お勉強
夕食の席は、チェルシーのために椅子を高くしてもらったので、ダイナンの膝の上には乗っていない。
卵の中からご飯が出てくるなんて、なんて素敵なんだろう。ソフィアが、これはオムライスと言うのだと教えてくれた。
これから、もっといろいろなことを知っていって欲しいとも。
食事をしながら、たくさん会話をした。料理の名前も教えてもらった。
食事中に話をするなんて下品だと言われて、食べ方も分からないのに怒られてばかりだった。
今まで食べていたものと、もしかしたら同じものもあったかもしれない。だけど、全然違う。とても美味しい。
チェルシーは、夕食もたくさん食べた。
オルダマン侯爵家でも、大きなお皿に盛られてくる形式は同じだったけれど、間にお話ができる。
お腹が張り裂けそうになってから、四角い見覚えのあるものが出てきた。
これは、嫌いなやつだ。
「お兄様、これは何?」
城で初めて食べた食事がこれだった。
「これ?肉だな」
ダイナンがお皿を見て言う。チェルシーは目を丸くした。
「これが、お肉!?だって、口に入れると、ドロッと溶けちゃうんだよ。口の中がねとねとして気持ち悪い」
「あら、チェルシーはフォアグラは嫌いなのね」
くすくす笑いながら、ソフィアは給仕係に合図をして、チェルシーと自分の物を取り替えさせる。
チェルシーの目の前に来たのは、野菜がたっぷり乗った魚だった。
「ダイエットはお休みか?」
ダイナンのからかう言葉に、ソフィアは睨み付けるだけで答えた。
「お姉さま、いいの?私がこっちを食べても」
「いいの!意地悪なダイナンなんか気にしないで。料理長ったら、バターも使わずに焼いてくれて……チェルシーにはきっと美味しいと思うわ」
ソフィアの言葉通り、とても美味しかった。
たくさんの野菜がみずみずしくて、口に入れるだけでぱりぱりと音がした。
オルダマン侯爵家での生活は、幸せがあふれていた。
オルダマン侯爵は、急な病で最愛の奥様を亡くしたばかりだそうだ。
喪に服して、社交をお休みしているところで、突然聖女となった農家の娘の後見を言いつけられた。
貴族たちからチェルシーを押し付けられてしまった不憫な方だ。
煩わしい存在を押し付けられたはずなのに、エドワードはチェルシーに優しかった。
最初の教師は、ソフィアだった。自由に、いつもの暮らしから少しずつ学んで行こうと、エドワードは言ってくれた。
ソフィアにマナーを教えてもらうようになってすぐに、チェルシーは、今まで、どうして我儘だと言われていたのか分かった。
「こんなの、という言い方はよくないわ。ただの物を指す言葉だけど、使い方によっては、嘲る言葉としても受け取られてしまうわ。思ったことを、省略せずに私に教えて?」
大きなお皿はもったいない。
口の中がべとべとする食べ物ばかり。気持ち悪い。
お皿の上に、食べてはいけないものも一緒に乗っているから、どれが食べ物か分からない。
見た目があまりに違うから、何を今食べているのか分からなくなる。
チェルシーには、たくさん理由があった。ありすぎたのだ。
だから、結論だけを伝えた。
「相手が良かれと思ってやっていることを否定するには、それだけの理由が欲しいわ。お腹がすいているだろうと思って、自分が美味しいと思っている食事を出したの。それなのに、『こんなの』呼ばわりされた挙句、理由も言わずに嫌だ、なんて。下手に出て理由を聞いてやる必要なんてないと思うわ」
――こんなにしてあげているのに。
その言葉は良く聞いた。
勝手にしているだけじゃないかと反発もした。
だけど、してあげる方の立場になったらどうなのだろう。
チェルシーが喜ぶだろうと、豪勢な食事を準備したのに、嫌だの一言で退けられてしまったのだ。
カーシルを思い出す。
最初は、優しかった。チェルシーを大切に扱おうとしてくれたのだと思う。
申し訳なくて項垂れていると、ソフィアはチェルシーの両頬を押さえて微笑む。
「チェルシーのその素直なところが素敵よ」
注意されても、すぐに別のところで褒めてくれる。
そうして、話し方を教わり、文字も、計算も、刺繍まで教えてもらった。
ソフィアは、毎日数時間、こうして勉強をしている。
勉強をしていると、時折、
「チェルシー。俺と遊ぼう!」
ダイナンが呼びに来てくれる。
勉強は疲れるような内容ではないし、疲れてもないけれど、ダイナンがやってきてくれるのは嬉しくてそわそわしてしまう。
チェルシーのそんな顔を見て、ソフィアはため息を吐く。
「ダイナン。あなたはきちんと勉強しているのでしょうね?」
「もちろんだよ」
少しだけ嫌味を言いながら、ソフィアは勉強を終わらせてチェルシーに自由時間をくれるのだ。
「チェルシー。では、また後でね」
「はい!」
ソフィアがチェルシーの頭を撫でて、部屋を出て行く。
ソフィアは、来年、隣国へ嫁ぐことが決まっている。その準備もあって忙しいのだ。
チェルシーは、学んだばかりの淑女の礼を披露した。
「お兄様、ようこそお越しくださいました」
カーテシーを取り、彼をソファーへと誘導する。
さっき、ソフィアに褒められたばかりの動きだ。
「……気に入らないな」
――褒められたばかりなのに。
ダイナンからは不評なようで悲しい。
「ごめんなさい。まだ、上手にできていないのですね」
「そうじゃない」
ダイナンは素早くチェルシーに近づいて、ひょいと抱き上げる。
ダイナンは同年代に比べて身長も高く鍛えている。十歳にしては小さなチェルシーを抱き上げるのは簡単だ。
最初の日に、チェルシーを抱きかかえておやつを食べたのが、余程抱き心地が良かったのか、ダイナンはいつも彼女を抱っこするのだ。
チェルシーは、体は小さいが十歳なので、抱っこは恥ずかしいような気がする。でも、同じくらい、抱っこが嬉しい気持ちもある。
兄弟姉妹が多くて、大きくなってから抱きかかえられた記憶はない。赤ん坊のころは抱っこしてもらっていたのだろうが、一人で歩ける子供を抱っこするほど時間に余裕はなかった。
「とてもきれいにカーテシーできたね。だけど、チェルシーにそうされると、よそよそしくて寂しいから、俺相手にはやめようか」
ダイナンはそう言いながら、チェルシーを縦抱っこにして、庭に向かう。
「寂しいですか」
「敬語も無し。寂しいね。これからもっと仲良くなるのに、後退している気分になるだろう?」
丁寧な話し方も教えてもらったのに、それを彼相手に披露することはなさそうだ。
寂しいと言われるとは思わなかった。
ダイナンが、チェルシーに聖女様とよびかけて、丁寧に接されたら……そうか、寂しいと思う。
「そうだ。もっと仲良くなるんだから、俺だけの呼び方が必要だ」
庭にある四阿に辿り着いて、ベンチにそっと下される。
ひょいと抱えあげたのに、下ろすのはとても慎重にされて、くすぐったい。
「お兄様だけの呼び方ですか?」
「そう。チェルシーだから……チェリー。うん、チェリーにしよう!」
愛称で呼ばれたことはない。そんな可愛い呼び方をされたことはないから、顔が熱くなる。
ダイナンは、とてもいい思い付きだと、ニコニコと笑った。