魔女の前では人の企みなど簡単に暴かれる
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「君、自殺しようとして失敗したでしょ?」
彼女に言われた言葉が、僕の心を捻り潰した。
*****
静岡県〇〇市のメインストリート。
右足を少し引きずりながらも、混雑している道を歩いていく。右足を引きずるのに人一倍慣れているとは言え、さすがにこの混雑時には疲労感がたまる。体力的に小休憩は取った方がいいと判断した僕は、休めそうな店を探す。
休憩する場所を見つけようときょろきょろと辺りを見渡す。
そのとき、一際異彩を放っている店を発見し、思わず立ち止まっていた。
外壁と呼べるものはすべからく無い。
長テーブルの上に水晶玉が置かれていて、その横に片手で持てる程度の立て看板があり『レンタルタイム屋』と書かれていた。
「…………」
いつからこんな店があったのだろうか。その場所以外は地方都市とそん色ないくらいの都会なのに、ここだけ、まるで時間の概念をどうでもいいと嘲笑うようにシンプルな作りでポツンとあった。
さらに、その『レンタルタイム屋』では異常な違和感がある。それは客どころか店員も誰もがいないことだった。長テーブルの向こう側にパイプ椅子はあるものの、店員と見られる人物は座っていない。
――それに、この異質な空間を見ることができるのがどうやら僕だけらしいというのも異質だ。誰もがこの場所を見向きもせず、不思議に思うこともせずに、スルーする。なぜ僕だけにしかこの『レンタルタイム屋』が見えないんだろう……ん? どうして僕は、僕だけにしか『レンタルタイム屋』が見れないという事実を知っているんだ――
「やあ、こんにちは甲斐田信くん」
「え?」
僕の名前を呼ばれ、思わず振り返る。振り返ると一人の女性が僕を見つめるように立っていた。
長身で、背筋が真っ直ぐだ。肌は若く見えるが、紫色の魔女帽子を被っていて素顔まではとらえられない。
そんな女性の姿に意識を割いていたことで、僕はそれ以外の情景が変わっていたことに気づかなかった。
いつの間にか僕の周りは――僕の見える景色は、異次元な景色になっていた。
僕は何故か地球から放り出され、宇宙にいる。
「なんだ……これ……」
地球から宇宙に投げ出されれば酸素がなくて死ぬ。いや、それ以前に様々な要因から僕という人間は捻り潰されてしまう。しかしながら、普通に息もできるし身体に異常は感じない。
「私の魔法だよ」
彼女は帽子を指でクイっと上げて、素顔を晒す。その姿は誰かに似ている気もするし、誰にも似ていない気もした。
だけどそれよりも、僕は彼女の気になる発言に意識が向いていた。
「魔法……?」
「そう、私の魔法。私は魔女だからね、当然魔法が使える。そして私の魔法のおかげで、君は宇宙に放り出されても喋ることもできるし破裂することもないし苦しむこともない。地球の大気、気温、気圧、それらとそん色ない環境へと変化させている。だからこそ、君と私の会話を可能としているんだ」
淡々と事実を話す彼女だが、僕はこの状況に理解が追い付かない。
目の前にいる存在が魔女だそうだ。その魔女によって宇宙に放り出され、だけど魔法のおかげで僕は死なない。そんな現実、現実と言われても真実味がない。
「君は今、この現状が真実じゃないと思っているだろうけど、段々とこの出来事が真実だと理解できるよ。何せ、私は魔女で、本当にこういう事象を起こしているだけだからね。
君の現状について、深堀すれば嫌というほど理解できるね」
彼女が指をパチンと鳴らす。すると、宇宙から場所が移り変わる。
場所は、病院の一室だった。
「静岡県〇〇市、××病院で君は産まれた。君を優しく抱いているのは君の母。その隣で泣いているのは君の父だね」
記憶にないけど親から聞いている。その病院は僕が産まれた病院だ。この場所を彼女が知ってるのは――この魔女が何か詮索をしたからだろうか。
「驚いているようだね。私は魔女、それも『時の魔女』だからね。時間遡行は朝飯前さ。魔女に朝飯があるのかは置いといて、ね」
「時の魔女……」
「そう。人一人の時間を移動するのは簡単だし、時間を操れば空間も操ることができる――ゆえに空間を自由に行き来できる。空間を操ることができれば、たとえ宇宙にいたとしても、地球の空気を再現して君を地球と同じ環境下に置いていることも可能なんだ。少しは信じてくれたかな?」
シニカルな笑みを浮かべ、こちらの顔色を覗く魔女。
なるほど彼女は魔女だ。魔法をこれ以上披露されなくとも分かる。悪辣で、人間を嘲笑う立場の魔女。
「何も返答がないと寂しいなー」
「……君が魔女ってことはもう嫌というほど分かった。それで、僕になんの用件があってこんなことをするんだ?」
「まだ魔女かどうか分かりかねてるようだね。それなら、次のシーンに行ってみようか」
「…………」
僕の質問を無視して、再び景色が切り替わる。
「――!」
「ようやく顔色が変わったね。絶望の表情だ」
「なんでこのシーンに切り替えた! 言えっ!!」
「そりゃあ、私は『レンタルタイム屋』だからね。時間を貸す相手の生い立ちについては入念に調べるよ」
この魔女は最低最悪だ。
映されているシーンは僕が学校の二階。そこから飛び降りる直前のシーンだ。記憶がフラッシュバックする。あのときの恐怖――高校時代に虐められた記憶。思い出したくもない抹消したいはずの記憶。
虐めは仲間外れから始まり、クラス全員から無視された。挙句、虐めはエスカレートして、雑用を押し付けられ始める。そして虐めの末期は、殴られ蹴られ、痣だらけのまま家に帰ったことを覚えている。
「君はかなり面倒な性格で、虐められやすそうな性格で、実際に虐められていたんだよね?」
「……ああ」
僅かに息をこぼすように魔女の言葉に反応する。
「君は人に報復することも反抗することもせず、心が蝕まれていたようだね。そして最終的に耐え切れずに自殺しようとして、学校の窓から飛び降りた」
「…………」
高校時代のクラスメイトの考えはここで誰しもが終わる。誰もが悲劇の人物だとしか考えられない。弱い者の考えを分かったように寄り添って、虐めがないクラスかのように日常が再び始まった。
だけど、この魔女はもう分かっているのかもしれない。
「でも君は生きている。もう一度自殺を試そうとしないのかな?」
「あのときは――」
「あのときは気の迷いだったって言うんじゃないよ」
「…………」
「本当は死ぬ気もなかったのに」
「…………」
「学校の二階から飛び降りて人が死ぬ可能性は低い。清水の舞台から飛び降りるという言葉があって、実際に清水の舞台から飛び降りる人もいるけど、それでも死ぬ可能性は二割にも満たない。そして清水の舞台から地上までの高さは十二メートル。それに対して君の学校の二階の高さは五メートルにも満たない。死ねるわけがない――自殺できるわけがない」
「…………」
「私はこう考えているんだ。実際のところ、君は――死ぬ気なんてなかったんじゃないかって」
「…………」
「虐められた仕返しに暴力は嫌だと思った君は、周りの助けを求めず自己解決に走った。結果、自殺を演出することになった。わざわざ遺書まで用意して、警察沙汰にもなって、大勢の人間を巻き込んでね」
「…………」
「君の作戦は成功だ。その結果、君は暴力を振るわれず、それどころかクラス全員が君に優しくなった。
相手の暴力を、紛い物の自害で上書きした。
追い詰められた人間が逸脱した行為をとるのはよくあるだろう。だけど、ここまで被害者を利用したのは君が初めてだろうね」
「…………」
「そんな素晴らしい君だけど、一つだけ失敗したことがある。いや、誤算というべきかな」
「…………」
「軽度な障がい者になったこと――それが君の誤算だった。違うかい?」
…………。
…………ちくしょう。魔女ってのは悪辣だ。最悪な過去を見るだけに飽き足らず、こっちの心情を完全に把握している。
僕は魔女に何も隠しごとはできないと悟った。
「そうだよ魔女さん。僕の思考を読みほどいて満足かい?」
「十全に満足だよ。ここまでドロドロした感情を持つ人はいるにいるけど、君は実行力が素晴らしい。無気力な雰囲気を辺りに散りばめながら、気力ある行動を平然ととる。異常だよ、君は」
「魔女にそう言われるなんて光栄だよ」
魔女はパチンと指を鳴らした。
真っ暗な場所へと移り変わる。見えるのは自身と魔女の姿のみ。
「もう魔女に怯えてないんだね。君の精神、やっぱり異常だよ。普通、最悪な過去を掘り出されたら叫んだり泣いたり喚いたりする人ばっかりなのに」
「……誉め言葉として受け取っておくよ」
実際はかなり恐怖している。だけど、目の前の存在は僕にはどうしようもない。彼女にとってみたら、僕は簡単に殺せるし、ゆっくり殺せることもできだろう。時間操作は当たり前に使えるようにようだし、空間も支配できるとなれば人間である僕は恐怖よりも無力感を覚える。そんな全能的とも言える魔女。だからこそ、気になる点はある。
「僕にあの過去を見せて、それで何をさせたいんだ? 僕を恐怖に貶めたいってのが目的だったのか」
「別に恐怖させたかったわけじゃない。君を殺したかっただけだ――間違えた」
|パチン|
「別に恐怖させたかったわけじゃない。君を助けようとしたんだ」
「え?」
「君の軽度の障害。私になら治せるんだよ。といっても、そのやり方はあまり勧めるべきものではないけどね」
聞き捨てならないことを聞いた。
「僕の障害を治せるのか?」
「当たり前だ。私を誰だと思っているんだい? 『時の魔女』だよ。君を自殺演出の直前に戻すことくらい簡単だ。そのあとどうするかは君の勝手だがね」
再び自由に走ることができる。不自由な生活が全て瓦解して自由な生活が得られる。
心が躍る。人生で一番後悔したあのときをやり直せる。その言葉に魅了された。
「『時の魔女』、僕をあのときに戻してくれ」
「君ならそういうと思ったよ。じゃあ、後悔はないね?」
「ああ、後悔はない」
その瞬間、魔女は指を鳴らして――