ふたりだけの未来(ダイナン)
雨が降らない地域への配給計画、備蓄食料の確認。
計画しているうちに雨が降り、そこまでいうほどの不作にはならないかもしれないと思いながらも、楽観視はできない。
そうして準備をしていたのに――その年のコメは豊作だった。
米だけではない。野菜も果物も。
嫁いでいく前、ソフィアはひどくチェルシーを心配していた。
「チェルシー。あなたが望んでないことをさせられそうになったら、すぐに言うのよ。私のところに来てもいいの。絶対よ?」
彼女の力を、ダイナンたちは気が付いていた。
気が付かないふりをして、力が弱い役立たずの聖女だとしておけば、チェルシーはオルダマン侯爵家にずっといることができる。
次の年も、どの作物も、オルダマン侯爵領は、穀倉地帯になりそうな勢いで作物が実った。
――チェルシーの力だと疑い様が無かった。
「チェリーの力は、自分が育てたものにだけ作用すると聞いていましたが」
「ああ。もしかしたら……望んだ範囲、かもしれない」
農家として暮らしていた時は、自分が育てた物だけへの願いだった。それが、オルダマン侯爵家にやってきて、広い場所への願いへ変わった。
それが真実だとすれば、チェルシーの力は計り知れない。
彼女が国に存在するだけで、この国は飢饉とは無縁でいられることが保証されるのだ。
彼女は自分の力を知らない。
「おいしい」と朗らかに笑うチェルシーに、力なんていらないのに。
彼女が近い将来、城に呼び出されることになるだろう。
この三年の間に、オルダマン侯爵領の突然の豊作続きは有名になってしまっている。
実際、エドワードの元にはチェルシーの教育の進み具合について問い合わせる手紙が何度も届いているようだ。
チェルシーが『我儘』だと思われる行動を取ってくれていたおかげで、まだ城で暮らせる状態ではないと引き延ばせている。
「チェリー。散歩しようか」
勉強の合間に誘えば、チェルシーは嬉しそうに微笑み、頷く。
やった!と飛び跳ねていたのがついこの間の事なのに。彼女の成長が嬉しいのに、悲しい。
そんな気分でいたからだろうか。チェルシーがダイナンを覗き込んで首を傾げる。
「お兄様?勉強が大変?」
そんなに疲れた顔をしていただろうか。
社交の場では表情を崩したことがないダイナンでも、チェルシーの前ではその感情を隠せない。
「いや。大変でないとは言わないけれど、必要なことだからね」
チェルシーが王太子妃になったら、ダイナンはオルダマン侯爵として、彼女を支える。
聖女の後ろ盾として、オルダマン侯爵は力を持つだろう。
そうすべきだと納得しているのに、彼女を貴族の檻の中に放り込むような気分になる。
チェルシーは困ったような顔をする。
「領主となるのが辛いの?」
「辛い……とかではないよ。そうしなければいけないから、そうしている。義務感と使命感かな」
チェルシーを守りたい。自分を救ってくれた可愛い可愛い妹。オルダマン侯爵家を救ってくれたのは、間違いなくチェルシーだ。
彼女を支えるために立つことに、何の疑問もない。
チェルシーはダイナンの表情をじっと見つめ、うん、と一つ頷く。
「私も、そうだったな。農家に生まれて、作物を育てるのは、したいとかしたくないとかではなく、しなければいけなかった」
王都に来る前の話をチェルシーが始めて驚く。
チェルシーは、この家に来る前の話はあまりしない。今の家族に申し訳なく感じるのか、本当の家族の話は聞かないと話さないのだ。
「チェリー?」
「でもね、いざしなくていい状態になっても、なんとなく、気にしてしまうの。お芋を見て、これを育てていたって、なんとなく自慢したいような気持ちがあってね」
突然の昔話に、ダイナンは相槌を打ちながら聞くだけだ。
「自慢しても、羨ましがる人なんていないけど。大変だったねって言ってくれる人ばかり。うん、大変だった。ここにいられて、とても幸せ。でもね、ふと、思うの。私、農作業、意外と好きでしていたんだなって」
チェルシーが、ダイナンを振り仰ぐ。
来たばかりのように、無邪気に笑って、幸せだとダイナンに伝える。
「好き嫌いでしていたわけじゃない。夢とか理想なんて考えたことも無かった。ただ育てることが好きだったの。今は、お花が育てられて、嬉しい。お父様は、きっと畑が作りたいって言えば作らせてくれるような気がする」
オルダマン侯爵家の庭には、チェルシー専用の花壇がある。小さな花が、いつも咲いている。
「チェリーがしたいことを止めたりしないよ」
ダイナンが答えると、頷いて笑顔を消す。
「お兄様は?もしも、オルダマン侯爵領主でなくて、全く別の、何かになれるとしたら、なりたい?」
訊かれて、一瞬、あり得ない情景が浮かんだ。
ダイナンはどくどくと急激に動き出す心臓を無視して、震える声で返事をする。
「想像が……つかないよ」
「そうだよ!領主じゃないお兄様なんて、私も想像つかない!きっと、別のところに行っても、オルダマン侯爵領のことを気にしていると思うの。お仕事しているお兄様、とっても格好いいもの」
「格好いい?」
「うん!とっても」
ダイナンは、泣きそうになった。
侯爵家の跡継ぎ以外の未来を考えたことなどなかった。それは当たり前のことだし、ダイナンだって望んでいる。
全ての領民のためにダイナンは学んできたし、これからもそうだ。
チェルシーは、ダイナンが領主になることを悩んでいると思って、言ってくれた言葉だ。
ダイナンはそれ以外の場所に行ったとしても、オルダマン侯爵領のために動くだろう。
だけど、初めて他の未来を想像してしまった。
――チェルシーと、二人だけの未来を。