続いて現地の人々の支持を得、特にポルトガル人も日本軍に全面的に支援を行ったのであった。
戦車第1師団所属の九七式中戦車改を盾として歩兵は前進した。
貧弱武装の日本軍、しかし所詮マカオのドイツ軍は通商破壊艦隊しか置いていない、アジアの辺境の守備隊には必要な弾薬が足りていなかった。おまけに本国からの援軍は望めず、ドイツ兵は絶望的な戦いを強いられた。
それでも戦車もタイパ島に逃がしてしまい、戦車を持っていないドイツ兵は建物に立て篭もり、数と火力で勝る日本軍に対して勇敢に戦い、夕方までに124人の日本兵が犠牲となったのである。しかし……
「うっ!!」
「あんた!大丈夫かい!?」
現地民やポルトガル人は日本軍に協力した。
現地民は日本軍は我々をドイツとポルトガルの圧政から解放してくれると、ポルトガル人は我々の植民地を代わりにとり返してくれると信じていたのであった。
その為、現地民とポルトガル人は負傷した日本兵を衛生兵の代わりに看護したのである。
そのような現地民の協力、ドイツ軍の早期後退により、日本軍は比較的少ない損害で、予想よりも短期間のうちにマカオ半島を制したのである。そこで日本軍はドイツ軍と和平交渉にあたった。
「戦局は既に、あなた方不利に傾いております。本国からの増援が望めない今、あなた方に勝ち目はありません。我が軍としても双方の兵が無駄に血を流す事を望んではおりません。我々日本軍はドイツ軍の降伏を勧告に参りました。これ以上日独間の無駄な争いを続けたくはないのであります。どうかこの降伏勧告を受け取っていただきたいと思っております」
「……」
ドイツ軍司令官は黙り込んでしまう。
確かにこのまま戦えば負けは確実である。このまま降伏したほうが兵たちも無駄な争いをせずに、いずれは祖国に帰る事ができるかもしれない。しかし降伏とは祖国を裏切る事であり、総統からどのような仕打ちを受けるかなど予想もできない事である。
ドイツ軍司令官のラインハルト・フォン・エーベルト中将は高級貴族出身である。騎士として、東洋の黄色い猿に降伏する事など許せはしなかった。本当なら降伏すればいい所を、彼はプライドと総統の恐怖から強くこう言ってしまったのである。
「冗談ではない!我が国防軍に降伏などという言葉はない!帰ってくれたまえ!」
「…では、軍機につきお教えできませんが…いずれ我が軍はタイパ島に対し、総攻撃を仕掛ける事になります」
「構わん!来れるものなら来てみるがよいというのが私の君の言葉に対する返答である!」
「…わかりました」
部屋の中で銃を持っているドイツ兵やエーベルトの参謀たちは難しい表情をしていた。そんな中、日本軍将校らは相変わらずの厳しい表情で退室し、そのままドイツ軍司令部を後にしたのである。その間、日本軍将校もドイツ軍人達も口を動かす事すらなかった。
その翌日から日本軍はタイパ島に対して凄まじい砲撃を繰り返した。
しかしあまりの砲撃に5日後には侵攻作戦に必要な砲弾が足りなくなるという事態が発生、だがドイツ、イタリアUボート部隊が顕在している中、日本商船隊は決死の輸送を敢行し、3隻が撃沈されるも物資を運ぶことに成功した。これにより、弾薬に困る事はなかった。また食糧も地元民やポルトガル人が提供。現地調達主義の日本軍は開戦時、南方の島では物資不足で苦しむ一面もあったが今回はそうではなかった。
もちろん、そこは人口密集地であり、食糧がそこらへんに出回っているという事も影響している。
その頃タイパ島では水不足に陥り掛けていた。
数十人の中国人やポルトガル人の活躍でようやく持っているようなもの、つまり香港でイギリス軍が経験した事と全く同じであった。ドイツ軍はイギリス軍と同じ目に遭って苦しんでいるのである。
「閣下、戦いを行うには水が不足しすぎています。弾薬もいいとこ2週間分しかありません。本国からの増援が望めないこの状況だとあの日本軍の将校たちの言うとおり、我々に勝ち目はありません」
「君はゲルマン民族としての誇りを忘れたか?確かに勝てない…だが黄色い猿に降伏するぐらいなら全滅したほうがマシだと兵たちも思っておるだろう」
「そんな事をするのは騎士ではありません!」
「黙れ!……第一、降伏すれば総統閣下にどんな仕打ちを受けるか考えて見ろ」
「……確かに、総統閣下からは死守せよとしか命令が来ません…」
「ここで降伏すれば我々は祖国には帰れない、ならばせめて全員突撃し、潔い最期を迎えて先に逝った仲間の所に行くほうがよい」
「……」
その夜、日本軍は突如としてタイパ島に上陸を開始した、先に上陸したのは戦車と歩兵の混成で総数1万人の部隊である。直ぐに日本軍はタイパ島の北西部を占領したがドイツ軍は頑強な抵抗を続けた。さらに日本軍は島の北部を確保する事とそれを妨害する要塞を落とす為に2つの作戦を遂行、3日後には成功するもののその間に日本軍は720人の死傷者を出す大損害を被ったのであった。
ドイツ軍が築いた要塞はあまりに堅固であり、日本軍が何度攻撃を仕掛けても陥落しない要塞すらあった。戦車第1師団の戦車もドイツ軍の要塞砲やパンツァーファウスト、パンツァーシュレックを装備した歩兵、Ⅳ号作戦H型による攻撃で日に5両近くを失う事さえあった。さらに激戦が3日も続く、ドイツ軍の手によって要塞化されたマカオ攻略に、いよいよ兵力不足を感じた樋口中将は第5方面軍の一部師団から一部兵力を抽出、マカオ攻略部隊に加えようとした。
対ソ防衛もあるので樋口中将の部下は難色を示した。しかし今から他部隊と交渉しても遅いのでなんとしても第5方面軍から兵を抽出しようとした。その結果、第88師団より3000人が増員される事が決定した。
だが戦闘開始からさらに3日、突如としてドイツ軍将校から白旗をあげてやってきた。
水がなくなり、とても戦闘を続行できる状態でなくなったからであった。翌日より降伏の交渉が行われ、ドイツ軍東洋部隊は5月22日、ついに降伏した。砲撃しすぎの弾薬不足やマカオでの苦戦により、降伏交渉も含めた戦いは丸20日も続いたのである。日本軍戦死者998人、戦傷1238人。ドイツ軍は戦死785人、戦傷1320人、それ以外は全員捕虜となった。
マカオ陥落の話を聞いたヒトラーはその晩、怒り狂ったように叫び続けたという。
一方日本政府は占領後直ぐにポルトガルへの返還の準備を始めたのであった。結局この1か月後、マカオはポルトガルに返還されるが中国人の抵抗は激しく、史実よりも早くポルトガルはマカオを手放す結果となるのであった。
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