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大成功

次の日。

証書の提示要求が通り、署名できる段が整ったと連絡を受けた。

普通はいつでも署名できるくせに、何ともわざとらしい。

ダイナンは、久々に城に上がるための正装を身につけて、チェルシーと共に城に行く準備をした。

本当なら、聖女が力を発現したなどと噂が立って注目されている時にチェルシーを城に連れて行きたくない。

しかし、署名は早めにすませてしまいたいのも事実だ。

早く結婚したい。

チェルシーに、婚約誓約書に署名に行くと伝えると、彼女は頬を上気させて目を潤ませた。

「はい。嬉しいです」

「私も嬉しいよ」

ダイナンは穏やかに微笑んで、彼女の手を取る。

――あああ、もう、可愛い!

悶えているダイナンをしらずに、エスコートされるがままに彼の腕を取って歩き始めた。




艶やかな黒髪を撫でつけ、煌びやかに正装したダイナンは、驚くほど格好いい。

チェルシーはそう思いながら、もう少し派手にするべきだったろかと思う。

淡い紫色のドレスに、黒い縁取りがあるドレスは、上品だが華やかさには欠ける。

彼の隣で、使用人のように見えるかもしれない。ダイナンは、誰に聞かれても堂々と妹……今だったら、婚約者として紹介してくれるだろう。その時に華やかな装いでないとダイナンに恥をかかせてしまうかもしれない。

しかし、婚約誓約書に署名するときには、ダイナンの色を少しでもいいから身にまといたかった。

あまり暗い色だと嫌がっているような印象を受けてしまうかもしれないので、ふちに黒いレースになった。

ダイナンのグレーのスーツにも、襟元や袖に少しだけ緑が入っているのは、チェルシーの色だと思ってもいいのだろうか。

訊く勇気はないけど、その差し色が嬉しい。

屋敷の外に出た途端、チェルシーは首を傾げる。

「なんだか、とても華やかになったわ。全体的に植え替えを行ったのでしょうか」

「そうだね。とてもきれいだ」

ダイナンも庭を見回しながら同意する。

昨日は、いろいろあって、外に出る時間が無かった。今日も、朝から久々にしっかりしたドレスを着せられて、庭の様子を見ることがなった。

一昨日までは、花壇の中に整然と並んでいた花は、庭一面に咲き誇り、どこを見ても色とりどりだ。

一日見ていないだけで、こんなに変わるなんて。

きっと、ダイナンの帰宅を喜んで庭師たちが張り切ったのだろう。

「すごい。庭師の皆さん、すごく頑張ったのね」

チェルシーが、感嘆のため息を吐くと、ダイナンは声をあげて笑った。

「あはは。そうかもしれないね」

ここで何故笑われるのか分からない。

チェルシーはダイナンを見上げるが、彼は説明する気はないようだ。

馬車の前まで来ると、ダイナンがチェルシーを支えて中へ導く。

ふとした瞬間に、ダイナンからレディの扱いを受けて、照れくさくなってしまう。

オルダマン侯爵家にいる間に、チェルシーが社交することはなかったので、こうしてダイナンと二人で馬車で出かけることはほとんどなかった。

だけど、たまに少しだけ遠出したときなどは、チェルシーはダイナンにひょいと抱えられて馬車に乗っていた。こうしてエスコートされると、女性として扱ってもらっている気がする。

「ありがとうございます」

チェルシーが少しだけ照れていることに気が付いたのだろう。

ダイナンは大げさに身をかがめ、芝居がかった台詞を言う。

「我が手はあなたのためだけに存在するのです。存分にお使いください」

ダイナンはチェルシーの隣に座り、馬車のドアを閉める。そのドアをコンコンと叩けば、馬車は動き出す。

その間も、くすくすと笑っているチェルシーの頬を両手で包み込んでダイナンも微笑む。

「本当だよ。この手はチェリーのためだけに動かそう。まずは、こうしてチェリーの頬を温めようか。それとも、抱き寄せようか」

今は別に寒くないから温めなくてもいいのに。それよりも、ダイナンから触られていると、どちらかと言えば熱くなってくる。

「お兄様。顔が赤くなってしまうから、やめてください」

出かけているというのに、多くの人に赤くなった顔を見られてしまうではないか。

チェルシーが睨むと、ダイナンはまた嬉しそうに笑って、手を離した。


城に着いて、貴族院に入ると、すぐに婚姻誓約書が準備されていた。※貴族院;市役所みたいな意味で使ってます。城の執務棟の一角

「お待たせしました」

「ああ。本来ならば、署名に来て欲しいとそちらが言う立場だったことは分かっているよね」

ダイナンが表面上はにこやかに担当に言う。

彼は、家の中では表情豊かだが、一歩外に出ると、笑顔から表情が動かなくなる。一緒に外に出たことがあまりないチェルシーはほとんど目にした事がない姿だ。

「は、申し訳ありません。諸般の事情により」

担当である男性は、顔をうつむけてふるふると震えている。

それでも腕を組んで圧力を緩めないダイナンを、チェルシーは見上げる。

「お兄様?サイン、しませんか?」

首を傾げて、服の裾をひくと、ふわりと溶けるように頬を緩める。さっきまでも笑っていたのに、その印象の違いに驚くばかりだ。

「そうだね。一刻も早くしなければ。ふふ。これでチェリーと婚約者」

係の男性が、ほっと息を吐いて華やかな羽ペンを差し出してくる。

彼も貴族だと思うが、随分顔に出やすいようだ。チェルシーの周りは、邸の外に一歩出れば鉄壁の微笑みを浮かべる家族と王族、それに仕える使用人たちだったので、実は彼女は低位の貴族と交流が無かった。

ダイナンがさらりと名前を書いて、チェルシーに羽ペンを渡される。

名前を書くだけなのに、とても緊張して手が震えてしまう。

そんな彼女の肩をダイナンは支えて、うっとりする。一生懸命に丁寧に自分の名前を書こうとしているチェルシーがひたすらに愛しいのだ。

名前さえ書きあげてしまえば、婚約は成立だ。

「では、確かにお受け取りいたします」

この後、王へ謁見し、祝福の言葉を貰うまでが高位貴族の婚約の流れだ。エドワードは、先に謁見の間に行っているはずだ。

「チェリー」

侍従に案内されて謁見の間に移動しながらダイナンが静かにチェルシーを呼ぶ。

足を止めないので、歩きながらということだろう。チェルシーが見上げると、そこにはこちらを見ずに前に視線を向けたままのダイナンがいた。

「王の前で、表情を崩すな。絶対だ」

いつになく厳しい声で言われ、チェルシーは背筋を伸ばして頷く。

ダイナンが話しかけるときにこちらを見ないことも、怒られているのかもと考えるほどの声も初めてだ。

たったそれだけで不安になりそうな心を持ち上げながら、謁見の間に辿り着いた。

合図を受け、扉が開く。長い長い絨毯の向こうに、煌びやかで大きな玉座。その玉座に、王が座る。そこにたどり着くまでは、城に勤める高官たちの視線にさらされる。

「よく来たな。ダイナン・オルダマンと、その婚約者殿」

謁見の間、中ほどまで進み、膝を折る。

「顔をあげよ」

声に従って顔を上げると、記憶の中では渋面しか見せていなかった王が微笑んでいた。

「久しいな、聖女殿よ。この度は婚約が調ったという。めでたいことだ」

ぞわりと、寒気を感じるほど気味が悪い。

「ありがとうございます」

無視をすることが出来ずに頭を下げたが、会うこともしなかった聖女に、なぜこんな態度なのだろう。

「それで、婚約祝いを準備した」

王が言った言葉と同時に、扉が開き、次から次へと植物が運び込まれてくる。

何かが植わっている鉢、花が生けられた花瓶、球根、枯れかかった花まで。

どう見ても、祝いの品には見えないものが目の前に並べられる。

「どういうことでしょう?」

チェルシーではなく、ダイナンが問いかける。

「いやなに。聖女殿ならば、これらを咲かせるくらいできるであろう。さあ、咲かせてみなさい」

王が手で示すが、チェルシーには何のことだか分からない。

今、この場で、これらのものを花開かせろと言われているのだろうか。

「私にそのような力はありません。私が育てた植物が少しだけ丈夫に育つだけで――」

言っていて思う。ただの農作業が得意な娘なだけだな、と。

しかし、その言葉は、考えていた以上に強い言葉に遮られる。

「謀るな」

王が先ほどの笑みを消して、チェルシーを蔑むように見つめる。

一瞬で変化した笑みからの叱責のような声に、チェルシーは震えてしまう。

表情を崩すなと言われたのに。

ダイナンを見上げそうになるのを、意志の力でねじふせる。こんなところで、彼に助けを求められない。そんな態度を取れば、ダイナンがするなと言ったように見えてしまう。

チェルシーは一度大きく息を吸って、スカートを持ち上げ頭を下げる。

「失礼いたしました。尽力いたします」

しても、どうにもならないと思うが。

チェルシーは震える手で鉢に両手を添えて、願う。

――お願い。花を咲かせて。

オルダマン侯爵家が、これで咎められてしまったらどうしよう。ダイナンが、いわれなき非難を浴びてしまうかもしれない。

――どうか、どうか。

焦って、必死に願うけれど、鉢は何も変化しない。

どれくらいそのまま頑張っただろうか。大きなため息が聞こえた。

「その程度か」

びくりと体を揺らして、それでも祈るが、何も変わらない。

「陛下。祝いの品では?」

ダイナンが、怒りのこもった声をあげる。

「ふ。ちょっとした余興よ。――なんの面白味もなかったがな」

チェルシーが王を見上げる。その視線を捉え、王は愉悦の笑みを浮かべる。

出来ないのは分かっていた。こんなこと、聖女と言われた時からやらされていた。オルダマン侯爵家に引き取られてからも、もしかしたら何かの役に立てるかもしれないとやったこともある。

だけど、どれだけ懇願しても無理だったのだ。

「そこにあるのは持って帰るがよい。日が経てば、花も咲こう」

「――ありがとうございます」

勝手な王の言葉に、しかし臣下としてダイナンが頭を下げ、それにならってチェルシーも頭を下げた。

聖女なんて、何の役にも立たない。

エドワードは、チェルシーが名目上でも聖女と呼ばれれば、オルダマン侯爵家として役に立つと言ってくれたけれど、全くそんな風に感じられない。

花を咲かせられなかったチェルシーに、あからさまなため息の音が聞こえる。見回せば、蔑んだ表情と嘲りの笑いばかりだろう。こんな中に立たせてしまうことが、ひたすらに申し訳ない。

「チェルシー」

小声で呼ばれて顔を上げれば、作った笑顔のダイナンが腕を差し出していた。

チェルシーは、王に一礼して、その腕を取る。

無力さに震えそうになる足をゆっくりと出して、謁見の前を辞した。

役立たずでごめん。

謝りたい。謝らせてくれるだろうか。

馬車が動き出してからダイナンを窺い見――

「チェリー!大成功だ。よく頑張ったね!」

――ようとしたところで、満面の笑みのダイナンに抱き付かれた。

「お、お兄様」

王とは別の意味で、さっきまでの彼との差にアタフタしてしまう。

「怖かっただろう?助けてあげられなくてごめんね」

手を取られて、その甲にキスを落とされる。

ポッと心に温かなものがともる。

「あ、ダメだ。まだ屋敷に到着してないから、あんまり喜んではいけないよ」

よく分からない注意をされるが、彼が怒っていないことは分かる。

「私、うまくできませんでした」

「いや、あれだけ感情を隠せれば大丈夫だ」

チェルシーの謝罪をあっさり受け止めて、彼女の手を握ってくれる。

「陛下に、令嬢が対抗できるはずがないからね。それでも、上出来だ」

ダイナンがこれだけ褒めてくれるということは、なんらかの交渉か操作がうまくいったのだろう。チェルシーにはさっぱり思いあたらないが。

「さ、これでチェリーと私は正式な婚約者だ」

柔らかく微笑んでくれるダイナンに、微笑み返そうとしたところで、ポンと手を叩かれる。

「でも、まだ邸の外だから喜んではいけないよ」

ダイナンは嬉しそうにしているのに。喜んでいけない理由が分からない。理不尽だ……。

チェルシーが不満げな表情を浮かべると、褒めるように頭を撫でられた。

不満げにしながら、チェルシーがダイナンの言いつけを守ろうとしていることに気が付かれたのだろう。

心の中がむずむずしながら、チェルシーは屋敷に早くついて欲しいと願った。


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