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「エルフリーナ・ヴィッツリー!学園に通っていないなど嘘を申すな!」
「王子殿下、これは本日終了した高等教育終了試験の結果です。この試験は学園に通っていない子女のみが受験できる試験です。お疑いであれば関係機関に確認をとっていただければ証明できます」
ペラリ、と証書を広げて見せるとそこには満点合格の文字が。
瞳がこぼれんばかりに驚いていたパウル王子がカーラを振り向く。
カーラも蒼白になって、なにやらぶつぶつ呟いている。
「ええ?なんで悪役令嬢が学園に通っていないの?」
「...カーラ?」
「じゃあ、私の制服に針を刺したのは誰?っていうか、教科書をトイレに突っ込んだり、靴に氷魔法かけたり...あれが悪役令嬢のせいじゃなかったら、一体誰が...?」
「カーラ、君は本当にエルフリーナ嬢に嫌がらせを受けたのか?」
肩をきつく揺さぶられてはっと目が覚めたようなカーラは、
「で、殿下、間違いありません!エルフリーナ・ヴィッツリーは悪役令嬢なんですから!」
エルフリーナは首をかしげる。
「ですが、私とカーラ嬢は今初めてお会いしたのです。どうやって嫌がらせをすることができるのでしょう?」
「~~~人を使ったのよ!あなたの取り巻きを使って私に嫌がらせを指示したんでしょう!」
周囲の人々がざわざわする。
「取り巻き、と申されても私は王都にお友達はおりません」
「~~~なんで侯爵令嬢のくせに取り巻きの一人もいないのよ!」
「ええ?そんなことで怒られる筋合いはないと思うんですが...」
「だいたい、見た目からして違い過ぎるのよ!エルフリーナの髪はドリル張りの縦ロールに真っ赤なドレスが定番でしょ!」
エルフリーナは思わず自分のさらりとした髪を撫でつつ着ている藍色に銀の刺繍が入ったのドレスを見下ろす。
「真っ直ぐだから縦ロールは無理だと思うし、真っ赤なドレスって王家に喧嘩売ってません?」
深紅は王家の色なのでたかが婚約者では着ることができない禁色だ。
「うるさい!うるさい!」
真っ赤になって怒っているカーラに、パウル王子も目が点になっている。
『じゃあ、そろそろ仕上げにしようかな?』
エルフリーナは悪役令嬢になることは絶対に回避したかった。
なぜなら、そんな難癖をつけられたらヴィッツリー侯爵家の恥になるからだ。
父は文字通り体を張って魔物から領民を守っているし、母は娘の将来に夢見勝ちなところはあるものの領主の妻としてきっちり治めている。
この家族を不名誉な目に合わせる訳にはいかない!
そして悪役令嬢の汚名を返上できたとしても、王子と結婚したいかと問われれば、答えは『お断り』一択だ。
なぜって? 婚約者が学園にいるかいないかも把握出来ていない性格は夫どころか未来の王としても支えられないからだ。
『侯爵家が王子の後ろ楯にならないとなれば、また継承権で荒れるかも知れないけど。でも王位に立つ器がない者がなってしまえばどのみち国民が困る。ここは潔くばっさりと』
そう思って王子が言い出した婚約破棄は受け入れようと口を開く。その時、涼やかな声が聞こえた。
「やあ、パウルが婚約破棄したと聞こえたが、真実かな?」
周りを取り囲んでいた人々が音もなく一本の道を開けていく。
「あなたは...」
「叔父上!」
立ち竦んだエルフリーナの前に着くと声の主は流れるような動作で片膝をつく。
「こんばんは、エルフリーナ嬢。王弟のレオンハルト・ルントシュテットです」
銀髪に深い藍色の瞳を細めて微笑んでいるのは、幼い頃から知っている従騎士のレオンハルトだ。
いつもの騎士服ではなく艶のある黒い夜会服に身を包み、真っ白なクラバットには琥珀のピンが光っている。
「王弟...?」
「叔父上、私はエルフリーナと婚約破棄などしていません!」
パウルが大声を出す。
はあ?なに言ってんだ、コイツ?とエルフリーナもカーラも一斉に振り返る。
レオンハルトはさも驚いたとばかりの表情を作ると
「おや、それでは聞きつけた人の耳が悪くなったのかな? 兄上は私より随分年上だからね」と含み笑いをする。
「人を年寄り扱いするな、レオンハルト」
仏頂面で後から現れたのはこの国の王、フランツ・ルントシュテットだった。
「ち、父上。今晩はお出にならないはずでは...」
あからさまに鬼の居ぬ間に好き勝手してやろうと言う魂胆が漏れちゃっている。
陛下は眉間の皺を深くしてため息をつく。
「パウル、王子であるお前が真実に基づかない言葉を吐いてはならぬ。一度口にした言葉はお前の命をかけて守らなければならぬ。王家の言葉とはそういう重みがあるのだ」
わなわなと震えるパウル。
『コイツ、レオンハルトが現れて自分の地位が揺らぐと察知してカーラを捨てにかかったな』
エルフリーナは呆れた。
そして陛下はエルフリーナを振り返ると
「エルフリーナ嬢、長い間王家が其の方とヴィッツリー家に迷惑をかけた。王妃たっての願いではあったが、愚息の様子では継続は難しいであろう。しかしこのように貶める行いは断じて許されるべきではない。王として謝罪する」
まさかの陛下から謝罪を受けて慌てるエルフリーナ。
「陛下、私が王子殿下に寄り添えなかったばかりに」
言葉を続けようとするも、ぱちぱちと手を叩く音で遮られてしまう。
レオンハルトが少し悪い顔で微笑んでいる。
「さすがは兄上です。王家の言葉は千金の重み、ですね。では、兄上にならい、私もその言葉に誓いましょう。エルフリーナ・ヴィッツリー嬢、どうかこの私と結婚して頂けませんか?」
「は...はい?」
ぱあっと笑顔になるレオンハルト。
「ああ!なんと言う僥倖!早速にお返事を頂けるとは!このレオンハルト、いついかなるときもエルフリーナ嬢の盾となり、剣となりましょう!」
「い...いえ!今のはい、は聞き直しただけで」
滑るように近づくとすいっと腰に手を回して耳元に唇を寄せ
「エルフリーナ様、騎士に二言は無し、ですよ」
バリトンボイスが鼓膜を震わせ、ぞくりとした痺れが首筋からお腹まで届く。
「レオンハルト、ち、近いわ!」
「いいえ、いつもの剣の修練の方が近いでしょう」
「ああああれは、切り結んでいるときで、こしっ腰なんて抱いてないでしょう!?」
薄いドレスの下に硬いコルセットを着ているが、先ほどから妖しく動く指がその覆われていない部分にちらちらと這っている。
『ぺしってしたい!ぺしって!』
頭が沸騰しそうなエルフリーナにレオンハルトがくつくつと忍び笑いを漏らす。
はあ、と陛下が呆れ顔でレオンハルトを睨む。
「全くお前は昔から気に入ったものを逃すことはついぞないな...」
はい?なんておっしゃいました?
レオンハルトはくるりとエルフリーナを腕に抱くと、陛下から隠すように距離をつくると
「陛下はお祝いを述べてくださったんだよ」
そう言ってエルフリーナの紺碧の髪に口付ける。
「きゃあああ!」
ホールの令嬢達の黄色い声が響く。
社交界に全く出なかった麗しの王弟が、婚約破棄された傷心の令嬢をその瞬間に奪い去った。まるで舞台を観るようで今夜集まった全ての貴族の目が集まっていた。
ホールの端には忘れ去られたパウル王子とその横っ面を叩いて足音も高らかに出ていくカーラの姿があったが、誰も関心を向けなかった。
エルフリーナは自分を抱えている男を仰ぎ見ると至極満足そうな顔をしている。周囲からの圧力に負けてひきつりながらも笑顔を見せるしかない。しかし、唇を頬に寄せてきたその瞬間を狙って長いドレスで隠れた踵で思い切り踏んでやった。