みいつけた
「チェリー、みいつけた」
突然、明るい光がクローゼットの中に入り込んだ。
チェルシーは何が起こったか分からずに、呆然と、開いてしまったクローゼットの扉を見つめる。
そんなチェルシーに構わずに、優しい手がチェルシーの頭を撫でる。
「ただいま。帰ってきた途端、かくれんぼ?」
見上げた先のダイナンは、変わらない笑顔でチェルシーを見つめていた。
どうしてそんなに嬉しそうなのだろう。
さっきまで、エドワードに怒鳴っていた人とは思えない。
彼が顔を上げて、廊下の方に頷いて見せるのが分かった。
「大丈夫だ。後は任せてくれ」
ダイナンが外に呼びかけると、いくつかの足音が歩いていく音が聞こえた。
「いろいろなものに埋まっているチェリーも可愛いけど、もっと近くで顔を見せて」
「ふ……ぇ?」
力強い腕が、ひょいとチェルシーを持ち上げる。
チェルシーの手の中に大切に握りしめられていた鉢植えを見て、ダイナンは頬を緩める。
「この鉢植、抱きしめて……ブレスレットもしてくれてるんだ?」
くすくすと笑われて、チェルシーは自分の状態に気が付く。
寂しいと全身で訴えるような態度を取ってしまっている。見つかる予定ではなかったから、思い切り泣いてしまった。
チェルシーは、慌てて顔を隠して、袖で顔を思い切りぬぐった。泣いていたことがバレないわけではないけれど、平気なふりをしたい。
この場を、無理やりにでも笑顔でごまかして、チェルシーは出て行くのだ。
「お兄様、おかえりなさい。あの……」
チェルシーが話し始めた途端、優しくソファーに下ろされて、言葉が途切れてしまう。チェルシーの前にダイナンが膝をついて、眉を寄せて顔を覗き込んでくる。
大きな手が、チェルシーの頬を覆う。
冷たい涙で冷やされてしまっていた頬に熱が戻って来て、その温かさにまた涙がこぼれてしまいそうだ。
彼の親指が目元に残る涙を拭ってくれる。
「可愛いチェリー。私に弁解させてくれるかな?」
ダイナンがすまなそうに眉を下げて、チェルシーを見つめる。
弁解と聞いて、チェルシーはすぐに婚約の話だと分かった。
彼が、チェルシーを傷つけるつもりなどなかったことなど、分かっている。今だって、こんなに心配そうにチェルシーを見つめてくれるのだから。
チェルシーは微笑んで首を横に振った。
「いいえ。分かっていますから、大丈夫です。私はお兄様の幸せを祈って……」
「弁解をしたいんだ」
言いかけた言葉を強い口調遮られて、強く肩を掴まれた。
優しく微笑んでいたダイナンから、突然怒ったように言われてチェルシーは目を丸くしながら小さく頷いた。
「私は、結婚相手が誰だか聞いていなかった。チェリーだと分かっていれば、拒否などしない。喜んで結婚する」
真剣な表情に、喜びがこみあげるが、同時に同じだけの悲しみも湧き上がる。
彼が言っていた『愛する女性』を、ダイナンはチェルシーを幸せにするために忘れようとするのだろう。
胸が苦しい。息ができなくなりそうだ。
だけど、黙ってダイナンの言葉を受け入れることは許されない。
泣かない。泣いてはいけない。
震えそうになる手を握りしめてチェルシーは口を開く。
「お兄様。私は大丈夫です。無理をしな……」
握りしめた手を優しくダイナンの手が包み込む。自分の手が随分と冷たかったのだと気が付いた。
「ああ、さっきの父との会話を聞いていたんだったな。傷つけるようなことを言ってごめん」
ダイナンが、チェルシーを傷つけたと言った。つまり、チェルシーの気持ちを知っているということで。
傷ついてないと否定することもできず、チェルシーの顔は真っ赤に染まる。
「愛する人とは、お前のことだ。チェリー」
真剣な顔で見上げられて、ダイナンが言った言葉が、一瞬理解できなかった。
口をぱかっと開けて、驚くチェルシーを見て、ダイナンは困ったように微笑む。
動かないチェルシーの手を取って、恭しく手の甲に口づけを落とす。
「ずっと好きだった。城になど行かせたくなくて、連れて逃げようとしたことさえあった」
チェルシーの反応が無いのを良いことに、ダイナンはチェルシーの手に何度もキスをしながら、手首の方へ唇を動かす。
「だけど、チェリーを逃亡者にするわけにもいかないし、チェリーは父のことも姉のことも好きだろう?二人を捨てて私とだけ生きてくれるとは思えなかったし」
ダイナンは、こんな嘘を吐かない……と、思う。
でも、話の内容が荒唐無稽すぎて、信じられない。
結婚の話をエドワードに言われただけで、あんなに結婚したくないと激昂するほど『愛する人』が、チェルシー?
「ほ……本当に?」
震える手で、ダイナンの手を握り返した。
「ああ。もちろん」
チェルシーが握る力よりも、さらに強く手を握られる。彼の目が、真っ直ぐにチェルシーを見つめ、信じて欲しいと訴えてくる。
まだまだ信じられない思いも強いが、それは、ダイナンが信じられないわけじゃない。こんな物語のような展開が、自分の身に起こることが現実味がない。
「うれしい」
でも、今、チェルシーの手を強く握ってくれているから。チェルシーはホッと笑みを浮かべた。
「ああ、チェリー!なんて可愛いんだ!」
突然、脇に両手を入れられて、お人形さんみたいに高い高いをされた。
「お兄様!?」
チェルシーはそんな小さな子がされるような抱っこをされる年ではない。
あっという間に涙が引っ込んで、驚いて彼の腕をつかむが、くるくると回されてしまう。
思っても見ない動きに、チェルシーが目をまわしてしまう。そんなチェルシーを見て、ダイナンはきまりが悪そうな顔をして、チェルシーをそっと下した。
「ごめん。あんまり嬉しくてはしゃいでしまった」
はしゃいでしまったなんて。
とっくに成人して、エドワードの跡を継ぐために勉強しながら働いているダイナンが、子供のようなことを言うから、唖然としてしまう。
三年ぶりに見るダイナンは、背も高くなったのかもしれないが、体に厚みが出て、たくましくなった。
姿は大人になったが、中身はチェルシーが知っているまま、優しくて明るい兄で、ほっとする。
ダイナンは、淑女に対するようにチェルシー手を取り、もう一度ソファーへとエスコートしてくれる。
その間、チェルシーはされるがままだ。
ダイナンの、とろけそうなほどに幸せそうな笑顔から目が離せない。
チェルシーがソファーに座ると、ダイナンは、今度はその隣に座った。
兄妹だとしても、近すぎる距離だ。
なんだかちょっと居心地が悪くて、そっと距離を取ろうとして……
「どうして離れようとしているんだい?」
失敗した。
腰に腕を回され、引き寄せられてしまった。体半分がダイナンにピッタリとくっついてしまって、見上げたらキスさえしてしまいそうな距離だ。
「おっ……お兄様!」
あまりに近い距離にうろたえて、ひっくり返ったような声が出てしまった。
この家に来たばかりならまだしも、城に行く前には適切な距離をとってくれていたはずだ。
「私は、もう小さな妹ではないのですよ!」
「知っているよ。婚約者だろう?」
婚約者としての適切な距離だと言われて、そうなのかと思わず納得してしまった。
城では、王太子の婚約者候補としては扱われたが、婚約者だったわけではない。婚約者となったら、こんなに近い距離で話さなくてはいけなかったのか。
男女のお付き合いのことについて疎いチェルシーは、ダイナンにあっさりと騙されていた。