第35話.瀬戸内海対潜作戦
***昭和20年4月15日、瀬戸内海***
主力艦隊の大多数が大西洋で作戦行動を行っている為、日本本土の守りは少々手薄であった。また陸軍も対独戦に送ったのが過剰兵力であるとし、最近になって一部を本土に帰還させ、本土の防衛力を高めたのであった。また海軍も橘型駆逐艦を始め、対Uボート戦に備えて小型の駆潜艇、海防艦の生産に努めた。これらは戦艦や巡洋艦、通常の駆逐艦に比べて安価で大量生産が可能であり、それほどの人員も必要としない為、特に帝国海軍で重宝された。
さらに札幌型航空母艦もここの所大西洋に派遣される事はなく、2隻とも日本近海で活動していた。その背景にはドイツがかつて、中立国であるポルトガルに対し、圧力をかけてマカオにUボート基地を建設し始めたからであった。昭和18年から行われた基地建設はポルトガル人有志と現地人によって順調に進んでおり、早くもドイツ軍Uボート6隻、イタリア軍6隻、さらに昭和18年からマカオに停泊しているのはドイツの東洋艦隊であった。
ドイツ東洋艦隊
旗艦「マッケンゼン」
巡洋戦艦「プリンツ・アイテル・フリードリッヒ」「グラーフ・シュペー」「フュルスト・ビスマルク」
巡洋艦「モルトケ」
駆逐艦…Z36型4隻
Uボート…6隻
イタリア太平洋潜水戦隊…6隻
ドイツ東洋艦隊の本部は中立国の基地にいる為、連合国はこれを攻撃できないでいた。
しかしドイツ側も本国付近での戦況悪化や連合軍の哨戒網に阻まれ、ロクに艦隊を動かす事ができなくなってしまった。そこでヒトラーは「今ある戦力でできるだけ敵を殲滅せよ」と東洋艦隊に命令した。
その命令を聞き、ドイツ軍Uボート6隻は日本本土へと近付いたのであった。
「…見つけた!!日本の商船だ!」
「雷撃用意!!!」
「…射っ!!」
装填された魚雷が発射される。
その魚雷は見事と言わんばかりに日本の商船「東進丸」命中したのであった。防御力を持たない東進丸は1分以内に轟沈した。
「やった!!!」
「まだまだ!祖国の為にもっと敵艦を沈めなければ!」
「方位3-2-0!距離500!あれは……大物だ!!」
今度の相手は竣工したばかりの雲龍型航空母艦で処女航海の最中であった。無論艦載機など搭載はしておらず、単艦での航海であり、まったくもって無防備であった。
「装填急げー!!」
「方位3-2-0!!距離500!…用意っ!!」
「射っ!!」
***帝国海軍航空母艦「高安」***
「…ああ!!雷跡です!!」
「まずい!!」
「面舵一杯!!!」
「間に合わん!!衝撃に備えよ!!!」
艦内が激しく揺れる。
外から見ると左舷中央や前方、さらに後方などに水柱が上がっていた。高安は3発の魚雷を受けたのである。
「被害を報告せよ!!」
「機関室浸水、その他各所で浸水確認!!タンク付近被雷!!それによりガスが充満し各地で引火爆発火災!!機関停止!消火不能!!現在艦体傾斜11度!持ってあと30分です!!」
「総員退艦!!あと駆逐艦でもそれ以下のものでもいいから豊後水道に来てUボートを叩くように言ってくれ!」
「了解!!」
「ちっ…まさかマカオの東洋艦隊が動いたか?……だから私は駆逐艦を随伴させた上での処女航海がいいとあれほど言ったのに…」
その後高安は沈没した。
これはかつてのドイツ東洋艦隊と現在のドイツ東洋艦隊を合わせてこの戦果は史上最大の大戦果であった。
***呉***
「…との事です、おそろく敵潜水艦は今後、少なくとも魚雷が残っている4隻が瀬戸内海に侵入し、呉軍港を奇襲する可能性がございます」
「いかがなさいますか司令長官?」
「長官!撃滅すべきです!」
「そんな事は言われなくてもわかっている。高安の仇打ちと…日本近海の安全の為だ、Uボート群を撃滅する!」
直ぐに呉より駆逐艦8隻、札幌型航空母艦2隻、海防艦3隻が出撃、ドイツ軍Uボートを探すがなかなか見つけられないものであった。しかし札幌の対潜哨戒機がついに1隻を確認した。
「爆雷投下用意!!」
照準を合わせ、そしてついに爆雷が投下された。
潜水艦内では音が響き、ついに1発が付近で爆発、浸水を起こした。
「浸水箇所を急いで修理せよ!!」
「まずいぞ、1機だけじゃないみたいだ」
「くそっ!侮れんぞ日本近海!」
「…ううっ!!」
「な、なんだ!?」
「入電です!敵艦隊接近!空母2、駆逐艦8、その他3!」
「なんだと!?主力艦隊の大半が大西洋にいるはずなのに……」
さらに潜水艦は振動する。
駆逐艦より発射された爆雷が爆発しているのである。そしてついに1発がUボートに直撃した。
「ぐわぁっ!!!」
さらに日本軍水雷戦隊の攻撃は続く、哨戒機の第2波も潜水艦攻撃に当たった。
戦闘は数時間にも渡り、時が経つにつれて戦いは苛烈なものへとなっていった。しかし結果はさらなる駆逐艦2隻を送り込んだ日本軍の勝利となる。魚雷を撃ち尽くした残るUボートはマカオへの帰路をとった。
しかし日本軍が無傷で勝ったわけではない。
日本軍は空母1隻大破、駆逐艦1隻沈没、1隻大破という大損害を被ったのであった。対するUボートは2数が損失したのみであり、残り2隻は損傷するもマカオへ帰還、戦術的にはドイツ海軍の勝利であった。
だが戦略的には勝利する。
呉軍港に停泊する艦艇を守る事、瀬戸内海や豊後水道を通過する民間の船舶の安全を守る事には成功したのであった。
だがこれ以降、日本政府はドイツ東洋艦隊のUボートに怯える事となった。そこで佐々木首相とポルトガル大統領、アントニオ・オスカル・カルモナと交渉を行った。その交渉は日本軍のマカオ攻撃許可、マカオ攻略後ポルトガルへの即時返還の約束というものであった。
カルモナ大統領は最初、日本軍の侵略ではないかと思ったものの、ドイツからマカオを取り返したいのは事実であった。そこでポルトガルから武官を送り、観戦させるという条件を付けて日本軍のマカオ侵攻を許可したのであった。
こうして直ぐに陸海軍でマカオ攻略作戦の立案が開始された。
マカオにはドイツ軍15000人、その他東洋艦隊、空軍機120機が駐留していた。まずマカオ攻略には航空兵力と海軍力の撃滅が必要である。
そこで日本海軍は飛鷹、隼鷹、そして修理したばかりである赤城を中核とする機動部隊を編成、護衛の艦艇として戦艦金剛、比叡。重巡鳥海、青葉。軽巡矢矧、大淀、仁淀、駆逐艦6隻、その他数十隻の艦艇を用意する事になった。一方陸軍は本土防衛にあたっていた戦車第1師団、第7師団を投入する事になった。
総兵力は2万以上である。
戦艦2隻、重巡2隻、軽巡3隻、駆逐艦8隻の水上兵力と2万以上の陸上戦力、規模だけでいえばドイツを上回っていた。さらに数隻の潜水艦が随伴する。さらに台南航空隊の零戦と一式陸攻、さらに陸軍の四式重爆撃機など陸上機部隊の参加も予定されていた。
念入りに練り上げられた作戦は5月1日に発動となった。
輸送船団はまもなくマカオに到着しようとしていた。その頃陸海軍航空隊はマカオの主要空軍基地を攻撃、ルフトバッフェのメッサーシュミットやフォッケウルフとの激しい空戦の末、かなりの損害を被るがその戦力を低下させた。この航空戦は日本軍が上陸した後も行われる為、後に『マカオ沖航空戦』と呼ばれた。
第二次世界大戦にて、アジア・太平洋地域で行われたドイツと日本の最初で最後の航空戦であった。
その頃、機動部隊からは航空機の発艦準備が行われていた。飛鷹と隼鷹は旧式機を搭載、しかし赤城は搭載機数こそ少しだけ減ったものの烈風や流星などの新鋭機を搭載し、戦闘力自体は落としていない。
地中海海戦でその恐ろしさをドイツ軍に見せつけた日本海軍航空隊はマカオ目がけて飛び立ったのであった。しかしドイツ軍は索敵機で艦隊が接近している事を知り、艦載機が発艦して手薄となっている間に、後方の主力艦隊を撃滅せんと東洋艦隊の総力を挙げての攻撃の為、出撃した。
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