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偽装から始める新生活  作者: 文弱
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8.計画の実行 馬車と崖



屋敷を飛び出した私は、驚き戸惑う使用人たちを尻目に急ぎ馬車に飛び乗った。

イベリスが先にエドに命じて用意していた馬車だ。

もちろん、御者台にはエド一人。


「奥様!?」


何事かと目を見開いて驚くエドは、イベリスよりも演技力があるのかも知れない。

そんなことを思いながらも、ともかく誰にも引き止められないうちにと激しい口調で命ずる。


「馬車を出しなさい!」

「しかし…」

「早く出しなさい!!」

「は、はい!」


馬に鞭打つ音、嘶き、車輪が転がる音と振動。

速度を上げながら侯爵邸の門へと走っていく馬車。


窓の外に目をやると、右往左往する使用人たちの気の毒なほど狼狽えた顔が見える。

ポツリポツリと、見知った使用人たちの名を口にしてみる。

もう会うこともない人々の名。

馬車の後ろ窓から見ると、イベリスの姿もあった。


「さようなら、イベリス」


聞こえる筈もない言葉を口から音に出し、その言葉を心のなかに落とし込みながら目を閉じる。

これで本当に最後だ。

二度と彼に会うことはないだろう。

いや、会うようなことがあってはならない。




侯爵邸の門を馬車がくぐり抜け、疾駆する勢いが増すと私はようやく息を吐いた。

そのまま、ローヴェ渓谷に沿うように続く道を、何の障害もなく馬車は走り続けた。

やがて、ゆるゆると馬車は速度を落とし、ある地点で完全にその走りを止めた。


馬車の扉が外から開かれ、エドが中を覗き込む。

私は片手でドレスの裾を持ち上げながら腰を上げた。

だが、私が馬車を降りるのを手伝う筈のエドは、もうドアの前には居なかった。


足早に御者台に向かい手荷物を下ろし、更に馬車の下などに隠してあった私の荷物を引き出したりしている。

仕方なく一人で馬車から降りる頃には、エドは馬車の馬具を外して馬を空身にすると、その背中に荷物を積みあげる。


そこに至って、初めて私は気がついた。

目的地まで、私もエドも徒歩なのだ、と。


偽装死の計画は立てたものの、その先は無計画であったことに、今に至って私は気づいた。

相当減らした筈の荷物が、それでも山のようにあるように私の目に映る。

あの上に座れないだろうかと愚かなことを考えて、それは無理だと即座に否定して頭を振る。


その間も、何かしらエドは動き回っている。

もう何をしているのかも、私にはよく分からない。

そしてどうやら全て準備が整ったのか、ようやくエドは私の前にきて言った。


「奥様、準備できました。いつでも、馬車を落としてくださって結構です」

「そう、ありがとう」

「柵ごと馬車を落とすことはできますか? それとも、先に柵を壊した方がいいですか?」

「大丈夫よ。馬車をぶつければ柵は壊れると思うわ。でも、今まで気が付かなったけれど、ちゃんと渓谷に沿って柵があったのね」

「今までにも何度か、渓谷に荷馬車が落ちる事故などもありましたから。大旦那様が亡くなられる前に作られたと記憶しております」


エドの説明に頷いて、私は身振りでエドに下がるように指示をする。

距離を取ったエドをチラリと見やり、魔力を手のひらに集中させる。

周囲の大気が渦を巻きながら私の周囲に集まってくる。

それを今度は圧縮して空気の塊を作る。

それを大砲が砲弾を打ち出すように、馬車の後部に向かって打ち出す。

馬車は後方からの自然界ではあり得ないほどの突風を受け、凄まじい勢いで柵を壊し、渓谷へと飛び込んだ。


そっと近寄って下を覗き込む。

馬車は急流に飲まれ、流れながらバリバリと厭な音を立てながら壊れていく。

見守る中で、バキッとひときわ大きな音がして、割れて尖った馬車の破片が波間から天を刺す。


「バラッバラですね」

横に並んだエドが言う。

私はため息を吐き出した。


「ねえ、エド。あなた、あの馬車に乗っていて、助かると思う?」

「いいえ。記憶喪失も何も、絶対に命がないですね」

「あなた、落ちる直前で飛び降りたことにする?」

「それだと、俺は咎められるんじゃなかったですか?」

「命までは取られないし、咎めるといっても、法的な罰は与えられないと思うわ。イベリスもかばってくれる筈よ」


エドもため息を吐いた。


「それで、貴女はどうするんですか? 一人で行くつもりですか?」

「いつかは一人になるのよ。それが今でも、それほど大きな違いはないわ」


それよりも、と私は首をひねった。

もしかしたら、エドは今直ぐ侯爵邸に報告に行かせた方が計画の完遂は確実かも知れない。

全ての事情を知る者がそばにいる方が、イベリスもクレオも安心だろうし。


「計画を変更しましょう。エドは今直ぐ侯爵邸に戻って、馬が何かに驚いたとか、何か理由を付けて事故のことを報告してちょうだい」

「やはりそう来ますか」

「えっ? 今、なんて言ったの?」

「お断りします、と言いました」


私は驚いたようにエドを見上げた。

直ぐ横に立っていたエドが、その視線を避けるように、渓谷に背を向けて馬に歩み寄っていく。


「エド。断るって、どうして」

「今侯爵邸に戻ると、俺は自分の身可愛さに、幼馴染の女の子を崖に落として平気な面をして戻った最低の使用人になっちまう」

「そんな風にはならないわよ。貴方は侯爵邸で生まれて侯爵邸で育った使用人よ? 他の使用人とは違うわ」

「俺が、そう思う」


不貞腐れた様子で顔を背け、エドは乱れた言葉を正す様子もなく馬の首筋を撫でている。

その背後に静かに歩み寄り、私はエドとその名を呼んだ。

それにもフンと鼻を鳴らし、エドは振り返らずに言った。


「人が来るといけないから、さっさとここを離れよう。それに、いつまでそんなカッコでいるつもりなんだ?」

「エド…あなた、言葉が…」

「もうお嬢様でも奥様でもないんだろ? 俺たちは、同じ宿無しで戸籍も名前もない、平民以下だ」

「エド、だから貴方だけでも侯爵邸に…」


言いかける言葉を、エドは鋭い視線で遮った。

初めて睨みつけられて、思わず身がすくむ。


「こんなチャンスは、二度と無い。ずっと、諦めてたんだ…」


尻窄みに小さく呟くような音になったエドの言葉を、聞き返そうとしたその時、馬が鋭く嘶いた。



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