家族の姿
次の日、朝食の時にダイナンが嬉しそうに言った。
「チェリー。勉強ばかりでは面白くないだろう?今日はピクニックに行こう!」
ダイナンの方こそ、勉強と領主の仕事を覚えることで忙しいはずだ。
昨日もチェルシーを誘いに来てくれて、今日も一緒に出かけられるのだろうか。
チェルシーが不安に思っているところで、ソフィアがそこではないところに気が付いた。
「チェルシーのことをチェリーと呼ぶようにしたの?可愛らしい呼び方ね。私も……」
「姉さんは、チェリーと呼ばないでくれるかな。それは、俺限定の呼び方なんだ」
ソフィアが言い終わる間もなく、ダイナンが一蹴した。
「なんですって?限定なんてあるわけが無いわ」
突然の拒絶に、ムッとしたソフィアが言い返す。
「あるに決まっているだろう。俺が考えたんだ。俺以外には呼ばせない」
さらに、それにもダイナンが同じように言い返して。突然始まった姉弟喧嘩に、チェルシーは慌てる。
チェルシーの呼び方くらい、どう呼んでくれてもいい。ダイナンだけでなくソフィアにも呼ばれてもいいのだが、そう言うと、彼がきっと怒る。
「その独占欲、見苦しいわ」
「なんとでも。可愛い妹を独占したくて何が悪い」
どちらの味方も出来なくて、しかも、理由がチェルシーの取り合い。嬉しいのか困るのか、どうしたらいいのか分からない。
「チェルシー、大丈夫だ。そっちは放っておいて、デザートを食べよう」
エドワードがチェルシーに大きな苺を差し出してくる。
チェルシーは、この苺を初めて食べた時から大好きだ。
「今日は特に大きいものをチェルシーにあげような」
「いいの!?わあ。嬉しい。ありがとう。お父様」
エドワードは、ダイナンよりも忙しくて、食事の席でしか話ができない日が多い。
それなのに、彼はチェルシーの好きなものを覚えていて、こうして準備してくれたりするのだ。
「あ、チェリー。俺のも食べて良いぞ」
チェルシーの意識がそれた途端、ダイナンが喧嘩をやめる。ソフィアは呆れ顔で食事を再開した。
「今日は近くの公園に行こう。暖かくなって、花が綺麗だよ」
「ダイナン。お前はもう少し勉強をしろ」
「父上。勉学はメリハリが大切なのです。やる時は思い切り、休む時も思い切りです」
「お前が勉強を思い切りやっているのを見たことがない」
「短期集中型なので」
ぽんぽんと弾むように交わされる親子の会話。
「チェルシーは私と刺繍をするのよ」
そこに、ソフィアが参戦するのもいつものことだ。どうやら、呼び方はダイナンに譲ったようだ。
オルダマン侯爵家の食事は、いつも楽しい会話が飛び交う。
「姉上……!チェリーは頑張りすぎだ。なあ、俺と遊びたいだろう?」
「チェルシー、ダイナンを甘やかしてはいけない」
エドワードとダイナンがチェルシーのお皿に苺を入れながら言う。
そして、彼らは家族の会話に、チェルシーを自然と参加させてくれている。チェルシーが、しっかりと家族なのだと思えた。
オルダマン侯爵家で半年経つと、ソフィアに言われた。
「これ以上は、私が教えるよりも、きちんと家庭教師についた方がいいと思うの。チェルシーはどう思う?」
ソフィアに及第点を貰えたのだと、チェルシーはさらに勉強を頑張るようになった。
今まで、勉強などしたことが無かった。
物を買うときの計算と、看板に書かれている文字くらいは読めたけれど、それ以上の知識はなかった。
勉強は、最初は文字を覚えるところから。マナーは、言葉遣いを覚えるところから。
普通の貴族令嬢だったら、話し始めたらすぐに教わるようなことを、チェルシーは最初からやらなければいけなかった。
とても大変だった。ずっと座っている経験だって無かったのだ。
オルダマン侯爵家のみんなは、それを知っていたから、ゆっくりとチェルシーが慣れるまで見守ってくれた。
家庭教師に学ぶようになってからは、どんなことを教えてもらったのか、話をするようになった。
チェルシーが知ったことを話すたびに、彼らは嬉しそうにする。
チェルシーはたくさん話をして、褒められたかった。喜んでほしかった。
頑張りすぎると、ダイナンがやってきて、チェルシーを遊びに連れて行ってくれる。エドワードが好きなものを取り寄せてくれる。ソフィアが頭を撫でてくれる。
こんな生活ができるなんて、思ってなかった。
―― 一年経った。
ソフィアが隣国へ嫁ぐ。
チェルシーは、ソフィアが嫁ぐ国の言葉も勉強するようになっていた。
「お姉さま。チェルシー、たくさん勉強します。だから、お姉さまのところへ会いに行ってもいいですか?」
ソフィアが行ってしまう前日、チェルシーは大泣きしながら彼女に抱き付いていた。
この短い言葉を言う間も、しゃくりあげながら話すから、言葉も不明瞭だったはずだ。
「ふふっ。会いに来てくれるの?チェルシー。嬉しいわ。きっとよ?待っているわ」
折角一年間学んだ淑女教育を披露することもできないほど、チェルシーは寂しいと泣いた。
みっともなく、わあわあと泣いたけれど、ソフィアは幸せそうに「ありがとう」と微笑んでくれた。
ソフィアが嫁いで、四年がたった。
チェルシーがこの家に来て五年。彼女は十五歳になった。
ダイナンは、二十歳。成人して、本格的に領主補佐として働き始めている。
少年のような雰囲気は無くなり、さらに体の厚みが増してたくましくなった。
「チェリー。また本を読んでいるの?私と散歩したくない?」
「お兄様。お仕事はいいの?」
ダイナンは、さらに忙しくなったのに、時々、こうやってチェルシーを連れ出してくれる。
彼は、もうすぐ留学する。
領主補佐として働き始めて、まだまだ足りない部分があり、学ばなければならないことが明確になったそうだ。だから、領主として後を継ぐ前に、もっとたくさんのものを見てきたいと言うのだ。
すごい。
今でもたくさんの人に頼られる立場で、しっかりと仕事をしているように見えるのに、彼はもっと上を目指すのだ。
「チェリーにも息抜きの時間が必要だと思わないか?」
一人称が『俺』から『私』になったけれど、いたずらっ子のように笑う表情は、変わらない。
チェルシーは、ダイナンに誘われるがまま、彼の手を取り、庭へ向かう。
こうして一緒に歩けるのも、あと少し。
チェルシーも、ダイナンが留学に出た後に城に行くことが決まっている。
ずっとみんなと一緒にいられるとは思ってなかったけれど、考えていたよりもずっと短かった。みんな、ばらばらになってしまう。
チェルシーは、城で聖女としての教育を施された後、王太子の婚約者となるらしい。
何の冗談かと思った。
自分たちが、いらないと言って捨てたくせに。未だにチェルシーを『聖女』として見ていたなんて、笑えてくる。