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 振り返り、呼吸を整えつつ答える。


 僕にしがみついていた女性も急に我に帰ったかのように、バッと勢い良く体を離すと僕の身体越しに


「はい……だ、ヒック、大丈夫です」


 と、まだ僅かに震える声で答えた。

 中年男性は他でもない、先程の巨大な凶器と化したトラックの運転手だった。


「いやー、本当に良かった。もうちょっとで人轢いちまうところだったよ。ニイちゃんもすまなかったなー。助かったよ」

「いえ、僕は別に……」


 随分先で留まっているトラックに目をやると、そちらも特にガードレールに当たったりした様子も、他の車を巻き込んでしまった様子もなかった。

 夜の遅い時間帯だった事が幸いしたのだろう。


「しかしネェちゃんもあれだよ? 赤で渡ったりしたらそりゃこんな事にもなるよー」


 信号の事なんて見てなかったけど、それが本当ならこのオッチャンは別に悪くはないのか。


「す、すみません。その、気付かなくて」

「いやぁ、何事もなかったからいいんだけどさー。こっちも別に被害があったわけでもないし。一応警察とか呼んどく?」

「いえ、大丈夫です。すみません」

「そう? 俺も仕事中だから、大丈夫ならもう行くけど。本当に大丈夫?」

「はい、だ、大丈夫です。ヒック」


 オッチャンはその後も少し場にとどまって本当に大丈夫かなどと言っていたけど、最後は「ニイちゃんもほんと助かったよ、あとはヨロシク」などと言って、トラックに乗り込んで颯爽と走り去ってしまった。


 僕と女性の間にはしばらく沈黙が流れていた。

 その沈黙を先に破ったのは彼女の方だった。


「ヒック、すみません、服……」


 彼女の視線は僕の胸元あたりに向けられていた。

 涙で濡れた部分が周りよりも黒くシミになっていた。


「あぁ、いえ全然、すぐに乾くんで」

「ほんと、すみません……」

「立てますか?」


 僕は手を差し伸べた。


「はい……ありがとうございました」


 女性はゆっくりと僕の手を握り立ち上がった。

 パタパタとズボンについたジャリを払っている。


 束の間の沈黙。


 ……さて、さっきの瞬間の話をするべきだろうか。

 それとも今あったことは忘れてくれと言わんばかりに、何事もなかったかのよう早々にこの場を立ち去るべきだろうか。


 ……待てよ……ヤバい!


 頭に閃光が走る。


 チカラを解除する前に彼女が動いた原因。

 馬鹿らしいほど単純な事な気がする。


 これって僕が直接触れたからじゃないのか?


 僕は彼女を運ぶ時、確かに服の上から抱きかかえて運んだ。

 でも降ろす時に何かの拍子に手が直接触れてしまったのかもしれない。

 いや、そうなれば降ろす時に関わらず、運んでいる最中もどこかに触れている可能性がある。


 季節が変わったとは言え、まだまだ本格的な寒さは訪れていないこの時期だ。

 彼女の着ている服もいかにも女性らしく首元が大きく開いている。


 ずっと触れてはいないにしろ、どこかが当たっていてもおかしくない。

 チカラ云々の前に女性の肌に直接触れるのは気が引けたから、無意識にも触れないようにはしていたはずだ。

 それでも限界はある。

 まともに呼吸できず焦ってもいた。


 となれば彼女は止まっていた景色の中で、断続的にでも意識があったんじゃないか?

 それならヤバいぞ?

 いや待て。

 もっと楽観的なパターンも考えてみる。

 全て僕の思い違い。

 彼女は僕がちゃんとチカラを解除してから動いた。

 その可能性もない事もない。

 いや、是非その線で行きたい。


 いずれにしろもっと自分のチカラの特性を色んなパターンで試しておくべきだった。


「あの……」


 不意に女性が口を開いた。

 思考回路が遮断される。


 改めて見ると女性はとても綺麗な顔立ちをしていた。

 夜の暗がりはより一層女性を綺麗に見せるが、例え白昼であっても僕は同じ感想を抱いていただろう。


 歳もあまり離れてはいないように見えた。

 ん?

 というか、なんかどっかで見た事ある?


「あの……変な事、言ってたらすみません」

「……は?」


 うっ、ヤバい?

 今起こった不思議現象の事を聞かれるのか?


「私のこと、知ってますか?」

「へ? ……いや、多分初めて会うかと……」


 予想とは全く違う言葉にマヌケな返事をする。

 なんか見た事ある気もする、なんて事は言わないでおこう。


「そ、そうですよね。すみません、男の人が私のこと知ってるわけないですよね。すみません、変なこと聞いて」

「いえ、なんか、こちらこそ」

「あの、本当に、ありがとうございました!」


 女性はバッグを両手で抱きしめて、深々とお辞儀をした。

 そのまま恥ずかしそうにしながらクルリと踵を返すと、何度か会釈をしながら僕が帰る方向とは逆の方へと歩いて行った。


 取り敢えずは深く聞かれずに済んだか。

 僕はこの件に関して通行人Cダッシュ程度の昇格で事なきを得、ある程度満足していた。

 人助けができた事で気分も良かった。

 腹も減ったし、家に帰ってメシでも食ってゆっくりしよう。


 裏道に入って、自宅を目指す。

 少し登り坂になった道に差し掛かった時、後ろから来ていた車が僕の横を通り過ぎる。


 へッドライトの照らす先に、キラリと光る二つの玉が見えた。


 猫だ。

 猫の目玉がライトの光を反射して怪しく光ったのだ。


 猫か。


 僕は一つの実験を思い付いた。

 よし、試してみるか。


【ストップ】


 全ての動きを止めて僕は猫にゆっくりと近付いて行った。


 停止した猫の頭上でしゃがみこんで、人差し指を猫の小さな鼻先に当てる。

 と同時に「ギャッ」なのか「ニャッ」なのか、五十音では言い表せないような声を上げて猫が跳び上がる。


 当てた人差し指が離れると同時に猫は再び停止する。

 やっぱりか。


 ならこれはどうだ。

 僕は両手で猫の腰の辺りを包み込むように触る。

 猫は「ムギャッ」とまたまた呻き声を上げ、まるで勢いよく水が飛び出たホースのように暴れ僕の両手を解こうともがく。

 そして手を離すと猫は再び停止した。

 手の平を見ると猫の毛が数本付いている。


 空き巣を殴った時、だからと言って空き巣は動き出したりはしなかった。

 触れたのが服の上からだったからだ。

 だからさっきの女性は肌が触れたから、動いたのかと勝手に思い込んでいた。

 でもこれで分かった。

 肌が触れなくても、体毛に触れば動くという事だ。

 でも手に猫の毛が付いているからといって、猫は動いていない。

 一旦身体から切り離されたものは別として扱われるという事だ。


 それに初めてチカラを使った時、目の前で起こっている現象に驚いて、近くで停止していた車に触れた事があった。


 でも車は動き出さなかった。

 おそらく車は無数のパーツから出来ていて、ボンネット一つ触ったところで動く事はないという事だろう。

 それぞれが全て別個の単なる部品の集合体だからだ。

 だからエンジンを直接触っても、動き出すという事はないだろう。


 恐らく植物を除く生物、要は意志を持った生命は、僕が触れる事で僕と同じ状態を共有する事になるらしい。


 僕は猫に直接触れないよう来ている服の袖を伸ばし両手を覆って実験を続ける。


 猫を両手で持ち上げてみる。

 位置を移動させている間、腕には猫の体重相応の負荷を感じ続ける。

 手を離すと猫はその位置で停止する。

 猫を元の位置に戻そうとする場合、今度は上から押さえつける必要がある。

 その場合持ち上げる時と同じ大きさの負荷を感じる。

 このチカラを使っている時特有の概念か。

 停止した世界では動いている世界での重力=固定力なるものに置き換わっていると考えて良いみたいだ。

 だからものを動かす時は五十キロのものであれば、五十キロ以上のチカラが必要になる。

 全方位に対してだ。


 なら空き巣を殴った時の現象は?

 これは直接触れている訳ではないから空き巣自体は動き出さない。

 でも僕の拳の周りの僅かな周囲は動いているので、それゆえ衝撃が局所的に伝わったという事だろう。


 猫の毛が手にくっついているのは静電気の力だ。

 これもその証拠の一つだ。


 さて、この実験やこれまでの経験で推測できる停止中の物理法則はこうだ。


 ・僕という個体においてのみ重力は重力として働く(じゃないとジャンプしたら僕はそのままどこかへ飛んで行ってしまう)

 ・僕以外に対しては重力はいわゆる重力としてではなく固定力なるものに置き換わっている

 ・物理的に自分の力で動かせるものは動く

 ・直接触れているもの、あるいは僕の体の輪郭に沿って極めて狭い範囲のものは動く。僅かでも息ができるのがその証拠

 ・意思のあるものは僕が直接触れると僕と同じ状況を共有する事になる


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