チェリーが笑うと(物理的に)花が咲くんだ
「では、我が息子、ダイナンと結婚して、オルダマン侯爵家をしっかりと継いでいってくれるでしょう」
「やっとか!」
エドワードが言い終わらないうちに、木立の影からダイナンが飛び出して来た。
「おい。早い」
「ああ、チェリー!こんなに泣いて。かわいそうに。ほら、おいで」
変わらないダイナンの姿がそこにあった。
彼は、チェルシーに走り寄ると、急いで目元にハンカチをあてて優しくふき取りつつ、腰を抱いて引き寄せた。
「…………お兄様?」
チェルシーはされるがままになって、間近に見る久しぶりのダイナンを呆然と見上げる。
「そうだよ。ただいま、チェリー」
「おにいさま」
震える声で彼を呼んで、震える手を伸ばした。
ダイナンは嬉しそうに微笑んで、チェルシーの手を取り、頬に押し付けてくれる。
あたたかい。
いる。ダイナンが、ここに、いる。
「ようやく会えた。寂しかったよ」
そんなの、チェルシーのほうがずっと寂しかった。
のどが引きつれて声が出ない。
胸が熱くて全身が震えて、一人で立っていられない。
チェルシーは人前だということも忘れて、ダイナンに抱き付いた。
寂しかった。不安だった。心配した。
力が入らない腕を、必死でダイナンの体に巻き付けた。
ダイナンは、ただくすくす笑うだけだ。どこも痛がったりしないし、チェルシーを抱きとめた体がよろめいたりもしない。
「可愛いチェリー。一緒に帰ろう」
背中を撫でられ、不安に思っていた気持ちが完全に消えた。
あとは、帰ることが出来る。
「はい」
チェルシーは嬉しくて嬉しくて、ふんわりと笑った。
それに呼応するように、チェルシーの周りが華やかに彩られた。
彼女を中心に、花の絨毯が波のように広がった。
周囲に驚愕の空気が流れるが、それに気が付かず、チェルシーは一人幸せそうに微笑んでいる。
ダイナンは、チェルシーの腰を抱いて、周囲へと視線を向ける。
彼らは一様に城の植物の様子に目を丸くし、この現象を引きおこしたであろう人物に目をむけていた。
「チェルシーが、幸せだと微笑むと、花が咲きます」
ダイナンが、まるで事実かの如く、チェルシーの力について話す。
チェルシーは目を瞬かせて、彼を見上げるだけだ。
自分は、今、聖女ではないと判断されたばかりだ。
「……彼女が、植物を枯らしかけたのを見るのは初めてです。こんなことがあるなんて、信じられない。チェルシーは、植物を愛しているから」
ダイナンが見る先の花壇は、先ほどと変化はない。チェルシーのものだと示された花壇には、茎を細くした植物がしおれているだけだ。
花の絨毯は、あくまでもチェルシーの周囲にとどまっている。
「城での生活は、彼女が幸せを全く感じなかったということ。彼女の力が、城には決して向けられなかった。城は、侯爵令嬢を虐げたのか」
「不敬であるぞ!」
サミュエルが叫ぶ。
しかし、他の貴族は、どう判断していいのか分からなくて、何も言わずに固まったままだ。
「少しだけでも愛されれば、オルダマン侯爵家の庭園のように花が咲き乱れたというのに」
チェルシーはダイナンの顔を見上げたまま、誰よりも目を丸くしている。
ダイナンが見下ろして目を合わせると、彼女は『そんな力はない』と、ふるふると首を横に振る。
「信じられない者は信じなくても構わない」
当事者が信じていないことに、ダイナンは苦笑いを浮かべながら、そっとチェルシーの頬に唇を寄せて、優しくキスをする。
「えっ?」
突然、公衆の面前でされた親密な行動に、さらに目が大きく見開かれた。
ダイナンは、そんなチェルシーを愛おしげに見つめ、彼女にしか聞こえない声量で囁く。
「可愛いチェリー。誰よりも愛しているよ」
彼女は真っ赤に染まる。
そうして、同時に花吹雪が巻き起こる。
花の絨毯は見る限りの景色を一気に走り抜け、花壇はどこもかしこも満開。エメラルドの花壇だとか、チェルシーの花壇だとか、区別はない。
全てが、鮮やかに花開いた。
ダイナンは、満足げに微笑んで、周囲の人間を見渡す。
周囲は、突然舞い上がる花びらに見惚れ、その美しさに涙を流す者もいた。
ああ、これが民衆が噂をしていたものだと、誰もが理解した。こんな美しい景色を、言葉で等表現できるはずがない。
――今、彼らは奇跡を見た。それは、『聖女』の存在。
「彼女を笑うことすらさせなかった城に、これ以上、彼女を置いておくことは出来ない。ここでは、彼女は花を枯らしてしまうかもしれない」
ダイナンは、胸に手を当てて、苦しそうな表情を見せる。
普段、表情を変えない彼が苦しそうにしてみせることで、チェルシーの辛かったであろう境遇が際立つ。
明確な力を示して見せた彼女が、枯らしてしまいそうだった植物たち。
チェルシーが、城を嫌がり、花を咲かせようとはしなかった証明だ。
「彼女が幸せを感じる限り、この国は栄えるでしょう。そして、逆ならば、」
ダイナンは、敢えてその先を言わなかった。
誰もがその先の言葉を自分なりの言葉をあてはめる。
王もサミュエルも何も言えなかった。
チェルシーは周囲を見渡し、これが自分の力だと言われても信じられなかった。
だって、こんなふうになったことはない。
信じられないけれど。
「チェリー」
嬉しくてたまらないと笑顔を浮かべて、手を差し出してくれる彼がいるから、チェルシーは微笑む。
「帰りたい」
チェルシーが呟くと、そこにいる全員が馬車置き場への道を示し、促してくれる。
「私もいるんだからな。置いて帰ろうとするなよ」
エドワードも後ろから追いかけてきて、チェルシーの隣に並ぶ。
「え、婚約者との久々の再会なのに、一緒の馬車で帰るつもりですか?」
「私とも久々の再会だ。親子の感動の再会だろう」
馬車の座席でも、どちらがチェルシーの隣に座るかという話だけでもめた。
「私は久々の再会なんですよ!」
「私だってそうだ。お前、私がどれだけ苦労したか知らないな?」
広い馬車の中、大きな男性二人に挟まれて狭苦しく座るチェルシーは、終始、笑いっぱなしだった。
城からの帰り、馬車が通る道は、花が咲き乱れた。
民衆は、聖女様が戻ってきてくれたと感動の涙を流した。
王家は、ようやく得難い聖女を自ら手放したことに気が付く。
ダイナンが、友人たちに「チェリーが笑うと(物理的に)花が咲くんだ」と幸せそうに微笑んで言う。
その後に付け加えられる「もちろん、チェリーが一番美しいが」などという惚気は聞き流されつつ、噂は流れて行く。
聖女は、愛し慈しまなければ、無意識でしか振るわないその力を使うことは出来ないのだと、国民は知ってしまった。
オルダマン侯爵邸の庭園は季節を問わずに美しい花が咲き乱れている。
聖女が城では笑うことさえできなかったのだと言われているも同義だ。
聖女の力を否定し、さらに自分がその地位に就こうと画策したエメラルドは、明確に何かの悪事を働いたわけではないので、公式には何も罰せられることはなかった。
ただし、聖女を追い落とそうとした事実が、彼女から周囲の人間を遠ざけた。
それはもちろん、サミュエルも同じだ。
あれだけ毎日一緒にいながら、チェルシーは一度も微笑まなかったのだ。
王は、サミュエルとエメラルドを結婚させ、臣籍降下させることにした。貴族の籍はあるが、実質、貴族からの追放と同義だった。




