第18話,昭和18年来る
昭和18年1月1日、ここトラック島では密かに新年を祝う会が行われていた。
北村や山本は今。「南国寮」でかわいい女の子が側にいる中、お酒を飲んでいた。
「いやいや、そんなに飲んではこれからの任務が…」
「いいじゃないですかぁ北村さん、さ、いくらでもありますよ」
「あっははは、っじゃあお言葉に甘えて飲んじゃいましょうかな?」
「あっ!ずるいぞ北村君!!自分にも!!」
「もちろん長官の事も好きですわよ」
「そりゃどうも…」
ここは有名な海軍料亭である。
ここで北村中将と山本長官が飲み会をしているのも、今後の戦いについて話し合う為であった。
「なんとか1年目は勝ちましたな長官」
「ああ、俺も奇跡としか思えないよ……ただ、今年昭和18年からはわからないぞ?俺の予想では今年は日米戦が膠着、アメリカは海軍力が、日本は補給の問題で膠着する。しかし昭和19年になればわからないぞ、アメリカ軍は復活して日本との戦いに全力を注ぐか、19年初頭に講和となって対独戦を戦うか」
「対独戦って…ドイツと!?」
「ああ、ヒトラーは噂では我が海軍に恐れてゲーリングを暗殺、ナチスに忠誠を誓っている無名の男を空軍大臣に駆り立てて空母の建造を始めたようだ。グラーフ・ツェッペリンはおそらくすぐに竣工、その他正規5隻、それ以下の空母数隻も就役し同時にもう艦上機の開発も開始しているだろう。対日戦に備えてだ」
「…もしそうなったら、日本はどうなるのですか?」
「負ける、米英は海で防げるがドイツは陸だ、我が国は君も知っての通り、陸の戦力は人は多くても装備が貧弱だ。ドイツ軍の前にはなす術も無く敗れるだろう。海軍もその頃には強化されているはずだ。我が海軍といえども簡単には勝てない、工業力も相手のほうが上だし資源も相手のほうがあるだろう。勝つためには早期講和が必要だ」
「米英との講和にかかっているとの事ですね」
「ああ…」
ドイツとの開戦…予想はしていたが昭和18年に入ってそれが現実のものになるかもしれないという事はこの時、陸海軍はおろか政府も薄々感じはじめていた。
現にドイツでも、このまま東に軍を進めれば、あるいは日本が突然、米英との講和を果たし対独宣戦布告をして機動部隊を向けてくるかもしれない。
その事を予想したドイツは密かに対日戦争用意を行っていた。
っで、そのドイツは今、北アフリカ戦線で後退、エル・アラメインまで押し戻されるものの援軍の到着によりロンメルは再び連合軍に対して攻勢をしかけた。
「前方M3多数!!」
「怯むな!!進め!!」
「Ja!!」
Ⅲ号戦車、Ⅳ号戦車が次々と砲撃を行いM3中戦車を痛めつける。
開戦から3年、改良を重ねたこの二つの戦車の性能は初期型に比べると格段によくなっていた。
特にⅣ号戦車F2型が長砲身75mm砲を搭載し対戦車戦闘で大活躍をしていた。この日もいつもどおりの大活躍をする。
「来るぞ!!」
「怯むな!!迎え撃て!!」
「用意!!……撃ち方始め!!」
「射っ!!」
無数の砲弾がアフリカ軍団を襲う、しかしドイツ軍は怯まず前進した。
「進め!!とにかく前進しろ!!残った敵などイタリア軍に任せろ!!我々は進むぞ!!スエズへ!」
ドイツ軍戦車部隊は砂漠を疾走する、さらに上空には急降下爆撃機が駆けつけてきた。Ju87シュトゥーカはそこまで高性能な機体ではないものの急降下時のサイレンは敵の恐怖心を煽り、絶大な効果を発揮する。
「…まずい!!」
グワーン!!
また1両、戦車が撃破される。
爆弾は艦船に当てるのだって難しいのにドイツ軍の場合、目標はより小さい戦車。
しかもドイツ軍パイロットは爆弾をちゃんと戦車に直撃させるのである。その腕前は日本の陸海軍航空隊のパイロットよりも上であるかもしれない。
ドイツ軍仮司令部……
「現在英軍はこのあたりで抵抗を行っています」
「いつ突破できる見込みだ?」
この男こそ名将、砂漠の狐ことエルヴィン・ロンメルである。
「はっ、1週間もあれば」
「1週間…ただでさえ補給が不足気味なのだから、4日では無理なのか?」
「よ…4日ですか?……」
「うむ、一歩でも止まってしまえばイギリスに反撃の機会を与えてしまう。フランスの時のように電撃戦を行い一分でも早く敵中を突破しスエズ運河を確保するんだ。そうすればイタリア軍がマダガスカルで劣勢のヴィシー軍を救援にいける」
「なるほど…」
ドイツ軍は昼も夜む休む間もなくイギリス軍に対して攻撃を行った。
イギリスに対しての支援が疎かになっているアメリカ、この支援が疎かになっているからこそドイツ軍は進撃する。エル・アラメインはこの数日後に完全にドイツのものとなりドイツはさらに東へ進撃する。
一方東部戦線では冬になり、モスクワ奪回の為にソ連軍は攻勢をしかけ冬に弱いドイツ軍を圧倒、モスクワまで50kmの地点に迫っていたがソ連軍はドイツ軍の激しい抵抗に遭い既に戦死者は20万を越しておりモスクワ奪回に成功する確率は日に日に落ちていった。
一方、攻勢を仕掛けているのはドイツ軍だけではない、日本陸軍も山下中将指揮の下、西へと進撃、インパールへと迫っていた。この時点で陸軍はまだ弾薬、食糧の備蓄量も十分でイギリス軍の激しい抵抗に遭いながらも着々とインパールへと迫っていた。
長年イギリスの植民地であったインドの人々は同じアジアの人間が白人に勝てるんだと自信がつきはじめ、町に日本軍が入場すると大声で応援する者さえいた。
「行け行け!!」
「デリーを目指せ!」
開戦前に全世界に流したニュースで『全アジア解放』という言葉があった。
少なくとも植民地にいる彼らはそれを真に受け止めている様子である。
だから日本軍はイギリス軍やそれに従うインド人以外にはそれほどの抵抗を受けずに進撃できた。そして今や小規模ながらインドではインド解放の為に軍隊が創設されていた。
インド国民軍である、日本軍支援の下重武装化が進んでいた。
また日本軍の進撃を助けるのは中国派印軍とタイ軍であった。
彼らは表立って戦闘には参加しなかったものの後方支援を行った。
米英に宣戦布告をされ既に国土を爆撃されている中国は鉄道をフルに活用して軍事物資を輸送、タイ軍も兵站、補給など重要な役割を担当している。
さらに進撃だけではなく、この頃になると日独双方共に、潜水艦による隠密輸送ではあるが人や物を交換しあっていた。
特に日本が手に入れたものとして非常に価値があるものはBMW 003の設計図である。
最もこれは作戦により手に入れたものである。
BMW社に在日ドイツ人のスパイを送り込みなんとか複製品を入手、伊号潜水艦にほかの物と一緒に乗っけて持ってきて、現在は日本本土に到着して海軍航空技術廠で開発が行われていた。
昭和19~20年までに戦力化すべく開発は急ピッチで行われている…っが難航中である。
しかしこのバレたら今すぐ日独開戦になりそうなこの作戦に成功して詳細設計図の複製を持ちかえれた事は後の戦局に大きく影響する。
ドイツも密かに日本から資料を奪い艦艇建造の参考資料として使う、これも後の戦局に影響する。
そんな事はさておき、昭和18年…この年をどう戦うかによって日本の運命は決まる。
陸軍は西へ、海軍もフィジー及びサモア攻略を目指す。
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