一緒に帰ろう、チェリー
隣国との交渉はスムーズにいっている。
ただ、向こうの交渉団が相手しているのは、ダイナンだけではないらしく、会議が立て続けには持たれない。さっさと済ませて帰りたいが、こんなことで、相手側に『譲ってやった』という意識を持たれると困る。
ダイナンは時々、「私たちは待たされています」とアピールしながら、逆に申し訳ないと思わせることにしている。
我が国は、現在非常に食糧事情がいい。主にオルダマン侯爵領が豊作続きであるためだ。
本来ならば綺麗な実を育てにくい苺も豊作で、大量に輸出出来る。
ただ、あまり大量に売れば、値崩れが起こる。薄利多売は、農家にとって負担になる。収穫量が増えれば、それに伴う作業量は増大する。負担は多いのに、収益は少ししか増えないというのは、人員を雇うこともできずに、つぶれていく可能性もあるのだ。
隣国は、我が国が豊作なのを知って、国内で値崩れさせるよりは、引き取ってやろうという大きな態度で来た。
気持ちは分からないでもないが、却下だ。
売らないなら売らないで、加工技術を高めて、さらに付加価値をつけることもできる。
別に買ってくれなくても大丈夫ですよ?というスタンスを取れば、向こうは欲しいのだからあわて始める。
こちらの言い値で流通させることになるだろう。
あと少しで交渉は終わる。
そんなときに、来客を伝えられた。
――こんなところに?
ダイナンがいぶかしがりながら応接室に行くと、エドワードがいた。
「父上?こんなところまで来て、何をなさっていらっしゃる?」
息子の働きぶりが見たいなどという人間でないことは知っている。心配して手伝いに来るような人間でないことも。
「お前……ずっとここにいたか?」
「そうですね。のんびりと」
会議が少ないので、随分と暇な時間を過ごさせてもらっている。
チェルシーがいれば、いくらでものんびりしたいが、ここでは早く帰りたいので、いい加減うんざりするくらいにのんびりしている。
ダイナンが答えた途端、エドワードが舌打ちして、連れてきていた侍従にすぐに連絡を取るように伝えた。
「侯爵家をだますようなことまでするとはな」
「チェリーは?」
エドワードの態度に、ダイナンはチェルシーが狙われたことをすぐに知る。
エドワードにしては珍しく、少しきまずそうにダイナンに「すまない」と謝った。
「お前が行方不明だという連絡を受けて、チェルシーに留守を任せて私だけで来た。ここまでするなら、リドルやアナを牢に入れると脅して、チェルシーを城に連れて行きそうだな」
ダイナンは、すぐに走り出して、自分の部屋に向かう。コートを羽織って目の前にあるだけの金を雑に内ポケットに突っ込む。
ありったけの資料を机の上に出して、追いかけてきたエドワードに示す。
「あとは、これにサインをもらうだけです。では!」
「では、じゃない!待て!!」
風のように駆けて帰ろうとする息子の腕をどうにか掴んでエドワードは叫ぶ。
「父上は、交渉を終わらせてから帰ってきてください。私はチェリーが待っているので帰ります」
城に連れていかれたなんて、許せるはずがない。
長年の想いをようやく伝えることが出来て、婚約者になったばかりだ。本当だったら離れることも嫌だったというのに!
言っていて、ふと思い出す。
クローゼットを開けて、中をエドワードに示す。
「これらは、チェリーへのお土産です。私は騎馬で帰るので、父上は馬車で大切に持って帰ってきてください」
「……ぶれないな。だから、待て。チェルシーが聖女であるとうやむやなままじゃ、これから先も狙われる。この際、はっきりさせる」
クローゼットの中で積みあがった箱に呆れた目を向けながら、エドワードはため息を吐く。
ダイナンもそれには同感だったのか、すぐさま走り出そうとしていた体を止める。
「チェルシーは城に連れて行かれても、危険はないだろう。聖女だと盛り上がっている今、それを確かめようとしているだけだ」
今回、無理矢理取り戻しても、また同じことが繰り返される。
チェルシーの力が重要なものだと知られる限りずっと。
王家だけでなく、他国からも狙われるかもしれない。
だったら、チェルシーの力を思い切り公表するべきだ。
「チェルシーの、目に見える力は、お前の傍でないと発動しない」
そもそも、チェルシーが奇跡を感じるほどのスピードで花を咲かせたことなどなかったのだ。
あんな奇跡を起こしたのは、全て彼女がダイナンを愛しているからだ。そのダイナンに愛を囁かれて、暴走するほどの幸福感を感じた。
そんなことは、オルダマン侯爵家以外では無理なのだと、世界中に知らしめなくてはならない。
誘拐するだけでは、この奇跡の力は手に入らないのだと分からせなければ、チェルシーを誘拐しようとする人間は後を絶たないだろう。
ダイナンは、エドワードの言葉に頬を緩ませる。にやけていると言って差し支えない表情だ。
エドワードは無性に息子の頭をはたきたい衝動にかられたが、頑張って耐えた。
「チェリーは、私が行方不明だと思って不安になっているのでは?」
当然だろう。エドワードはこちらの方が危険だと判断してチェルシーを王都に置いてきた。
敷地内からチェルシーは出ないだろうし、優秀な使用人たちが多くいる屋敷の方が、通常ならば安全なはずだった。
ダイナンが行方不明だと聞いて、毎日泣いているかもしれない。
――ああ、その様子を間近で見たい。俺を恋しがって泣いているチェリー。
「そうだろうが……その、にやけた顔はいつになったら戻るんだ」
エドワードが呆れた視線を向けてくる。
どんな表情をしていたか、鏡を見なくても分かる。チェルシーのことを考えると、通常では見せない表情を浮かべるらしいのだ。普段から笑みを絶やしていないと思うのだが、それとは種類が違うと友人が言っていた。
「リドルにダイナンが見つかったと連絡を入れた。チェルシーがいれば、すぐに伝わるだろう。城に連れて行かれていたとしても、伝えてもらう」
ただし、伝わらない可能性もある。
ダイナンは頷く。
王は、聖女を欲している。
チェルシーに力のある無いはあまり関係ない。民衆から受けがいい女性を王族に引き入れたいのだ。
農村から突如現れた聖女。その女性が王太子と恋に落ちて結婚する。
オルダマン侯爵が、今や大きな力を持ちすぎている。
そこに、さらに民衆から人気のある聖女を迎え入れられたくはないのだろう。
有力な貴族との婚姻も考えたようだが、この間の奇跡のせいで、チェルシーの噂だけが広がって行ってしまった。
「私がいない間に、口説くつもりでしょうからね」
ダイナンがいなくなり、その不安な心にサミュエルが寄り添う。
そこに、恋が生まれるという寸法……。
「――――っっざっけんなっ!!」
容易に想像できてしまう幼稚な計画。
ただ、幼稚で、単純であるのに、ダイナンは遠方の地にいるため、すぐに対処ができない。
「汚い言葉を使うな。まずは、外から文句を言われないように、仕事を完璧に終わらせて来い」
チェルシーを口説くなんてことをやらかしてるやつを殴りたい。
ダイナンはすぐさま、交渉の場を無理矢理ごり押しして入れさせ、終わらせた。
どうやら、ここでも自国の王が関わっていたようで、交渉相手を増やしたのは、そもそもこちらの都合だと相手は思っていたようだ。
うまくいかない日程の中で、ダイナンが拘束されている間に、彼が失踪した情報だけを、王都へ送る。
ダイナンとエドワードは、すぐに出立した。
オルダマン侯爵家の屋敷に、通常ならば二週間はかけるところを半分にして到着したが、そこにはチェルシーはいなかった。
王太子に連れて行かれたという。
予想通りだが、はらわたが煮えくり返る。
「猪口才な」
「……お前のその言葉遣いは、留学のせいか?」
城に、今回の交渉の報告に赴く。
「我が婚約者が城に滞在していると聞いてね。会いたいと思うのだが」
「確認してまいります」
確認は、部署をいくつ周れば終わるのか。結局、最初の場所に戻ってきた。
侯爵令息であるダイナンは、こんな扱いをされたことがない。
さすがに笑顔を消して目の前の文官を見つめるが、彼は顔を青くするだけで、もう一度同じように他部署の名前を告げるだけ。
「では、サミュエル殿下にはお会いできますか?」
直接交渉しようとサミュエルに会うことにした。
高位貴族と王族。年も近いので、幼馴染といえるほどには面識がある。
幼いころから知っているだけで、仲良くはなかったが。
その日は忙しくて無理なので、後日日程調整をして連絡を入れると言われた。
そうして、三日たって、ようやく連絡が来たかと思ったら、一週間後なら時間が取れると。完全に馬鹿にされているようだ。
そんな時、貴族から噂を聞いた。
曰く、公爵令嬢と聖女が、植物を育てる対決をしているらしい。勝った方が王太子妃になれるのだそうだ。
まず、前提条件がおかしい。
チェルシーがそんな対決をしても、何も得るものがないではないか王太子妃になりたいはずがない。
そんな噂にイライラしつつ、もしかしたらチェルシーに会えるかもしれないと、花壇の傍で待機してみたけれど、チェルシーは全く姿を現さない。
世話をする気がない。
彼女の花壇は、しおれていっている。
チェルシーがいる場所で、植物がこんな状態になること自体がおかしい。
――ここから出たいのか。
その花の様子だけで分かってしまう。育てる気どころか、チェルシーは育ってほしくないと考えているのだ。
「大丈夫。一緒に帰ろう、チェリー」
花壇を眺めて、ダイナンは囁いた。




