ご。私は此処で生きていくから
「アオイ、大丈夫か」
ご婦人の一件で落ち込んだ私だけど、それはそれとして助言役というか文官ではなく何でも相談員の仕事はやってくるわけで。
こういってはなんだけど。
仕事があるのが有り難かった。
アレコレ考えなくて済むから。暇になればきっと意識が戻ったけれど、今度は代償のように記憶を失ってしまったというご婦人のことを考えてしまうから。
だから仕事に打ち込める事は有り難かった。
不貞の証拠集めは、胸が痛むけれど、私の胸の痛みと依頼人の胸の痛みは関係ないし。結局、事実は事実として教えなくちゃいけないし。
その他、通常の……と言っていいのか分からないけれど書類整理なども行って、兎に角思い出しても囚われている時間がなかった。
でも。
不意に訪れる何も無い時間。
私はご婦人のことを思い出してディオさんに気付かれないように与えられた執務用の机でぼんやりとしていた。
そこにユディット王子がアランさんを連れて現れた。
……大丈夫か、なんて。どうしてこのタイミングで現れて聞いて来るんだろうか。
「大丈夫だよ」
「本当か」
「本当」
ディオさんが視界の端で私達を見てる。アランさんもジッと私を見るし、ユディット王子に至っては私の顔を覗き込んで来るほど。
なんなんだろう。大丈夫だって言ってるのに。
放っておいてくれればいいのに。
そんな風に顔を覗き込まなくてもいいじゃない。
見られたくなくて顔を背ける。
「全然大丈夫じゃないじゃないか」
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
「じゃあ、何のことで大丈夫なんだ?」
冷静に指摘するユディット王子にカッとなって反論すればそんなことを言って来る。
グッと言葉を飲み込む。
さっきからユディット王子は私に「大丈夫か」 としか尋ねてこない。それに対して大丈夫、と強がる私。でも。ユディット王子は“何に対して大丈夫なのか”確認をして来ているのか分かっているのか、と更に冷静に指摘してくる。
そうだ。
ユディット王子は一言も、あのご婦人の一件について大丈夫なのか、確認をして来てない。
はぁ。
溜め息を吐いて目を閉じる。
家族が居なくて親戚たらい回しで友人作る暇もなくてパワハラ上司や励まし合った同僚が次の日には退職しているような仕事場だったから真面な人間関係を築いて来られなかった私なのに。
此方に来てユディット王子とアランさんとディオさんが私のことを気にかけてくれることが多くて。なんだか此方の方がちょっとマシな人間関係が築けているのが不思議で。だけどこういう時、どうしていいか分からなくて。
人を頼る生き方をして来なかった私は、こうして気にかけてもらえるのが嬉しくてくすぐったくてちょっと煩わしく思う。でも、ユディット王子とアランさんより年上の私が子どもっぽい態度を取るのもどうかと思う。尚、ディオさんは三十三歳の独身らしい。だから五歳年上だ。
「あー……。ディオさん、仕事、少し休憩しても大丈夫?」
「構いませんよ。アオイは働き過ぎだって思うくらい働いていたからね。多少長めに休憩しても大丈夫。何処かに行って気分転換をしてくる?」
「ううん。大丈夫です。このまま、ちょっと気持ちを吐き出させて下さい」
ディオさんは気を利かせて何処かに行っておいで、と言ってくれたけど。ユディット王子もアランさんも居るし、このまま此処で気持ちを吐き出して切り替えた方が良さそうだ。
「あのご婦人のこと。まだ心に引っかかってる」
ふぅ、と息を吐き出しながら言えば、三人は分かってる、と言うように強く頷いた。
「私、日本じゃあ人の縁が薄くてね。父も母も三歳だか四歳だかで事故で死んじゃって。親戚に引き取られたけど可愛くないって暴言は当たり前。打たれるのも当たり前の生活だった。友達もうまく作れなくて。相談出来る人が居ないのが当たり前だったから、こういう時、どうすればいいのか分からないんだよね」
私が身の上話をしたのは三ヶ月以上経って初めてのこと。三人は息を呑んで話を聞いてくる。真剣に聞いてくれるって凄く嬉しくて泣きそうになる。
「情けないよね。人の悩み相談を聞いてるのに、自分のこととなると、どうしていいのか、この気持ちのやり場が分からなくてさ。だから仕事がたくさんあって、何も考えないでいられることが良かった。でも、急に暇になっちゃったから。ご婦人のことを思い出しちゃったんだよね」
情けないね、とヘラリと泣きそうな気持ちを隠して笑えばディオさんが頭を撫でて来た。
「ディオさん?」
「情けなくないですよ。アオイは頑張り過ぎたんです。考えないようにしていた、というのは結局考えてしまうからでしょう? そういう時は、たくさん考えてもいいと思います」
じんわりと胸に言葉が沁み込む。
「そうだぞ、アオイ! 頑張り過ぎだ! アオイが倒れてしまったら困ることになる。少し休んでいい。ご婦人のことはアオイが気に病むことじゃない。アオイは、ご婦人に依頼されたことをやり遂げただけ。その後のことはご婦人自身が考えて決めたこと。アオイが気に病むのは、ご婦人の決めたことを否定するのと同じだ」
懸命に言葉を紡いでくるユディット王子の方が泣きそうになっていて。なんでこの人が泣きそうなんだろう、とは思うけれど懸命な言葉が耳に馴染む。
「殿下の仰る通り。君は、夫人の疑惑に対して事実確認をしただけだ。知りたいと望んだのは夫人。それに応えたのが君で、君は嘘偽りなく夫人に事実を教えた。その事実から何を考え決めるのか、それは夫人自身の問題。その行動も夫人の責任であり、それ故の結果だ。君の出る幕ではない」
いっそ清々しい程に切り捨てられたアランさんの言葉。でもスッパリと私とは関係の無いこと、と言ってくれることは彼なりの優しさだと理解出来る。
今回の件、結果がこうなったのは、私の事情確認が発端ではあっただろうけれど考えて実行したのは、本人で関係のない私が責任を負うことではない、と言いたいのだろう。
そんな冷たい言葉が心に届くとは、思ってもみなかった。でもそれが優しさだと気付く程度には、アランさんとの交流が少しはあるのだと思う。
三者三様だけど。
私への心配だと理解は出来る。
「ありがとう、ございます」
溢れる涙に気付かれないように、お礼を言いながら頭を下げた。
同時に私も覚悟を決めた。
ーー日本に帰れる方法が見つかったとしても、帰らない。私は此処で生きていくから。
元々あまり未練はないけれど、それでもふとした瞬間に訪れる郷愁。でももう、その僅かな未練も私は捨てる。もう、いい。二度と帰れないことも受け入れよう。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話で最終話です。