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王太子襲来

チェルシーが招待状書きをしている時、豪奢な馬車が敷地内を走り抜けた。

大体において、豪華な馬車は高貴な方を乗せていることが多い。だから、ほとんどスピードを出せずに揺れも最小限でいいように、スピードはあまり出さない。

何かあったのだろうかと気になるが、気になって見に行くなんてことはしてはいけない。

きちんと分かっている。

隣に立つアナをちらりと見上げれば、考えていたことが分かったのだろう。眉間にしわを寄せて首を横に振られた。

分かっていたけれど、一応確認しただけだ。

確認するまでもないことです、と言われそうなので言わないけれど。

チェルシーは、馬車の事は忘れて招待状に集中することにする。

綺麗に丁寧に書かなければ。

招待状を出す方はたくさんの中の一枚だが、受け取る方はたったの一枚だ。自分に届いた一枚しか目にしないのだから、その一枚は最高のものでなくてはならない。

ダイナンに見て欲しい。こんなに仕上がっていると言ったら、満面の笑みで抱きしめてくれるだろう。

……いや、抱きしめてもらうためにしているわけじゃないけど!

思わず不埒な考えが頭をよぎって、慌てて追い払う。

ダイナンに再会してから、彼の接触過多が悪影響を及ぼしている。

そんなことを考えていると、廊下が騒がしいことに気が付く。

いくつかの足音が叫び声のような声とともに近づいてくる。

「アナ」

呼びかけると、心得たように彼女はドアに近づいて、そっと廊下を窺う。

ドアを開けたことで、外の音がクリアに聞こえるようになった。

「殿下、どうか思いとどまりください。侯爵令嬢の私室に直接向かわれるなど、礼を失するにもほどがあります」

リドルの焦った声が聞こえた。いつになく早口で大きな声だ。

それに対する応えは低くて、よく聞こえない。

――殿下?

殿下って、まさか……?

チェルシーが立ち上がった時、

「開けろ」

命令し慣れた美声が聞こえた。

アナは、じっと固まったまま、ドアを開けることも閉めることもできないでいる。

王に次ぐ人物の命令を退けることも彼を部屋に招き入れることもできないのだろう。

チェルシーは彼女を見かねて声をかける。

「いいわ。アナ。お客様なのでしょう?お迎えしましょう」

チェルシーの声にだけ反応して、アナは申し訳なさそうにこちらを見て、情けない顔のまま、ドアを開けた。

そこには、無表情のサミュエル王太子が立っていた。

案内を拒否した家令にも、王太子を見ても招き入れなかった侍女にも、何も反応せずにチェルシーを眺めていた。

「突然のご訪問、歓迎いたします。何の御用でしょうか」

チェルシーはカーテシーを披露し、優雅に微笑んで見せる。

元農民だが、八年間も淑女教育を施されてきた。城での三年間は、自由時間など全くなく、教育だけに時間を費やされたのだ。

それでできない方がおかしい。

「チェルシー・オルダマン侯爵令嬢」

「はい」

返事をしたものの、あまりに平坦な声で呼ばれて、呼ばれているのではなく、名前を朗読されただけだろうかという疑問が浮かぶ。

「お前か」

……どうやら、彼はチェルシーの顔を覚えていなかったようだ。聖女の時に着ていた服で判断していたか、ここにこうしているということは聖女だ、と認識していただけかもしれない。

婚約者候補として三年間過ごした相手にあんまりだと思うが、さもありなんとも思う。

サミュエルは、チェルシーに全く興味が無かった。ないどころか、面倒な相手だと思っていただろう。

会話をするように設定されたお茶会でも、サミュエルに勧められなければ座ることもできないチェルシーに声をかけることはなかった。のんびりと一人で一杯だけ紅茶を飲んで勝手に立ち去るのだ。

こちらを見ることも無いし、声を聞くことも無い。

チェルシーは突っ立っている時間があったので、彼の顔は良く眺めていた。

金髪碧眼の、絵本からそのまま飛び出してきたような容姿端麗な王太子。美しい白い顔に、髪と同じ色のきりりとした眉毛と、切れ長の目を縁取る長い睫。真っ直ぐの鼻も、赤く薄い唇も、全て完璧な場所に納まっている。

ただし、それらはめったに動かない。

彼は、いつもチェルシーに嫌な態度ばかり取る人だった。

オルダマン侯爵家で教育を受ける前は、姿さえも見たことはなかった。だが、さすがに婚約者候補となって城に住むことになった時には、挨拶という名の顔見せがあった。

自己紹介の後、はあと小さくため息を吐かれた。

負の感情は見せないように教育された。特に、疲れの感情は、余程のことが無ければ完璧に隠せるもの。

『疲れ』など、贅沢をしながら国のために働く貴族には必要がないことだと、エドワードは言っていた。貴族だって疲れないわけではない。だけど、戦時中や飢饉などの非常時でなければ、常に泰然と構え、余裕を見せることが必要なのだ。

サミュエルが、今落としたため息は、婚約者候補としてのチェルシーを近しいものとして感情を見せたのだろうか。

――などと、少々良い方向に考えようともした。

「これが聖女か」

だけど、サミュエルは不快気に顔を歪ませて一言吐き捨てた。

チェルシーは、この時点で無能な王太子という認識が出来上がった。

気に入らないながらも、チェルシーは気に入られようとした。

彼の表情と言葉は無かったことにして、にこやかに挨拶をした。

「サミュエル王太子殿下にご挨拶申し上げます。この度は――」

チェルシーの定型句が続くのに、彼は片腕を振って、

「ああ。これでいいだろう」

チェルシーにではなく、背後にいた侍従に言った。これで役目を果たしたのだからいいだろうと言って、チェルシーに背を向けた。

チェルシーに言葉をかけることも無く、彼女の挨拶を最後まで聞かずに、ふらっと出て行った。

チェルシーに応対するときは、一事が万事その状態だった。

そんなチェルシーが嫌いなサミュエルが、直々にオルダマン侯爵邸宅にまで出てきたのだ。

「お前のせいで、面倒なことになっている」

まあ。と驚いて見せるが、知ったことではない。どんな面倒なことが起こっているのか知らないが、絶対にチェルシーのせいではないはずだ。

「だから、お前を迎えに来た。城に戻れ」

本当にそう思っているのか分からない平坦な声だが、サミュエル自身が動いてチェルシーを迎えに来たのだから、それなりに困っているのかもしれない。

「申し訳ありません。私は、このオルダマン侯爵家で留守番をしているところです」

だが、それに応じるかは別の話だ。

「留守番など不要だ。来い」

勝手に不要だと踏みにじられる。

城で働く侍女たちからすれば、彼は優秀な次期国王なのだそう。

「誰の権限でのご命令でしょうか。私は、現在の一定期間だけ、オルダマン侯爵家を守る役目を父からいただいております」

「お前は、まだ私の結婚相手候補だ。面倒をかけるな」

面倒なことをしているのは、明らかにそっちだ。嫌ならば、迎えになど来なければいい。口を開けば面倒だ面倒だと、うるさい。

まだ婚約者候補だなんて、あり得ない。――はずだ。

「いいえ。私の婚約は正式に成り立ったため、もう……」

言いかけたところで、腕を掴まれる。

「もうどちらでもいいから、さっさと来い」

どちらでもいいはずがない!

力ずくになるとは思っていなくて、腕を掴まれるまで油断していた。

そこに、家令がサミュエルの腕を掴んでくれた。

「お放しください。チェルシー様は、オルダマン侯爵家の令嬢でございます」

「――使用人ごときが、王太子たる私の行動を制限すると?」

すごんでいるわけでもないのに、サミュエルの威圧感が強くなる。女性的な顔立ちをしているのに、その気になれば他を圧倒する空気を作り出せるものなのだろう。

無表情で、じっとリドルを見つめる姿は、王族の威厳にあふれていた。

けれど、リドルは真っ直ぐに立って頭を下げる。

「私は、当主不在のこの家を任せていただいている身でございます。当主の意に沿わないことは出来かねます」

サミュエルはリドルを見て、ちらりとチェルシーに視線を向かわせる。

さっさと離せと腕を引っ張っていたのだが、彼がチェルシーの腕を捕まえる力をさらに強くした。

「牢は辛いだろうな」

矛先をリドルからチェルシーに変えた。

リドルは身を挺してでもチェルシーを守ろうとするだろう。

それは、逆でもそうだということ。

「王太子の権限で、この者たちを一時的に牢に入れることもできるが?」

リドルたちがチェルシーを守ろうとするように、チェルシーもリドルたちを守ろうとする。

彼らがチェルシーを守ってくれるから、静かに屋敷の奥に引きこもっているなんてことはできない。

「チェルシー様。例えそうなっても、旦那様がお戻りになれば、すぐに解放されるでしょう。大丈夫でございます」

大丈夫なわけがない。

リドルは高齢だ。エドワードと同い年と聞いているが、最近冷えが辛いと言っていたのを知っている。

そうでなくても、チェルシーは今、この家を守らなければならない。

彼らがいなくなった邸に、チェルシーが一人でいて何になるだろう。

ならば、チェルシーだけが城に行った方がいい。別に牢に入れられるわけでもないのだ。

「乱暴な真似はおやめください。ともに参ります」

「チェルシー様!」

リドルの悲鳴のような声が上がったが、チェルシーはそちらを見なかった。

きっと、悲痛な表情を浮かべていることは分かるから。チェルシーを心から心配してくれるその表情を見て、甘えない自信がないから。

「アナ。準備を」

サミュエルの顔を見上げたまま、アナに指示を出す。

「~~~~っ、はい」

いろいろ言いたくて飲み込んだような音が聞こえた。

チェルシーは薄く微笑んで、彼に馬車へ向かうように促した。


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