聖女サマ
またも、城での生活が始まってしまった。
待遇は前回よりもすごくよくなった。美味しい料理と暖かい布団、大きな浴場。
どれもこれも、うっとりするほど素晴らしかった。
しかし、対人間は、数段、悪くなっている。
無視は当たり前。食事の時に水がない、スプーンがないなどのプチ嫌がらせ。聞えよがしの悪口。
使用人の皆様、全員が私のことを嫌いなことは分かった。
「あ~あ、ついてない。なんで、偽聖女の世話係になんか」
「聖女サマ、でしょ?なんか、自分の力は強いって言って、王太子殿下の婚約者に無理矢理なったらしいじゃない」
自分の力を強いと思ったことはない。むしろ、ほとんど役に立たない微弱なものだと言っている。
さらに言えば、
「私は、ダイナン・オルダマンの婚約者です」
サミュエルの婚約者では断じてない。
陰口にわざわざ口答えをしてしまう。聞こえなかったふりをしていればいいのに、どうしても訂正を入れたくなるのだ。
チェルシーは、聖女の力が強いと自分で言いふらし、無理矢理、王太子の婚約者に納まったと思われている。
一度は退けられ城から追い出されたが、今度は力ずくで彼の婚約者に割り込んだ――というのが現在の定説らしい。
陰口に答えられたせいで、チェルシーを見ながら侍女たちは部屋から出て行く。
だけど、出て行った先ではきっと、『聖女サマに怒られた~』と泣く真似をしていることだろう。
どこに行っても、自分の悪口を言っている人ばかりで、居場所がない。
部屋に閉じこもっていても、侍女はいるし、サミュエルは来る。
「座れ」
相変わらず、特に話すでもなく、一時間ほどソファーに座って帰っていく。
迷惑そうにされるのに、帰りたいと言っても帰してもらえない。
「庭のあの樹の花を咲かせてくれ」
しかも、来るたびに出来るわけない要求をしてくる。
「私にはそんなに強い力はありません。ご存知でしょう?」
返す言葉は、いつも同じ。だが、サミュエルは毎回同じように聞いてくる。
チェルシーに隠している力があるはずだと考えている人たちがいるらしい。
どこで何を聞いてそうなったのかさっぱりだ。チェルシーに目をかけるほどの力はない。
「隠してないか?」
「力をですか?力がないせいで陰口叩かれているのに?」
特に期待していたわけでもないのだろう。サミュエルは黙って紅茶に口をつける。
城に来て一週間がたった。
エドワードはダイナンに会えただろうか。ダイナンは元気なのだろうか。
知らせが受け取りたいのに、チェルシーは外部と連絡が取れない。チェルシーから、元気なので安心して欲しいという旨の手紙をアナたちあてに出した。だが、それが届いているかどうかも分からない。
毎日毎日、この部屋で起きて寝て、たまにやってくるサミュエルの相手をする。
城には書籍が多いので、この機会に読みつくしてやろうというほど本は読んでいる。
その読書の合間のサミュエルの相手が煩わしいのだ。
「毎日いらっしゃいますが、様子は、毎日は変わりません。一週間に一度程度にされては?」
用事が無ければ来るなと暗に伝えたつもりだった。
「陛下から命令されていて、義務なのだ。嫌でも我慢しろ」
「帰りたいです」
「……前は、要望も何も言わなかったくせに」
少し仲良く(?)なっているかもしれない。
彼は、嫌な場合の表情は豊かだ。笑ったり嬉しそうにしたりはないのに、嫌だ飽きた不愉快という表情を、チェルシーにも読み取れるようになった。
それが嬉しいかと言われれば、全くそんなことはないのだが。
不満げなサミュエルに、チェルシーは『聞かなかっただけでしょう』という言葉は言わずに、ただ微笑みを返した。
そんな会話をした次の日、サミュエルではない来客があった。
エメラルド・ブレイズフォート公爵令嬢。生まれつきの高貴な淑女だ。
「突然の訪問をお許しいただきありがとうございます」
なのに、彼女はいきなりチェルシーを格上扱いする挨拶をしてくる。
「ブレイズフォート公爵令嬢様。私にそのような礼は不要です。どうぞ、お座りください」
「ありがとうございます」
エメラルドは、さっとソファーに座り、チェルシーを眺めている。
なるほど。慇懃無礼という態度は、こういうものをいうのだろう。見本を見せられている気分だ。
不躾というほど強い視線ではないが、観察されているのだろうと感じる。
「公爵令嬢様が、私のようなものに何か御用がおありでしょうか」
本当はもう少し会話を繰り広げてから、『今日はどうされたのですか?』などとさりげなく聞かなければいけないところだが、チェルシーは疲れていた。
オルダマン侯爵家を離れて、もう一週間以上たった。ダイナンもエドワードもどうなったか分からないのに、チェルシーはここでお菓子だお茶だと優雅に過ごさざるを得ない。
こんなことをしていたくない。
そう思っても、チェルシーにはできることが無いのだ。
「チェルシー様は、聖女だとお聞きしました」
「……そう言われていますね」
城の中では、そうとしか言われていない。そうでなければ、城に立ち入ることさえできない身分だから。
「けれど、聖女の力なんて、ほとんどないのでしょう?」
突然の暴言に近い言葉に、帰す言葉がない。
先ほどまでの慇懃無礼な姿勢さえ無くして、チェルシーを睨み付けてくる。
「ちょっと傍にあったものを育てたら、聖女と呼ばれて。羨ましいわ。でも、まさか、王太子妃になれるとはお考えではないですよね」
「もちろんです。私は、すでに婚約をした身ですから」
ソファーに座った後の態度の変化に戸惑いながら、チェルシーは確実に言えることだけ伝える。
だが、それもエメラルドには気に入らなかったようだ。
「ああ、ダイナン様と婚約をされたとお聞きしました。聖女だからとダイナン様をだましているのでしょう?力なんてないくせに」
ほう……と物憂げにため息を吐いて、エメラルドはカップを持ち上げる。
その姿は指先一つとっても洗練されて美しい。
公爵令嬢は、侯爵令息を知っていてもおかしくない。だが、オルダマン侯爵令嬢であるチェルシーは、彼女に会ったのは初めてだ。
それなのに、エメラルドは、ダイナンをファーストネームで呼ぶ。
とても、不愉快だ。
「だましているわけではありませんわ。私は……」
「プロの庭師とどう違いますの?彼らよりもきれいに花を咲かせることが出来ます?」
反論をさっさと封じ込め、エメラルドは続ける。
「だったら、勝負しましょうよ。あの花壇。どちらがより早く美しく花を咲かせられるか。――聖女様だもの。明日には咲いてしまっているのかしら?」
エメラルドが示したのは、応接間から見える中庭の一角にある。噴水を囲むように、右と左に花壇が広がっている。
明日には咲いているかもしれないと言いながらも、彼女の表情は、全くそう思っていない。
出来るわけがないと知っているのだ。
チェルシーは自分を聖女だと言ったことはない。突然、神官がやってきてチェルシーを聖女だと言ったのだ。
チェルシーが育てた植物が少しだけ丈夫に育つ力。
そんなもの、本当にそれを生業にしている人と比べて、どれだけ優れているのかなんて分からない。
「勝負をして、どうします?私が聖女ではないと見せつけたいだけですか?」
城を出してくれるならば、存分にして欲しい。
もしも、チェルシーが聖女でなくなったら、ダイナンはどうするだろう。オルダマン侯爵家に何ももたらさない嫁を、エドワードは認めるだろうか。
ここから出たい。
ダイナンに会いたい。
だけど、聖女で無くなったチェルシーは、彼の傍に行けるのだろうか。
「見せつけるだなんて。聖女がどれだけの力を持つのか、皆さんに知っていただかなくてはならないと思いますの。だって、聖女様って、敬意を払う対象でしょう?」
言外に、チェルシーに敬意を払う気はないのだと伝えてくる。
ここでチェルシーが断っても、結局は植物を育て始めたのだと広められるのだろう。
『聖女様は、お花を育てないとおっしゃった』『聖女様と一緒にお花を育て始めましたの』
どちらでも、結果は彼女の良いようになるのだろう。
「私は、どちらでも構いません」
大きく息を吐いて、ソファーに沈み込んだ。
背筋を伸ばして微笑み続けるなんてできない。とにかく、疲れた。
ダイナンに、会いたい。
「……興味のないふりをして、最後は王太子妃になれると考えているのでしょうね」
エメラルドの笑顔が消えた。
「サミュエルさまは、私の婚約者ですわ。後から出てきたくせに、また、舞い戻って来ようとしているのね」
彼女の滑らかな真っ白な頬を、一筋の涙が伝っていった。
彼女が見せた、一瞬の真実。
チェルシーが目を丸くしている間に、エメラルドは立ち上がった。
立ち上がって、チェルシーを見る瞳に涙はない。
見間違いかと思えるほどの変化だ。
「王太子殿下に侯爵令息様。あちこちに蜜を振りまいてお忙しいこと。お花の事、是非お世話をお願いいたしますわ」
最後には、うふふと笑い声まで上げながら部屋を出て行った。
その日のうちに、花壇には色とりどりの苗が植えられた。




