花は咲かない
次の日も、相変わらずサミュエルはチェルシーの元にやってきて、一杯だけお茶を飲んでいく。
「昨日、エメラルド様がお見えになりました」
「ああ。聞いている」
珍しくチェルシーが話しかけると、サミュエルの眉間にしわが寄った。
あ、これは面倒くさいと思っているなと分かる。
「……殿下を取り合って、女同士の戦いとかではないですよ?彼女が、自分の婚約者だと仰っていましたが」
一応、勘違いされては嫌なので言ってみるが、何の返事もなかった。まさか、チェルシーに婚約者がいることを忘れていないだろうか。
「エメラルドは幼いころからの婚約者だからな。政略で決まっていたことだから、お互いに別に恋愛感情は無かったが、結婚は決まっていたな」
あっさりした返事に、「なるほど」と頷こうとして固まる。
幼いころからの、婚約者?
「え……婚約、って、正式なものですか?」
「もちろんだ。あと数年で結婚だというところで、聖女が現れたから、話し合いで婚約解消となった」
チェルシーが王都に出てきたのは、十歳の時だ。
サミュエルと同じ年だというエメラルドは、そのとき、十四歳。婚約者として過ごしてきた男性が、いきなりあったことも無い庶民の婚約者になる。
「ブレイズフォート公爵令嬢様には何か……」
「別に何もない。王家からは、迷惑をかけた慰謝料が支払われている。エメラルドに瑕疵があるわけでもないし、彼女は普通に結婚相手を探していたよ」
サミュエルは本当にそう思っているのだろう。『別に何もない』と。
結婚するつもりだった相手が、突然いなくなる。
サミュエルを全く何とも思っていなかったチェルシーでさえ、衝撃だった。それまでの勉強が全て無駄になった瞬間だ。
エメラルドは、未来の王妃としての勉強もさせられたのではないだろうか。
「しかし、エメラルドと婚約解消して、現れた女が、ぎゃあぎゃあ叫ぶ我儘娘だったから、これだったらエメラルドの方が良かったと思っていた」
チェルシーが城に来たばかりの頃はそうだろう。オルダマン侯爵家で淑女教育受ける前はそうだった。
「淑女教育を受けた美しい女性から、ピーピーと暴れるスズメに婚約者が代わった私の衝撃が分かるだろう。オルダマン侯爵家で教育を受けたとは聞いたが、結局何も変わらず我儘三昧だったそうじゃないか。あまり関わりたくなかった」
オルダマン侯爵家で教育を受けた後は、家族以外に我儘など言った覚えがない。
城では、静かに従順に過ごしていた。
どうせ、チェルシーをよく思わない人が、適当なことを言っただけだ。
チェルシーは何も反論しなかった。
そうする必要がない。彼に理解してもらいたいと思わない。
「結婚しなければいけないのは分かっていたのだが、別に重用するような力でもなく、重要視するようなものではないと判断した」
――この男の言葉には、”勝手に”がつく。
勝手に想像して、勝手に蔑んで、勝手に判断した。
他の情報など何も考慮せず、自分の思い込みで判断している。
それに気が付いてもいない傲慢な王子サマ。
王太子は、今のチェルシーならば、結婚相手はエメラルドでもどちらでもいいと話す。
エメラルドを妊娠させるようなことをしておいて、よく言えるものだと軽蔑する。
「だが、陛下がお前と結婚するように言うから、それならば、陛下に従う」
王が、何を思ってエメラルドではなくチェルシーを王太子の婚約者にしようとしているのかは知らない。
婚約を認めたのは、なんだったのだ。
サミュエルとの婚約に従わなければならないのだと思いそうになるたびに、怖くなる。
ダイナンは、無事だろうか。
ダイナンとの婚約を一度は認めたのは、彼がいなくなるように画策したから?
サミュエルに婚約破棄した過去があるから、チェルシーにも婚約破棄の過去を作ろうとしている?
王族の結婚だというのに、こんなにころころ相手が代わるのはおかしいだろう。
もう、放っておいて欲しい。サミュエルとエメラルドで結婚すればいいじゃないか。構わないで欲しいのに。
チェルシーは、サミュエルが会いに来るたびにふさぎ込んでいった。
こうして、チェルシーが嫌だと言えば、ダイナンの身に危険が降りかかっているのかもしれない。それとも、逆だろうか。チェルシーを説得する最終手段として、ダイナンは留めているのか。
チェルシーは、ダイナンが行方不明になったのは、王の命令だろうと、ほぼ確信していた。
侯爵家令息がいなくなったというのに、城が静かすぎる。
仮にもオルダマン侯爵令嬢に、ダイナンとエドワードの消息を教えようとしない。
サミュエルの言葉の端々に、チェルシーと結婚するのが当たり前だと考えていることが分かる。それに伴う障害……チェルシーの婚約者のことは、いないも同然だと考えている。
王族が、何故、侯爵家令息の行方不明を気に留めずにいられるのか。
知っているから?
彼が、どこにいるのか。
チェルシーのものだとされた花壇は、花は咲かなかった。
それどころか、苗を植えた当初よりも茎は細く、葉は黄色っぽくなってしまっている。対して、エメラルドの育てたとされる花壇は、すでに花が満開だ。彼女の花壇は、苗を植えた次の日からもう花が咲いている。
チェルシーは、静かに花壇を眺めていた。
花なんて、咲かなかったらいい。
ダイナンを危険にさらしたのが自分の存在ならば、チェルシーは聖女じゃない方がいい。
チェルシーは、ダイナンがいないならば、王都から消えようと思っていた。
エメラルドが、結果をみんなに見てもらおうと、たくさんの人に声をかけていた。
チェルシーは、華やかに彩られた庭園の中で、色のない花壇を、じっと見つめていた。
エメラルドが、着飾った姿で現れたのも、その周りにたくさんの貴族が集まっているのも、チェルシーは見えているけれど、視界に入っていない。
「……ごめんなさい」
育たなければいいなんて思ってごめんなさい。
綺麗な花を咲かせるはずだったのに、こんなふうになってしまって、ごめんね。
――もう、花を育てられない。




