初めてだらけの生活
ごめんなさい。ごめんなさい。昨日、寝落ちしていて、変な投稿になっていました。
一気にって書いてるのに、一気じゃないし。
今からがんばります。
チェルシーは、聖女となった。
王都までの道のりは、チェルシーには初めて尽くしだった。
馬車に乗ることも初めてだったし、椅子に置かれた柔らかなクッションを触ったのも初めてだった。
食事も、宿も、全部初めてで、珍しいものばかりだった。
でも、初めてのものが楽しいものばかりではないと気が付いた。
与えられたドレスは動きにくい。それなのに、座り方が悪いとドレスの型が崩れてしまうと、姿勢を直された。
食事は、大きなお皿にちょっとずつ盛られて出てくる。お皿を洗うのにもたくさん水を使うのに、なんてもったいないことをするのだろうと思った。
豪勢に盛られて、何から作られたものか分からない料理は、あまり美味しく感じられない。付け合わせの生野菜だけが美味しかった。
ふかふかのお布団は寝返りが打ちにくくて、体が痛くなってしまった。
チェルシーは、思ったままを口にした。
服は肌触りが悪い。食事は口に合わない。布団は寝心地が悪い。
そう言う度に、一緒に王都に向かう人たちは「申し訳ございません」と謝る。
だけど、何も言うとおりにしてくれない。
無感情な目を向けられるだけで、何を考えているか分からない人たちだった。
カーシルだけは、謝らずに
「もうしばらくご辛抱ください」
と、困ったように微笑んでいた。
何日もかけて王都へたどり着いた。
どこもかしこも人であふれかえっている。お祭りの時だってこんなにたくさんの人はいなかった。
一緒に過ごした人たちとは、結局仲良くなれなかった。
どうやら、チェルシーが口を開けば我がままばかりだと避けられているようだ。
我儘と言うほどのものを要求したことはないと思うが、お金持ちが考えることはよく分からない。
だけど、ようやくお城についた。
チェルシーは聖女だ。
そう言われて、ここまで連れられてきた。きっと、美味しいごはんも寝心地のいい寝台もあるに違いない。
どきどきしながら初めて足を踏み入れた絢爛豪華な城の中は、キラキラ眩しくて、ここもあんまり楽しくなかった。何かに触ろうとすると、怒られるのだ。
触ったらいけないものをこんなにたくさん置いてどうするのだろうと思った。
カーシルは、チェルシーを案内をしてくれるという人に預けて、他の人を呼びに行くと言ってどこかに行ってしまった。
大きな部屋に連れて行かれて、ふかふかのソファーに座るよう促された。
チェルシーには大きすぎて、ゆらゆらしてしまい、座っているだけで疲れる。これなら、床に座った方がいい。
案内してくれた人を見上げると、眉間にしわを寄せて見下ろされていた。
どうしてそんな視線を向けられるのか分からなくて、不安になる。
「あの、このソファー……」
口を開いた途端、わざとらしいため息が言葉を遮った。
「これ以上のものはございません」
強い口調で言いきられて、声が出なくなった。
「これだけのものを与えられながら、本当に、なんて我儘な子供でしょうね」
まるで独り言のように呟かれて、返事をするなと言わんばかりに睨み付けられた。
固まっている間に、ノックの音が響き、ぞろぞろとたくさんの大人が入ってきた。
チェルシーがソファーに座ったまま見上げていると、先頭の男性が嫌そうに眉間皺を寄せた。
――何もしていないのに。
この時のチェルシーには分からなかった。本当なら、ソファーから立ち上がって礼を取らなければならなかったのだ。
そうしない、座ったまま動かなかったチェルシーは、自分の方が身分が上だと示している態度だったのだ。
彼らは、チェルシーを見ると、すぐに目をそらした。
チェルシーは、そんな嫌悪の感情を向けられたことが無かった。汚いものがこの部屋にあって、見ることも嫌だと思われているような気がした。
とても綺麗な服を着た人たちが、チェルシーを汚いものとして扱う。
唯一優しかったはずのカーシルでさえ、チェルシーの様子を見て、大きなため息を吐いた。
「申し訳ありません。この子は貧しい農民の娘で、教育が必要なのです」
チェルシーには、カーシルが何故、謝るのか分からなかった。
なんだろう。何だか分からないけれど、とても嫌だ。
「仕方ないな」
「ああ、なんてことだ。これか……」
大人たちは、勝手にため息を吐きながら部屋から出て行く。
誰一人、チェルシーに話しかける人はいなかった。
「聖女様」
最後に、退室する前にカーシルが声をかけてきた。
「これを、お育てください」
彼が渡してきたのは、チェルシーの両手で抱えるほどの大きな鉢植え。
チェルシーは、戸惑いながら彼を見上げる。何が植わっているのか尋ねようとしたけれど、カーシルはとても怒っているような気がした。
「明日から、勉強が始まります。あまり我儘ばかり言われませんように」
「……はい」
そう返事をする以外、許されていない気がした。
次の日から、勉強が始まった。
やっぱり、広くて豪勢なだけの部屋を与えられて、いろいろな味が混ざって美味しくない食事を並べられて、重いばかりの着心地の悪い服で、チェルシーは生活しなければならなくなった。
チェルシーは、字があまり読めない。計算は少しはできるつもりでいたけれど、チェルシー程度では全く役に立たないらしい。
家庭教師だという女性は、あからさまに大きく天を仰ぎ、自分の不幸を嘆いた。
「今まで必要なかったから知らないだけでしょ。どうしてそんな風に言うの?」
言い返したら、なんて下品なと怒られた。
座り方も立ち方も歩き方も。スプーンの持ち方、動かし方、口の開け方、咀嚼の仕方。
チェルシーが少し動くだけで怒られた。
チェルシーは、疲れていた。
初めての馬車で何日も移動してきた。
食事も布団も合わなくて。お腹いっぱいにもならないし、よく眠れない。
自由時間も無くなって、一人でいる時間もない。
少しだけ心安らぐのは、鉢植えの植物が日々成長するのを見るときだけ。
チェルシーの動きは全て誰かが見ていて、チェックして品がないと注意してくる。
いつもいつも怒られて、体が動かなくなっていく。
蔑む視線。嘲る笑い声。遠巻きにされるその嫌な雰囲気に、どう対処していいか分からない。
「違います。そのような指の動かし方ではクッキーが美しく見えません」
家庭教師はため息を吐いて、後ろを向いて「何て卑しい食べ方かしら」と呟く。
――卑しい食べ方って何?
チェルシーは、出されたクッキーをつまんだだけだ。
「もう、嫌だ」
チェルシーは泣きながら、手に持っていたクッキーを家庭教師に投げつけた。
彼女は目を丸くしてチェルシーを見た。
「もう嫌だ!放っておいて!なんなの、気に入らないなら見なければいいじゃない!」
叫び声に驚いて、数人の衛兵が部屋に飛び込んできた。
「何がありましたか?」
彼らが尋ねるのは、チェルシーではなく家庭教師にだ。
「申し訳ありません。私、怒鳴りながら食べ物を投げつけられるなんて……ああ、もう無理ですわ」
彼女は顔を覆ってよろよろとソファーに座り込んだ。
ショックで座り込むなら、床にそのまま座るはずだ。ソファーにわざわざ移動してきて、すわりかたも計算された動きだった。
「ご婦人!聖女様、なんてことを!」
だけど、チェルシーの味方は一人もいない。
誰もかれもが、チェルシーがひどいことをして、彼女を痛めつけているように見えるのだろう。
「もう嫌よ!放っておいて!」
チェルシーは、自分に与えられた部屋へ走って戻った。
「聖女様」
「入ってこないで!」
チェルシーを世話する女性が入って来る。
叫んで追い出そうとしても、彼女たちがチェルシーの言うことを聞くことはない。
そうして、わざとチェルシーに聞こえるように、ため息を吐くのだ。自分はなんて不幸なんだろうと、チェルシーの世話係を命じられたことを嘆く。
そんなもの、チェルシーが望んだものではないのに!
チェルシーは、「もう嫌だ」とだけ言い続けて、勉強をすべて放棄した。
食事は、パンだけを手づかみで食べて、ベッドで転がるだけだ。
洗濯もお風呂も拒否したら、世話をする女性が真っ青になって「信じられない」と呟いた。
この人は、毎日お風呂に入って、毎日布団のシーツを洗うのが当たり前の環境に育った人なのだと知った。
チェルシーの世話をする人でさえ、そんなにお金持ちなのだ。
さぞかし、彼らにとってチェルシーは汚くて低劣な存在なのだろう。
五日間、その状態で粘って部屋に籠っていたら、鉢植えの花が咲いた。青く、ガラスのような花びらの花だ。こんな花見たことがない。
突然、ドアが乱暴に開かれて、兵たちが数人は言ってきて、鉢植えを持ち出した。そうして、残った兵たちが、チェルシーが勉強をしていないことの理由を問いただした。
世話係の女性は、「私の力不足ですわ」と弱弱しく胸を押さえて項垂れていた。
そんな様子、チェルシーの前では見せたことがない。
平気で汚いモノ扱いしていたくせに!
泣いても拒否をしても、「こんなに良くしてあげているのに」とチェルシーが悪者になる。なんて我儘な女だと蔑まれる。
チェルシーは大きな男性に風呂場に放り込まれて、湯を思い切りかけられた。
「さっさと着替えて出てこい!お前のような奴でも、陛下がお目通りを許された!」
陛下。国王様。この国で一番偉い人。
「お支度は私にさせてくださいませ」
さっきの女性が、両手を握り締めて現れた。
「私のお役目ですわ。何があろうとも、私は、やらなければ」
「おお。なんと素晴らしいお心か」
何の茶番か。
国王に会うのにチェルシーが適当に体を洗って適当に服を着た姿では、この女性の責任になる。それが嫌だから出てきただけだ。
チェルシーは、これ以上何をしても無駄だと分かった。
おとなしく大仰なドレスに着替えさせられて、国王が待つ謁見の間という場所まで案内された。
広い目がくらみそうな場所に、煌びやかに飾られた椅子に座った煌びやかな服を着た男性。この人が国王様なのだろう。
じっと見上げると、この人もため息を吐いた。
「教育の成果は出ていないようだな。――カーシル。本当にこれは聖女なのか?」
国王様が呼んだその先に、カーシルがいた。
「はっ。長雨で、他の植物が腐り果てる中、この者が育てた花だけが、美しく咲き誇っていたのでございます」
「そうか。育てさせた花は?」
「こちらでございます」
兵が植木鉢を持って前に出てきた。チェルシーの部屋にあった植木鉢だ。部屋に植物があることが嬉しくて、毎日愛でていた。
「……ふん」
植木鉢の花は、大きく花開いている。シャンデリアの明かりに照らされて、きらきらと自身が発光しているような輝きだ。
「これが聖女か……嘆かわしいな」
どうしてそんなことを言われなければならないの。
国王様は、チェルシーを見ることさえ嫌になったようで、腕を振って追い払うような仕草をした。
「もう少し見られるようになってから連れてこい。それまで、城の外で教育を施せ」
こんな場所、もう来なくていい!
だけど、国王様にそんな口をきけば、どうなるか分からなくて、何も言えなかった。
聖女なんて言われていても、チェルシーは、彼らにとって何の価値もない人間だから。
チェルシーは、城から出された。
王都に来て、たった一か月後の事だった。