なんてひどい
「チェルシー」
懐かしい声で呼ばれて、バッと振り返った。
エドワードが穏やかに微笑んで、チェルシーの傍まで歩いてきた。
「お……お父、様……」
ダイナンを迎えに行ったはず。エドワードは一人だった。
「そんなに辛そうな顔をして。どうした?城での生活はやはり辛いか?」
「お父様。お兄様は?お兄様は、無事なの?」
エドワードは目を丸くした後、ギュッと苦しそうな顔をした。
「そんなことも教えてもらえなかったのか」
呟いた後、チェルシーの表情に気が付いて、慌てて彼女の肩を抱き寄せ、宥めるように撫でた。
「無事だよ。何もなかった。行方不明というのが、誤報だった。私が到着したら、あっけらかんと何をしに来たのかと呑気に出てきたよ」
チェルシーの目から、堪えきれなかった涙が零れ落ちていく。
「ダイナンのことが分かってすぐに、チェルシーに連絡をしたのだが、受け取れていなかったんだね。昨日、二人で戻ってきたばかりだ」
「お兄様……無事」
気持ちが軽くなっているのに、どこかに不安がつきまとう。
では、何故ここにダイナンはいないのだろう。
エドワードの言葉が信じられない。彼はきっと、チェルシーのためならば、どんな嘘でも吐く。
エドワードの言葉が本当だと、今すぐ確かめたいのに、ダイナンがいない。
「どこにいらっしゃるの?会いたいの。元気に……」
チェルシーがエドワードの服を掴んで縋るように見上げる。
エドワードは辛そうな表情を浮かべたままだ。
その表情にじわじわと不安が増していく。
「オルダマン侯爵令嬢様」
チェルシーの様子を全く気にせずに、エメラルドが声をかけてくる。
彼女はグリーンのドレスにレースで花を模した飾りを溢れんばかりにつけたドレスを着ている。本物よりも一回り大きくなったその姿は、満開の花壇を表しているのだろうか。
「ふふ。花壇の様子を、見てくださいまして?」
彼女の周りには、色とりどりのドレスを着た令嬢が付き従っている。
少し離れたところに、無表情のままサミュエルもいる。
「――ええ。素晴らしい」
チェルシーが声を発さないので、代わりにエドワードが答えた。
チェルシーの落ち込んだ様子に、さらに笑みを深めたエメラルドは、首を傾げてみせる。
「私の方が美しく花を咲かせましたわ。聖女様?これで、あなたに力はないのだと証明されましたわ」
エメラルドと共に花壇に花を植えることになってから、ここは注目の的だった。エメラルド自身が噂を広めたのもあるし、人から人へと伝わり、ほとんど枯れかけた花壇の花がチェルシーが育てているものだと、城にいる人間、全員が知っていた。
今、エメラルドがそう言わずとも、周知の事実だ。
「聖女でないのなら、何故、あなたはここにいるの?農村へ帰りなさい」
チェルシーはぼんやりと周囲の人たちを眺めていた。気が付けば、随分とたくさんの人に囲まれていた。
チェルシーは掴んでいたエドワードの服から手を離して、ゆっくりと頷こうと……
「お待ちください。チェルシーは我が娘です」
エドワードが彼女の腕を引いて背後にかばう。
まだ娘だと言ってくれるエドワードに、チェルシーは震える。
嬉しいけれど、怖い。
もしも……もしも、ダイナンが取り返しのつかないことになっていたとしたら、それはチェルシーのせいだ。
大切な息子を不幸に追いやった娘など、必要だろうか。
「チェルシーは、聖女ではありませんか?」
「花壇の様子がお見えになりませんか?明白な結果ですわ」
エドワードがチェルシーの味方をすることに不満げに、エメラルドが花壇を指し示す。
エドワードは花壇をちらりと見て、軽く息を吐く。
「なんてひどい……」
エドワードの大きなため息に、チェルシーは全身を震わせた。
期待してくれていたのに、微々たる力さえも発揮できなかった。
一歩エドワードから離れたチェルシーは、すぐに腕を掴まれて、同じ場所に立たされる。
彼は一瞬だけこちらを見て、耳元でさっと囁いた。
「チェルシー、もう少し我慢してくれ。……そうして、できるなら、泣き止んでくれ。ダイナンが我慢できずに飛び出してくる」
――ダイナンが飛び出してくる?
ダイナンがここに現れてはいけないような言い方に、チェルシーは首を傾げる。
ここにダイナンはいられないのではなく、わざと、いない?
エドワードは、チェルシーの肩を抱き、周りで見学をしている貴族にも聞こえるように声を張り上げた。
「ならば、チェルシーは聖女でなくてもいい。我が養女として、育てます」
聖女でなくても、チェルシーはオルダマン侯爵家にいてもいい。
嬉しいけれど、どうしてと、心が叫び始める。
ダイナンは?ダイナンのことは誰も話題にしない。どうして?いないものとして扱われているようで、不安が募る。
「チェルシー・オルダマンは、我が娘です。どなたも、異論ございませんか?」
エドワードは胸を張って、周囲を見回した。
エメラルドが、目の前で呆れたというようにため息を吐いた。
「よろしいですわ。オルダマン侯爵様が慈善事業として、その農民の娘を引き取られるだけの事。誰も異議など申し立てないでしょう」
エメラルドが後ろへ視線を向けると、そこには彼女によく似た金髪碧眼の紳士が立っていた。
「そうですね。卿は慈悲深くていらっしゃる」
エメラルドの父、ブレイズフォート公爵だ。美男子だが、その顔に浮かべる表情は、こちらを馬鹿にする笑み。
「陛下。殿下の婚約者は我が娘がおります。このただの農民の娘は、お返ししましょう」
いつからいたのか、サミュエルの後ろに、王の姿もあった。
「そうだな。その娘は、聖女ではなかった」
多くの貴族の中で、王が口にした。
チェルシーがこの先聖女と呼ばれることはないだろう。
エドワードはそれでいいのだろうか。チェルシーにできることなど何もないのに。
不安気に見上げるチェルシーに柔らかな笑みを返して、エドワードはもう一度声をあげる。
「では、我が息子、ダイナンと結婚して、オルダマン侯爵家をしっかりと継いでいってくれるでしょう」




